「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第4回 戦争未亡人の美容師』

2009年06月19日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第4回 戦争未亡人の美容師』(松本侑子・著、光文社『小説宝石』2009年6月号掲載)

  第二次世界大戦、この戦争でいったい何人の戦争未亡人が生み出されたのだろうか。今回の山場は富栄が夫・奥名修一の戦死を知る場面である。ひと月にも満たない新婚生活を後にして修一はマニラへと旅立つ。マニラに着任した12月26日の約十日後に現地で召集され、1月17日には修一が戦死していた事実を富栄は知る。富栄が婚姻届を出した1月21日には夫はすでにこの世にいなかった。富栄は悲しい現実に混乱し絶望する。日本にもどることなくフィリピンの地で朽ち果てていく夫の亡骸を想う富栄。富栄の心情を読みながら胸の奥から込み上げてくるものを感じた。たまたま田舎へと向かう列車の中で読んでいたのだが、目に滲んでくる涙を抑えることができなかった。日本海に沈んでいくオレンジ色の夕日が、時空を超えて異国で横たわる屍を照らす、悲しみの色に見えた。
  富栄の悲しみはやがて怒りや悔しさへと変わっていく。富栄は西洋の美容術を学び、西洋文化にも親しんできた。そのことで非国民扱いされてきたにもかかわらず、終戦を境に価値観は正反対に逆転し、欧米がもてはやされることに富栄は強い違和感を持った。一方で、いまだ富栄と巡り合わぬ太宰もまた戦後のあからさまな変化を否定的に捉え、そこに偽善を見ていた。切迫した戦時色を感じさせない『津軽』や『お伽草紙』が実は戦時中に書かれたことを初めて知ったが、それは「多くの作家が、軍国主義や戦後の民主主義に翻弄されるなか、彼の文学は断絶しなかった」証しといえるだろう。富栄もまた自らの道である美容師の職へともどっていく。
  ここへきて富栄と太宰にはどこか似た匂いを感じるのだが、二人はまだ前向きに確固たる道を歩んでいるように思える。しかし、二人の運命の糸はどちらからともなく寄り添い始めている。昭和21年11月、富栄は三鷹の美容室で働きはじめ、太宰もまた青森から三鷹へともどってきた。次号ではいよいよ富栄と太宰が出会い、妻美知子と太田静子も加わって「三人の女の間をあやうく綱渡りしていく」太宰が描かれることになるだろう。『恋の蛍』も佳境を迎えることになりそうだ。
  ちなみに今日6月19日は太宰治の生誕100年の日であり、山崎富栄と太宰の遺体が玉川上水で発見された日でもある。

☆『恋の蛍 山崎富栄と太宰治―第3回 銃後の妻』の感想はこちら

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