不合理ゆえに我信ず

文(文学・芸術・宗教)と理(科学)の融合は成るか? 命と心、美と神、《私》とは何かを考える

人工生命は生命と言えるか

2005-04-11 15:26:39 | 哲学
私は、ノイマンが構成した自己複製機械は、人工生命あるいは擬似生命であって、本当の生命ではないと考えます。(生命の本質を有していない。)

セルオートマトンと複雑系の研究者らしい方が、「セルオートマトンと複雑系」のなかの「人工生命て何?」という文章の終わりで、次のように書いておられます。

■引用はじめ■
例えば、アプレットaquaやgenerationルールを用いて生命にように見えるCA(セルオートマトン)パターンができたとします。この中で生命のように見えるパターンは何らかの目標(例えば子孫を増やすこと)に向かって適応するでしょうか。むろん実際の生物は長い年月を経て知能化されたのであり,混沌とした状態から即座に知能が生まれたわけではありません。それでは上記CAを長期に渡って実行すれば,やがて知能は生まれるでしょうか。

やはり、あまり期待できません。それはこれらのCAは複雑系とはいっても、まだかなり単純だからです。例えばライフゲームは万能コンピュータ(万能チューリング機械)であることが証明されていますが、これは人間の操作によって演算が可能であることを示しているのであり自発的に知的な計算をすることを示しているわけではありません。実際、ライフゲームの自己組織化は単純な法則に従うことがわかっています[Su00]。このような単純さはCAに限ったことではなく複雑系として研究されているコンピュータ上の動力学系一般に言えることです。

一体、実際の生命とコンピュータ上の動力学系から得られる複雑性とのギャップをどう理解したらいいのでしょう。生命にあって、我々が作れる複雑さにないものは何でしょう?これこそ、我々が生命の起源や進化の本質を理解するのに必要なことではないでしょうか?しかし我々はそのギャップを埋めることが本当にできるでしょうか。
■引用おわり■

私はこの感じ方に非常に共感します。素人考えですが、セルオートマトンの理論は、ウィルス程度のものならコンピュータメモリ上で実現できる、ということを示したにすぎないのではないでしょうか。(ウィルスとはコンピュータウィルスのことではなく、本物のウィルスです。)そしてウィルスは生命とは言えないものです。ウィルスが生命へと飛躍するには何が必要なのか。それはまだ、まったく何もわかっていない。

と思うのですが、いかがでしょうか。


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