旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

企業の社会貢献

2010年02月05日 | 時事
最近語られる言葉に企業の社会貢献という言葉があります。私はあの言葉を耳にするたびにどうも落ち着かない気分になります。何となく偽善の香りがするようにも感じますし、恐喝じみた印象を受けて、落ち着かない気分になるときもあります。

だいたい、企業というのはその存在自体が果たしている社会的貢献というのが沢山あるはずなのです。ある程度の規模の企業であれば、事業を展開する事によって雇用を創出するという社会貢献を自然と果たしていますし、生み出す製品やサービスによっても社会貢献を果たしているはずです。

たとえば、自動車メーカーはその下請けを含めて多くの雇用を生み出しているでしょうし、生み出す製品は物流や人流にとって大きな役割を果たしていて、もし世の中から全ての車が消えたらおそらく社会が成り立たないのではないでしょうか。車の免許を持っていない人は”自分には関係ない”と思う人もいるでしょうが、その人が買い物をするお店に商品を運んでくるのは”車”。ほとんどの人が車の存在の恩恵を受けているわけです。

つまり、自動車メーカーにとっての社会的貢献というのはより優れた車を生み出す事であり、それと同時により安定した雇用を生み出す事、つまり自社の本業そのものが既に社会貢献であるのであって、そうすると敢えて”社会貢献”という表現は不自然に感じるのです。

敢えて”社会貢献”という言葉が使われる際に受ける印象は、企業の本質は利益を追求する事だけにあるとして、合理化の名の下で従業員の解雇を進め、徹底的に利益を貪り、貪った利益の一部を”社会貢献”に拠出して、”良い人ぶる”ようなイメージです。

それと逆の視点で感じる印象、冒頭で”恐喝じみた”と書いたのは、企業に本業から離れたところでの”社会貢献”を強いる立場での視点です。

だいぶ昔の話になりますが、”日本における差別の問題に取り組んでいる”と称する団体から電話がかかってきたことがあります。曰く、差別問題との取り組みに関する報告を本にして出版したので買って欲しいとの内容でした。そしてその金額が1冊30万円であるとの事でありました。

私達は当時も今も奇跡的に生きている程度の組織でありますから、とてもじゃないですが30万円を捻出する事はできません。その事を伝えると、

”それじゃあ、御社は日本における差別撤廃には反対の立場とおっしゃるわけですね”と。凄まれました。
”いや、それ以前の問題として、私たち自身が生きるのにも困っている状況で、30万円はどこにも無いという意味です。”と伝えたところ、理解していただけたようでしたが。

少し極端な例を持ち出してみましたが、”社会貢献”という言葉を聞くと、この出来事も思い出されます。

企業に”社会貢献”を要求する要求する視点というのは、正義を盾に取った理屈で30万円の書籍を売りつけるのと似ているように感じるのです。

企業の役割というのは”利益を追求する事だけ”ではないはずです。利益を追求する事も企業の役割ですが、それ以外にも先にあげたように雇用を創出する事や、より良い製品やサービスを生み出す事なども自然と発生する役割です。こういった役割を上手いバランスでこなした経営者が優秀な経営者と呼ばれる人なのではないかと思うのです。

ん?E&Gは?

残念でした。E&Gはとてもじゃありませんが企業と呼べる規模でもありませんし、私は”経営者”という存在でも無いのであります。

P.S.
明日から”スーパーカブで旅するタイ北部”に同行しますので、しばらくはコメントの承認などができませんのでご了承ください。


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