"四季折々 この一枚″

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東海道五十三次どまん中茶屋・袋井宿(そのニ)

2019年07月18日 15時57分49秒 | 紀行

 
その昔、この袋井宿に50軒もの旅籠が軒を連ね、人の往来が激しかったのでしょうか。?

歌川広重(1797~1858)は、62歳で亡くなりました。

36歳のとき、幕府のお馬献上の行列に加わって、東海道を

往復したと言いますから、当時をスケッチしていたのかも
知れません。

ということは、江戸時代の後期、徳川家斉の時代の描写
である可能性があります。

袋井の東隣は「掛川宿」(現掛川市)。西隣は「見附(みつけ)宿」(磐田市)です。

掛川と袋井のあいだが、見附宿との間より、少し長いので、東から来た人たちは、袋井宿で宿をとったり、ひと休みを
した人が多かったかもしれません。


東京2泊、浜松2泊の予定で旅に出た私たち。

家内の姉が袋井に住んでいるので立ち寄った街です。

往時の面影を残すのは、このお茶屋だけかもしれません。

 広重の画をよく見れば、出茶屋の先に海が見えます。

現在では、太平洋に面しているとは言っても、海は見えません。

ちょっとした休憩所だったかも知れません。


現在の「どまん中茶屋」は、よくできていました。


なかなか趣のある建物で、模写した浮世絵を飾り、土産品を売る傍ら、立ち寄る観光客にお茶や饅頭を出して接待して
くれました。


 

接待役は、街から選ばれた数人の女性が「交替で当番を決めて接客に当たっている」とのことでした。

この日の当番は、たまたま、その中でも代表の方で、
「こんな天気なので、お客さんは、ないとおもっていました。それが、4人も来ていただけて、うれしい」。

と喜んでくれました。

 
茶屋を後にした私たちは、市内の新鮮な野菜市をのぞいて、
親戚の家を訪ねました。

 

最後にここで買ったお土産をお見せして旅の終わりにします。

 

「丸凧」の模型です。表現は、丸凧でよかったので
しょうか。

この地方では「凧あげ」が盛んと聞きました。

それは、風が強いからかも知れません。

遠州灘をわたる強い風を、笠と蓑合羽で避けながら、
先を急いだ旅人たち。

「袋井茶」の一服も、待ち遠しかったかも知れません。

 

 「その一」、「そのニ」で取り上げたコピーは、
いずれも「袋井市の観光パンフレット」を複写した
ものです。

             (東海道五十三次 終わり)

 

 

 

 

 

 

 


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