二十歳を過ぎたころ

小さなことに一喜一憂する二十歳を過ぎた学生の軌跡。
→いつの間にか社会人4年目。二十歳を過ぎたころからのブログです

淡々と

2014年02月09日 23時46分31秒 | 日記

雪が降ろうと、オリンピックが開催しようと、
淡々と過ぎていく毎日があり、
それはとても貴重なことなのだと理解するが、
淡々と、という言葉の持つ悪い部分のみが目の前にあって、
自分の醜い部分をさらしている

自分がどうしたいのかを問われる場面が公私共に散見されるようになった
自分はこうしたい、という意思がないと、逆にうまくいかないことが多くなった
まず与えられた環境を受け入れた上で、自分なりのやりがいを見つけていくのではなく、
解決あるいは創造の取り組みを積極的に進めていく推進力が求められるようだ

こつこつと、淡々と、目の前の仕事に取り組む姿勢が変わらないのは
確かに先を読む行動ができていない、頭を使っていない、
自分に負荷をかけていない、など、様々なことばで指摘されるところではあるが、
それらを真摯に受け止められないのは、おそらく、
周囲への期待をしないから、自分への期待もしないでほしいという思いがあるからだろう

激情も、未練も、後悔も、達成感も、きっと自分の隣にいるのだろう
しかしそれらを感じ取らないほどに殻に閉じこもり、感じ取れないほどに気持ちが乾いている
茨木のり子氏の詩「自分の感受性くらい」が身に染みるが、
それとて自分を律するだけの力を、今は持ち得ない

人に、環境に、恵まれすぎていたのだろうか
何かしら挫折があればこうはならなかったのだろうか
過去に原因を求めても意味がないと知りながら、思いを振り返らせても、結論は出ない

あのとき何をしていたか思い出せなくなる年月をこのまま重ねるのだろう
変わらない、変われない自分を悔やむ自分は、
今の自分と変わらないならきっと、その悔やむ気持ちも淡々としたものなのだろう

できることなら、遠い将来、この記事を読んで、そんなときもあったと懐かしく振り返りたい
その時の自分は、感受性をそれなりに守っていられたと自負するものであってほしい
きっと投稿のボタンをクリックした後には忘れていると知りながら、
まるで他人事のように文字だけの期待を、淡々と、淡々と、書く