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僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

朗報

2014-04-13 10:05:04 | 日記
サダポンも合流しました。
生麩田楽が気に入ったみたいで機嫌が良い。


明日はいよいよ講演会。
最終の打合せに、サプライズでサダポンと参加して来ました。
「いやぁ、緊張して頭痛い。」
「僕も食欲がありませんよ~。」
「終わるまでドキドキだね~。噛むだろうなぁ。」
などとスタッフ達が話していました。
「たわけが!」
「ぇぇぇえ??!」
「講演をするのは俺じゃい!緊張しなくちゃいけないのは、俺でしょ!」
「確かに。」
「いや、でも君さ、LIVEでも緊張しないよね。生麩、最高に美味しいね。」
「緊張しないことに不安になってコンタさんに相談したくらいだからね。仙台でも食べられるよ?今度、行こうか?美味しいのいっぱい食べられて嬉しいね、良かったねサダポン。」
「はい、僕は不謹慎なようですが、もうこれだけで来た甲斐がありました。」
良かったじゃないの。
僕は野菜をガッツリ食べたのでユックリ寝れそう。
青虫のように野菜を食べる。

団員達から食生活が変わったと連絡がドシドシ来るわい。
「今夜は野菜中心にしました。押忍。」
「団長の影響で、今夜はサラダだけっした。押忍。」
「食う順番を変えたら、スゲー痩せました。」
僕のやり方は無茶苦茶かもしれないけれど、リバウンドもなく、ムキムキになっちゃうのが難点ですが皆締まっていく。
とてもとてもいい事だと思う。
悪い影響が拡がるのは良くないね。
けれど、絶対にいい事だと思う。
身体を引き締めて、精神も引き締めよう。
ポテトチップス、美味しいね。
ラーメン、最高!
チャーハン、超いいね。
でも、手に入れたいものはその先にはなかろう?
身体をデザインしよう。
その気概は、きっと人生にハリをもたらす。
評価とは他人がするもの。
他人に成長を認められるということだ。
しかし、それは自分自身がやったかどうかは実はあまり関係がなく「頑張り」とは自分で決めることではない。
自分が知ってるのは「やった」か「やらない」かのみ。
「頑張った」か「頑張ってない」かは他人が決めることではないか。
自分が「やった」ことに対して、他人の評価を気にせずに満足を得ることこそが本来の自己満足である。
その自分がやったことへの喜びを感じられたら、本当に素晴らしい人間になれる気がする。

ふふふ。
そしてだね。
やはり直接勧誘が最も効果的。

諸君。
青空応援団関西も出来た。

流れに身を任せ、少し先の未来を変えようか。

多分、なんとかなるよ。
なんとかするさ。

今は三ノ宮に向かってます。
「カシャーッ!」
「え?写真撮った?」
「うん、ボーッとしてるから。今、三ノ宮に向かってますって書きなさい。」
(笑)
じゃあ書くか。