二十歳を過ぎたころ

小さなことに一喜一憂する二十歳を過ぎた学生の軌跡。
→いつの間にか社会人4年目。二十歳を過ぎたころからのブログです

年末

2012年12月30日 22時59分58秒 | 日記

年末

 

12月は書きとめる間もなく過ぎていってしまった。珍しく物にあたった経験をしたのも12月だった。空き缶を思いっきり叩きつけるとかなり音が響くものだったが、肩とひじを痛めかけるだけだった。確か流星群を見る絶好の深夜だったような気がする。駐車場で5個ぐらいみた気がする。どれもこれも、今視界に入った何かが流れ星だったのかもしれない、と後追いで思うことができる程度にしか確認できていないが、今から思えばあれはあれだったのかもしれないということばかりが積み重なるだけの1年だった。でも、そういうものなのかもしれないとも思う。

見えている世界が狭い。自分のやったことや興味のあることを報告しても仕方が無い。仕事は任せられているわけではない。仕事をやり終えるという意識が足りない。深夜に懸命に書き上げた報告書を上司が読んでいるとは限らない。報告書の1行目に書いてあることを「そんな報告受けてない」と一蹴されても「報告書に書きましたが」などと切り返してもいいことはない、と諦めているが、静かに薄いストレスの埃が心の底に沈むのをしみじみと痛感する。文字通り一挙手一投足の準備をただの一つも間違えてはいけないときがある。考えていなかったわけではないが伝わらなかったらいや伝えられなかったら考えていなかったことになる。つまらない部署間のいさかいに口を挟むと自分が板挟みなるという予想をして一切喋らなかったのは賢明だったし、どちらももっとも、というより、どっちもどっちだと思いながらも自分の直属の上司に意見を合わせておいたのも賢明だった。相手にぶつけたい言葉を慎重に隠して要求を穏便に伝える電話を聞いていた上司から「ぐだぐだ話が長いんだよ、おまえは絶対なめられてる、絶対」などと言われ更に自分の家庭環境から育ちから分析をされて無意識のうちにいさかいを避けている性格だと滔々と語っていただいている、それをお聞きしている、そのときは、何を考えてやり過ごしていたのだろう。認めるところは盗もうと努力しなければならない。見習うべきところは見習ってくらいついていかなければならない。個人的な表面的な好き嫌いで自分の成長が止まるなどという損をしてはならない。懸命に、また賢明に、やっていくしかない。

全社員180人ぐらいのなかで3人だけに贈られた最優秀社員賞の一封の中に、お前は何一つ自分でやろうとしなかったという叱責の言葉が、矛盾無く収まっていた。この一封の中に自分の成長の自信を重ねることは、全くできなくはないが、それはお前の基準だと一蹴されることは目に見えている。

いやそれより、何より、仕事のつながりを、多くの人の多くの仕事のつながりの中に自分の仕事があり、職位職責があることを、教えて頂いた一封だった。自分一人の力ではできない仕事を、互いの得意分野を持ち寄って一つの仕事を成し遂げられるという体験をできたことが、今年一番の、勉強できてよかったことなのだと思う。本当に、深く御礼申し上げます。

住むアパートの風呂は自動で追いだきにしないと驚くほど速く冷えていくのに、深夜でもまだ温かい風呂に入り、まだ温かい2皿のうちの1皿のおかずをジップロックに入れる。何のために働いているのか分からなくなる、それがつらい、と言って辞めていった先輩社員の言葉が身にしみる。レアチーズケーキで埋められるものではないのだけれど。埋めようと思ったら確実に長期間売り切れさせることになるけれど。確かに、思いが伝わったことが実感できたときこそが、幸せなのではないかと思う。そう思ってもらうための表現の幅も、約束を順守する厳しさも、持ち合わせないまま、今年1年が終わってしまうが、持ち合わせないままではいけない、来年は、少しでも返すことをしていきます。

来年は巳年。ヘビーな年になりそうです、という何かのCMには全く笑えない。人の気持ちに敏感になり、外への意識を高く持てる1年になるように。なむさん。

 

1年お疲れさまでした。皆様に支えられた1年でした。本当にありがとうございます。新年のご健康・ご多幸をお祈り致します。どうぞ、よいお年を。