北川純のアートなお仕事

現在進行形作品の紹介から旧作品の制作裏話まで小出しにお話します。

映画『その街のこども』

2011年09月13日 | 作者独り言

[監督:井上剛  主演:森山未來  佐藤江梨子]

マンガにつづいて映画の話もしたくなった。
この映画は何も最近見たわけではない。今年の2月だったろうか・・。
阪神淡路大震災15周年特別企画としてNHKがドラマ化したものが好評で映画化されたらしい。
主演の森山未来がラジオ出演しこの映画の宣伝をしているのを聞いた。
直感として「いまさら、阪神大震災?」と思ったのであるが出演のほとんどがこの人と相手の佐藤江梨子だけということが私の興味をひいた。
そう、私は出演者の少ない映画が好きなのである。

私の直感はまたしても大間違いであった。、
正直言って15年もたってまだこんなに鮮やかな表現が出来ることに驚いた。というよりか15年の歳月がこの映画を作らせたというのが正しいかもしれない。
彼らは震災を体験した。しかしこれにより肉親を無くしたわけでも家が壊れたわけでもない(友人を失ってはいるが・・)。ましてや震災後短い時期に家庭の事情で居を東京に移しその後は地元の記憶を捨て去るように生きてきた。
被災者としては薄い体験かもしれないがこの薄いからこそ逆に歳月を重ねることによって人生に重くのしかかってくるものがある。
互いの心の闇は深い。しかしそれゆえ共感し合えるものがある。

やはりこの映画の完成には15年が必要だったのである。
そしてその熟成された普遍性が直接地震を体験していない私の心にも響くのである。

私がこれを見た数週間後、東日本大震災がおこった。
私は表現者としてこれについて何か語る日が来るのであろうか。


『水域 上・下』

2011年09月06日 | 作者独り言

[その他/ 「水域」 漆原友紀 作 ]

このブログで初めてマンガを紹介してみる。
三年に一回ぐらいマンガで感動するのであるがこの本がそうであった。
それはブックオフで偶然見つけた。   
「水域」というタイトルがマンガにしてはあまりに地味で‘大丈夫かこの本?’と思って手に取ったのがはじまりだった。

簡単に言ってしまえばヒューマンドラマであり、それも十分に面白いのであるがそれだけではない。
まさに空気が水没してしまったような感覚に陥ってしまうのである。
見上げた空は霞んだ太陽に反射する水面に変容し、私の動きはまるで水中にいるかのように重く、そして酸欠寸前ほどにせつない。
全体を覆うような湿った空気とは裏腹に水天地が鋭くそして鮮明に表出している。

「水域」というタイトルをつけた作者のセンスが光る名作である。

 


『闘病追想記』その4

2011年05月30日 | 作者独り言

このシリーズ、その3で終わるつもりであったがもうひとつ思いついたので書いてみる。
つくづく入院は‘ネタの宝庫’である。
皆さんも仕事や遊びのアイデアに尽きたときはひとつ入院してみることをお勧めする。

それに関係するかもしれないが退院後、「そんな死にそうな体験をしたんなら、人生観とか変わった?」と聞かれることが多々あった。
・・・・・人生観・・・・・。みんな人生観の変わった人の話が聞きたいのか、それとも自分の人生観を変えたいのか?

ちなみに私は普段から人生観とかあまり意識していないからよく分からない。まあこんなことを言っている様では大して何も変わっていないのだろう。
ただ昔から感覚として「人間とは無意味な存在である」という思いはある。これは別に自虐ではなくこう考えるとすべて納得がいく気がするのである。「すべての事には意味がある」とかいうとちょっと疲れてしまうのだ。

入院生活の夜は長い。午後九時には消灯となりみんな眠りに入る。夜中の2時3時に寝ていた私にとってこんな時間から眠れるはずがない。ベッドの暗闇の中、悶々と自問自答が続くのである。するとこんな思いが頭をかけめぐる「今回の入院は私の人生にとってどんな意味があるのだろう?」と。
するとすぐさま「おっと、これは違う。単なる凡ミスからやけどして運悪く内臓疾患をおこしそのまま入院しただけのこと。意味などあるわけがない。」と苦笑する自分がいた。つくづく人間とはありがたみを求めたがる生き物である。

そんな私にもこの入院の意味が分かる日がきたのである。
習慣とはおそろしいもので、最近では夜九時ぐらいから眠たくなり始め、朝の早くから目が覚めてしまうのだ。
いや~健康健康!こういうことであったのか・・・。ってこれってただの老化現象?


『闘病追想記』その3

2011年05月23日 | 作者独り言

よく知人から「死にそうだったなら三途の川でも渡りかけたんじゃないの」とからかわれたが実際それに近い体験をした。
これまたブログでは詳細は語れないが簡単に記す。

その日は朝から変だった。
大部屋だったためカーテン越しに前後左右の音が丸聞こえになる。隣の患者である夫と看護をする妻の一言二言の会話からいろんなことを勝手に妄想してしまうのだ。しかも、悲劇的になおかつ淫靡に・・。
長期入院の夫に代わりホステス勤めの奥さんは仕事帰りの朝、病室を訪れ自らは食事を採れない夫を食べさせ、昼間少しの仮眠をとり、夕食を食べさせた後夜のお仕事に向かう。疲労はたまるばかりであるが唯一の癒しは最近お店に現れるやさしくて笑顔のステキな人・・・とか。左隣の患者と看護師はできている・・とか。ささやき声ひとつ物音ひとつでメロドラマがあふれるように脚色されてしまうのである。これは妄想型幻聴か?

その他、これは幻覚であろう。レースカーテンの模様目が昆虫の顔に見えたかと思ったらそいつらがアニメのように楽器を演奏しだすのだ。何となく私の苦手なディズニーの世界。
また、病室天井にサッカー中継が上映されていて退屈な患者のための病院側の最新サービスかと思いきやその映像、普通の人には全く見えないらしい。こんなに私には鮮明に見えるのに・・・、普段サッカー観ないのに・・・なぜ?

極めつけは、夜中、目を瞑ると別世界に漂流した。
青空のもと中空に浮いた私のからだは、超高層のパルテノン神殿みたいな建造物の下階から上階へ頭を引っ張られるように上昇していくのだ、しかも身体は床を突きぬけて!
最上階に着くと、王様が座っていて(これがアメリカのIT社長みたいな風貌)椅子から立ち上がり私に握手を求めてきた。私も手を差し出したのだが握手が出来ない。私のからだは透き通ってしまうのだ、なるほど床を突き抜けたわけだ。
納得して握手をあきらめた私は下界に下降してきた。

ここまで、我慢して読んできたあなたは「こいつ頭おかしいんじゃないの?」と思っているかもしれない。
確かに今思い出だしても相当変だ。しかし当時の私はこの現象を結構楽しんでいた。
逆に次の日、この感覚が全くなくなって普通の人に戻ったときちょっと残念な気がしたほどである。

お見舞いに来てくれた人たちにこんな一日を楽しそうに話すと、人は必ず言った「おまえ、そこで握手成立してたら間違いなく天国へ行ってたな・・」と。


『闘病追想記』その2

2011年05月18日 | 作者独り言

今回の件でさまざまな医療関係者の方にお世話になったわけだが、まさしく男に殺されそうになり、女に助けられたといっても過言ではない。ブログでは細かに語ることは出来ないが簡単に記してみる。

まずは私が足にやかんの熱湯をぶっかけるという平凡なミスからはじまった。
近所の皮膚科のジジイ医者のいい加減な処置のおかげ(やけど患部の面積よりはるかに小さいガーゼ貼って終わり!)でそこから細菌が入り内臓器不全をおこし、症状としては激しい嘔吐と下痢。
意識朦朧としながら近所の総合病院の内科にいくと、中年オヤジ医者が「僻地に旅行にでも行った?」とトンチンカンな質問。「よく分からないからとりあえず点滴でもうって治らなかったらまた来て」と終わり。
このまま点滴うって帰っていたら間違いなく死んでいた。

ここからが女性の大活躍。この内科医オヤジの診断を不審に思った看護師さんが私を皮膚科までおぶっていってくれた。(この看護師さんはホント命の恩人)
皮膚科の女性医師は瞬時に重病と判断し「ここでは治療不可能なので、すぐ大きい病院に搬送します。」と言って、大きい病院の受け入れと救急車の迅速な手配。
ナントこの女医さん若くて超美人。おまけにオシャレ。白衣の下はスリムジーンズに編み上げのロングブーツ。医療系TVドラマの撮影かと思った。さしづめ私は話冒頭に出てくるすぐ死んじゃう患者か・・。

搬送先の大きな総合病院で即入院となったわけだが担当医がこれまた女性医師。若くてそれゆえの若干の頼りなさも漂わせていたがそれまたご愛嬌。最後までいい仕事をしてもらった。

しかし、何といってもここの看護師さんたちがすごかった。24時間絶対安静ということは、生きていくすべての事の面倒をみてもらうというわけだ。動けないのに生きていくってはっきり言ってキタナイ事だらけ。それなのに淡々と楽しく元気いっぱいに仕事をこなしていく。敬服!真夜中でもナースコールのボタンを押せば10秒以内に「どうしましたか~?」と来てくれる。感謝!
途中、内臓停止のショックからか全身の皮膚が死んでしまうという特異症状にみまわれた。後にちょうど昆虫脱皮のように新しい皮膚にむけ変わるわけだがその際、彼女達にいろんなところの皮膚をむいてもらった。
「わ~こんなの初めて~」と嬉々として私のあんなところの皮膚をむいてくれた彼女は鼻筋の通った透き通るような肌の美人看護師。てれた私は思わず「看護師さんってすごい職業ですね」とそらしたら(本心そう思っているし)「え~そうですか?こんなのナレナレ」と涼しげな顔。私はこの人、大好きになってしまいました。

その後、お見舞いに来てくれる知人や心配のメールをくれる人は大抵女性。(若干男も含まれているが・・)

常々、女性好きを公言していたが、これを機にこの信念は揺るぎの無いものとなった。 ・・・・女性万歳!・・・


『闘病追想記』その1

2011年05月16日 | 作者独り言

すっかりごぶさたしてしまった。
ブログの更新の仕方も忘れてしまったほどである。
たしか、2月の終わりごろからすっかり空白になっている。

時期的に地震で死んでしまったかと思われた方もいるかもしれない。確かに地震では死ななかったが病気で死にかけた。
2月下旬、足にやけどを負ってしまった。それ自体も足の甲半分の面積を深く負傷したのだがその処置が悪かった。
そこから悪い細菌が体内に入り内臓器不全を発症し、多くの内臓器が停止してしまったらしい。
一時は「死ぬかもしれない」ということで親兄弟親戚が呼び出され、なんだか大げさなことになってしまった。

さいわい病院の適切な処置のおかげで内臓器は順調に回復し2週間ちょっとの入院で無事退院となった。ちょうどあの震災の4日後のことだ。
通院しながらのやけど治療が始まったわけだが、しかしそこからが辛かった。
やけどというのは非常に痛いのだ。それも一日一回自らが患部の処置をしなくてはならない。これがまた激痛である。「これぞ闘病生活!」
これが想像以上に長期化しとてものんびり「ブログでもかこかな~」というノンキな気分にならなかった。

現在、やっとその気になるまでに回復したということだ。とても幸せなことである。


『アンネの日記』読書中。

2011年02月09日 | 作者独り言

[アンネの日記]

自作以外のことについて語るのは初めてではないだろうか。

本を紹介するラジオ番組を聴いて赤染晶子氏の「乙女の告白」という小説に興味をもった。
この作品は「アンネの日記」を元に(?)描かれたものらしく、あいにく私はこの本さえ読んでなかった。
今更気恥ずかしい感はあったのだが、たまたまこの本が安易に手に入る状況だったので、まずはこれから、という感じで手にとってみた。

読み始めて後悔した。
第二次世界大戦下ナチ党から逃れるための隠れ家生活という特殊状況とはいえ13歳少女の不満たらたら日記は私にはつらく感じた。
かなり分厚い本だしもうやめよっかな と思った矢先事態は急転換する。
アンネが成長していくのである。要するに日記が面白くなっていくのである。

毎日が密室に閉じ込められ死ぬほど退屈な日常をこうも豊かに描けるものなのか、もしくはこういう状況下ゆえ想像力が膨らむのか、判別は出来ない。しかしこうなってくると私がつまらないと感じた初期の表現でさえ今は無い分、いとおしく感じるのが不思議である。

このブログもある意味日記の形態であると思うのだが、人に読んでもらう日記とはこうありたいものである。

現在、本の後半を読んでいるがアンネの最期を知っているだけに、彼女の話はせつない。