あれっ、松本清張(PART 2 OF 3)
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あらっ。。。 デンマンさんはマジで こうして清張さんにお会いになったのでござ~ますかァ~?
間違いなく会いました。。。 でもねぇ~、このような微笑ましい出会いではなかったのですよ。。。
つまり、清張さんに完全にシカトされたのでござ~ますかァ~!?
いや。。。、シカトされたというのとも ちょっと違うのですよ。。。 とにかく、清張さんの吐く息が感じられるくらい近かった。
あらっ。。。出版のパーティとか講演会で会ったのでござ~ますかァ?
いや。。。、パーティとか講演会ではないのですよ。。。 さっきも言った通り本店の2階の新刊書のあたりですよ。。。
それ以前にデンマンさんは清張さんと話したことがあるのですか?
いや。。。僕は全く清張さんの一読者に過ぎません。 それまでに会ったことも見たこともない。
つまり、新宿の本屋さんで見かけた程度だったのですか?
そうなのですよ。
デンマンさんのことですから清張さんのサインを求めたのでしょう?
いや。。。そういう雰囲気ではありませんでしたよ。 あの風貌ですからねぇ~。。。 ブスッとした表情を浮かべているように見えるでしょう? 話しかけたいような気にならない。 清張さんには人を寄せ付けない雰囲気があるのですよ。。。
もしかして他人の空似ではありませんか?
あのねぇ~、清張さんの顔は、写真で見ても一度見たら忘れられないような個性的な人相ですよ。 あの人相は、そうやたらにあるもんじゃない。 だからこそ、すぐに清張さんだと判ったのですよ。
それで清張さんは紀伊国屋の本店で本のサイン会を開いたのですか?
いや。。。僕と同じように本屋に立ち寄ったという感じでしたよ。 入り口から5メートルぐらい入った所の新刊書の書棚の前で僕は本を手にとってパラパラめくっていた。 そしたら隣に背の低い 冴(さ)えない着古したコートを着た男がやって来た。 本を手に取るでもなく背表紙を見ているといった感じでした。
その人が清張さんだったのですか?
そうなのです。 150センチぐらいしかない小男ですよ。 どのように見ても155センチ以上はなかった。 松本清張ってぇこんな小男なのだろうか!? 顔が大きく大柄な人だと僕は思い込んでいた。 それが意外にもブスッとした小男だった。 それが僕の第一印象でしたよ。
それで、その場に居た他の人はどのような反応を示したのですか?
その日はたぶん土曜日か日曜日だと思うのですよ。 でも、それほど店内は混んでいたわけじゃなかった。 5メートルほどの本棚の並びには僕と清張さんの他に2人か3人程度だった。 誰も気づいていないようだった。 気づいていたとしても、僕と同様に「人を寄せ付けない雰囲気」を感じていたに違いない。 だから、誰も話しかけようとはしなかった。
いつ頃の話ですか?
まだ僕が海外に出る前、日本に居た頃ですよ。 当時、僕は松下産業の正社員で横浜港北区にある松下通信工業(株)に出向していた。 その日の事はよく覚えていますよ。
どうして。。。?
あのねぇ~、会社のダンスパーティーで仲良くなった技術管理課の女の子とデートをする予定だったのですよ。
あらっ。。。会社のダンスパーティーでナンパしたのでござ~ますかァ~? うふふふふふ。。。
やだなあああァ~。。。そのように茶化さないでくださいよう。
つまり、真面目に付き合おうとしていた女性なのですか?
当然ですよ。 かなり前に記事に書いたことがありますよ。 ちょっと読んでみてください。
床上手な女
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上の記事の中でも7番目に「ダンスのうまい女性は床上手」と書いてあるでしょう。。。僕も、実際、そう思いましたよう。
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デンマンさんには体験談があるのですか?
あるのですよう。 僕は松下産業に入社して横浜の綱島にある松下通信工業に出向したんですよう。それで、毎年ダンスパーティーに顔を出すようになった。
社内ダンスパーティーですか?
そうです。どう言う訳か、綱島の大食堂ではやらずに、佐江戸にある工場の集会場でやったのですよう。3000人ぐらい入れる会場なのですよう。
綱島から、かなり離れているのですか?
同じ横浜市にあるのだけれど、僕は車を持っていなかったので電車を乗り換えてゆくから、1時間ぐらいかかりましたよう。
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左の方に「松下電器産業」と書いてあるけれど、ここが僕が松下通信工業で働いた時には、通信工業の佐江戸工場があった所ですよう。現在では都築(つづく)区にあるけれど、この区は港北区と緑区の一部が分区して、新しくできたとか。。。僕が居た頃は港北区だったように思うのですよう。当時は工場の周りは畑で、家などほとんど無かった。おそらく、新しい区ができるほどだから、今では、工場の周りには家が建ち並んでいるのでしょうね。東横線の綱島駅から菊名駅で乗り換えて、横浜線で鴨居駅で降り、そこから田んぼの中を工場まで20分ぐらい歩いたものですよ。
それで、たくさんの人が集まったのですか?
そうですよう。まるでお祭りさわぎでしたよう。少なく見積もっても1500人ぐらいがやって来ていました。“芋の子を洗う”ようだと言う形容があるけれど、まるでイモを洗うように人がゴロゴロとダンスしていると言う感じだったですよう。うしししし。。。
大勢の人たちが所狭しと踊っていた訳ですか?
そうなのですよう。僕はデータ制御事業部の技術部で働いていたのだけれど、技術部技術課はすべて男だけです。技術部には250人ぐらい居ました。 女性が居るのは技術管理課という課だけで、そこには課長1名と係長1名、それに7人の女性が居たのですよう。
。。。で、デンマンさんのことだから、すぐにその7人の女性たちと仲良くなったのでしょう?
そうです。 やっぱり技術管理課の女性たちと仲良くしないと仕事がやりにくいですからね。
どうしてですか?
打ち合わせがあったりすると、技術管理課の女の子に頼んでコーヒーを入れてもらうのですよう。 そう言う時でしか会社の只のコーヒーが飲めない。うしししし。。。
つまり、会社の只のコーヒーを飲むために女の子のご機嫌をとって仲良くしていたのですか?
うん。。。、確かにそういう下心が半分ありましたよね。うへへへへへ。。。お金を払って飲むコーヒーショップが会社の食堂の一角にあったけれど、そういう所で打ち合わせをしたことが無い。うしししし。。。
それで、その女の子たちと踊った訳ですか?
そうですよう。同じ社員でも見ず知らずの女性と踊るよりは、普段、顔を合わせている女性の方が、やっぱり踊りやすいですよね。
それで、どう言う事があったのですか?
あのねぇ~、僕は学生時代から数えれば、少なくとも200人を越す女性と踊ったと思うのですよう。
それで。。。?
その7人の中に山本恵子さんと言う女性が居たのですよう。この人と踊った時だけ、僕の背後に他のカップルが近づいてくると、僕の肩に置いた手の人差し指だったか?あるいは中指だったか?“すぐ後ろに他のカップルが近づいてきて、ぶつかりそうになっていますよう”。。。まるで僕にそう言うように指先に力を込めて知らせるのですよう。“あっ。。。うしろ。。。うしろ。。。”なんて、言葉で言う女の子も居たけれど、やっぱり、指先で知らせる方が洗練されているような感じで、僕は改めてこの恵子さんを見直したのですよう。
そのような事をするのはデンマンさんのお相手では恵子さんだけだったのですか?
そうなのです。後で話を聞いたら、女子高時代にそうするように先生に教わったと言うのですよう。それがマナーなのかもしれないけれど、僕は教わった事が無いし、それまでに、そのような事をする女性と踊った事が無い。
。。。で、実際に恵子さんは床上手だったのですか?
残念ながら、ベッドの中でお相手をしてもらうような関係にはならなかったのですよ。 本当に残念でした。 でも、上の記事を読み返しながら、恵子さんならば、まず間違いなく床上手だろうと、しみじみと懐かしみながら思い出したと言う訳なのです。
『床上手な女』より
(2008年9月16日)
つまり、この恵子さんと新宿でデートしたのですか?
そのつもりだったのだけれど、当日になって急用ができたので行けないと言ってきたのですよ。
デンマンさんの下心を見透かして遠回りに断ったのですわ。 うふふふふふ。。。
あのねぇ~、そのような下心はありませんでしたよ。
それで一人でブラブラと新宿まで出かけて行ったのですか?
そうです。 新宿でデートするつもりだったので、他にすることが思い浮かばなかったから新宿まで行った。 これからどうしようかと考えながら時間つぶしに本屋に入ったのですよ。
そしたら松本清張さんを見かけたというわけですか?
そうです。 どうせ有名人を見かけるなら松本清張さんよりも原節子さんに会いたかったですよ。 うへへへへへ。。。
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原節子さんが人通りの激しい新宿に行くはずないでしょう!?
どうして。。。?
だってぇ~、小津安二郎監督が亡くなってからは、まるで雲隠れしたように姿を公衆の面前に現さないというもっぱらの評判でしたわ。
確かにそうなんだけれど、いつだったか山手線の電車の中で吊り輪につかまって単行本を読んでいた原節子さんを見たという人の手記をネットで読んだことがありますよ。
きっと他人の空似ですわよ。
ところで、『ウィキペディア』で清張さんの面白いエピソードを見つけました。
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•酒も食事もあまり興味はなく、唯一の趣味はパチンコであった。行きつけの店は西荻窪の駅前にあり、周囲に気づかれないよう変装してパチンコ店に入ったこともあったが、すぐに清張とわかってしまい困ったという。
•人見知りをするところもあり、人との付き合いが下手であったとされる。文壇との関係も薄かった。ただ、無口ではあったが、暗い性格ではなく、身内や馴染みの者に適度に茶目っ気を見せることもあった。
•「ぼくのマドンナ」像を問う企画の際、以下のように述べている。「私のマドンナ像は、いくつかの条件がある。まず、その女性との交流はプラトニックなものでなくてはならない。肉欲を感じさせるものなどもってのほか、あくまでも清純で、処女性を備えている必要がある。次ぎに、その関係は私の側からの片思いでなくてはいけない。相思相愛では、神聖な域にまで高められたイメージも、たちまちにして卑近な現実の無禄と化す。この世では到底思いのかなわぬ高嶺の花 - この隔たりこそ、切ないまでのあこがれをかきたてる要因である。私にとってのマドンナはまた、絶世の美女ではなくてはならない。いやしくもマドンナというからには、普遍化された理想像であって、個性などというものの入り込む余地はないはずだ。美人ではないが気立てのいい女、というのでは、話にならないのである」。
•小説中の女性の描写に関して、瀬戸内寂聴は以下のエピソードを伝えている。清張の執筆量が激増した頃、ある女性と縁ができた。この女性は結婚願望が強かったが、清張は夫人を大切にしていて、離婚は思いも及ばないことであった。しかしその女性はどうしても清張夫人の座が欲しく、あらゆる難題を吹きかけ、手を尽くして自分の欲望を遂げようとした。のちに瀬戸内がその女性を取材した際、女性は悪しざまに清張を罵倒したため、瀬戸内は書く気が失せ、その仕事を降りた。そののち、清張は瀬戸内が書かなかったことへのお礼を述べ、「悪縁でしたね」と言った瀬戸内に、「そうとも言えないんだ。彼女のおかげで、ぼくは悪女というものを初めて識った。あれ以来小説に悪女が書けるようになった。心の中では恩人と思ってるんだ」と答えたという。
•『黒い画集 寒流』『風の視線』『霧の旗』など清張原作の映画に出演しているが、清張は新珠三千代が大のお気に入りであったと言われる。『婦人公論』1962年10月号紙面には清張と2人で登場し、演出家の和田勉によれば、1980年代になっても、良い「若手女優」を清張に尋ねると、清張はすでに50歳となっていた新珠を推してきたという。
•清張との厳しい思い出を語る関係者は多い。「(清張のあからさまな門前払いに遭い)涙を流した」(森村誠一)、「(清張に自分の取材結果を一蹴され)一瞬、殺意を感じましたよ」(郷原宏)。他方、「(清張)先生はジェントルマンなんですよ」(藤井康栄)、「逆境にあったり、虐げられた立場にあったり、コツコツ努力する人間に対しては殊の外暖かい」(林悦子)、「陰口をたたいた者は一人もいなかった」清張邸のお手伝いなど、優しく他人を思いやる人だったと回想する関係者も多い。
•本人が評価していた映画作品は『張込み』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』だけであったという(三作とも脚本は橋本忍)。
出典: 「松本清張」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
変装してパチンコ店に入ったと書いてあるけれど、なまじ変装などして入るから見破られて話しかけられてしまうのですよ。 そのままで入れば、清張さんには近寄りがたいオーラのようなものがあるから、僕のように好奇心が強い男でも、なんとなく避けるものなのですよ。
そうでしょうか?
それにしても清張さんに夢中になってしまった女性が居るというのは意外ですねぇ~。。。 「蓼(たで)食う虫も好き好き」というけれど、マジでそう思いましたよ。
デンマンさん。。。! ご自分のことを考えたらどうですか?
それもそうですねぇ~。。。 顔で判断してはいけませんよね。 うししししし。。。
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