昭和12(1937)年に竣工・開業し、平成11(1999)年に閉鎖されたクラシックホテル。 色付いた木々に囲まれ、秋の穏やかな日差しを浴びたその佇まいは訪れた旅人を優しく包み込む。
日本に本格的なスキーリゾートホテルが誕生するのは昭和に入ってからの事。 『ノスタルジック・ホテル物語』によると、東京へのオリンピック招致の動きが盛り上がりをみせ始め、これが実現すれば冬季大会の会場は妙高高原(新潟)か志賀高原になるとの噂が広がったそうです(当時は夏・冬とも同一国開催の規約があった為)。 それを受け、道路の開通も待たずに建築資材を馬や強力(ごうりき 登山者の荷を背負って従う下男)を使って運び込み建設されたのがこのホテル。 当初は外国人客を見込んでのオープンでしたが、経営が京都ホテルという事もあり実際には関西からの日本人客が多く、悲願であったオリンピック招致の夢も太平洋戦争の始まりと共に消え、このホテルが外国人客で賑わうのは戦争の進展と共に疎開してきたドイツやイタリアといった同盟国の大使館家族であったという皮肉なものでした。
戦後の進駐軍の接収の後もホテルとして営業を続けていましたが、スキー客の減少などにより経営が行き詰まり1999年に閉鎖。 その後取り壊しの予定もありましたが、志賀高原のシンボル的存在であったことから本館のみは解体を免れ、現在は歴史記念館として再生すべく模索中のようです。 長野県山ノ内町平隠 07年10月下旬他
※10年11月追記 現在は歴史記念館として定期的に内部公開しているようです。
私(30代前半です)も世代的にスキー世代なのですが、スノボの若者たちに押されて、ここ1、2年はスキーに行ってないですね。
時代の流れとはいえ、ちょっと寂しいのは確かです。
でもこの建物は残されましたし、今後の活用に向けて動き出しているようなので、もう少し待ってみようと思っています。
紅葉に包まれる秋の季節の訪問は、本当に素晴らしくてお勧めですよ。
来年は「ノスタルジック・ツアー」でもしたくなりました。
詳細の解説、とても参考になりました。ありがとうございます。
それもどうやら終わったようなので近いうちに何らかの動きがあるかと思われます。
これだけ気品に溢れた建物ですから、放っておくには本当にもったいないですもんね。
赤倉観光ホテルや上高地帝国ホテルの建物は新しい物になってしまいましたが、往時の雰囲気は今でも残されているようですね。
私には身分不相応な場所かとも思いますが、いつの日かこれらのクラシックホテルに泊まる事が出来たらな・・と思っています。
それでもオンリー・ザ・ロンリーさんが宿泊した時の建物とは、似て非なるものになりますね。
昭和8年築の建物を忠実に再現していますから、傍目には違いは分からないと思います。
舌足らずな表現で失礼致しました。
ここで働いていたという事は様々な苦楽の想い出がこのホテルに詰まっているんでしょうね。
自分がお客になってここでサービスを受ける日はもう来ないかも知れませんが、
こうして建物が残された事には感慨深いものがあるのかと思います。
なかなか情報が少なくて記念館としてオープンしているのか不明なのですが、
多くの人の注目を集めているのは間違いない所です。
実はこのブログの検索(アクセス)ワード№1は「旧志賀高原ホテル」なんです(推定)。
何らかの情報を求めている人がこんなに大勢いるんだな、といつも感心していましたよ。
私も、26年前に学生の頃アルバイトしていました。一緒に働いていた友達と訪ねていきたいと思います。
きれいな写真に少し安堵しています。
こんなにも大勢の方々が関心を寄せていたなんて思うと、
この建物は本当に幸せな建物だったんだなと深く感激いたします。
どうやら今年の春頃から歴史記念館として公開が始まっているみたいなので是非一度お訪ね下さい。
私も冬が来る前にもう一度会いに行こうと思っています。