上の画像は、再開発で川西市の玄関口になった阪急電車宝塚線の川西
能勢口駅の北側です。
川西阪急百貨店が駅の南側にあり表玄関とすれば、北側は裏口でしょうか。
かっては、ここから約600メートル離れた国鉄の池田駅前駅(後の川西
国鉄駅前駅)まで 、電車が走っていました。
その後、阪急資本 が入った能勢電は、やがて、阪急電車の子会社として、
沿線の宅地開発や、行楽客の誘致に取り組んでゆきます。
1978年(昭和53年)能勢電気軌道は、社名を能勢電鉄㈱に変更します。
(つづく)
上の画像は、再開発で川西市の玄関口になった阪急電車宝塚線の川西
能勢口駅の北側です。
川西阪急百貨店が駅の南側にあり表玄関とすれば、北側は裏口でしょうか。
かっては、ここから約600メートル離れた国鉄の池田駅前駅(後の川西
国鉄駅前駅)まで 、電車が走っていました。
その後、阪急資本 が入った能勢電は、やがて、阪急電車の子会社として、
沿線の宅地開発や、行楽客の誘致に取り組んでゆきます。
1978年(昭和53年)能勢電気軌道は、社名を能勢電鉄㈱に変更します。
(つづく)