旧柳原学校

2012-12-07 19:29:48 |  滋賀県


 日本初の近代的学校制度を定めた学制の発布(明治5年・1872)から4年、明治9(1876)年12月に新儀村(現在の高島市新旭町)の太田神社境内に建てられた小学校。 明治39(1906)年に近くに尋常高等小学校が設立された事から学校としての役目を終え、以降は地区の区長事務所として使用されました。 昭和34(1959)年に擬洋風建築としての価値が認めら県文化財の指定を受け、同45(1970)年に近江風土記の丘の建設に伴い現在地に移築されました。   滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6678(近江風土記の丘)  07年11月下旬

 ※参考『街角ルネサンス 湖国に息づく西洋建築』 1986
    『明治初期の擬洋風建築の研究』 1999
    『湖国のモダン建築』 2009



 建物右手に入母屋屋根の玄関を持つ和風部分があるのは、校舎建築に際して太田神社社務所の古材を使用したため。


 学校建設にあたっては地域住民の教育に対する熱心な要望が結実したものとみられる。 明治7(1874)年3月25日から建築費用の募金が始められ、翌8年5月には255円14銭集まり建設に至った事が当時の資料から窺い知れます。 


 棟札から工人(棟梁)は清水吉平という事が判明。




 昭和35(1960)年に内外の修理が行われ、移築時にも当初の姿へ復原がなされています。


 2階へ上がる階段はハシゴの様な急角度、しかも微妙に湾曲していて子供たちの昇降には向きません。 2階は戸長などが詰めていたものと推測されるようです。




 和風部分は畳敷き。




 2階にはベランダが廻り屋根には太鼓楼。 昭和3(1928)年鋳造の鐘も太鼓と共に吊るしてあったそうです。




 文化財に指定されなければ残らなかったといわれるほど修理前は老朽破損が酷いものでした。


 棟梁の清水吉平は恐らく京都へ洋風学校・役場の視察へ赴き、見聞してきた事を自分なりに解釈してこの学校建設に携わったと見られています。 教育へとかける地域の思いが一つになってこの建物に込められているのを感じました。


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