平戸橋(公園前回の続き)
第2民芸館からちょっと行った所に井上家西洋館が建っている。
西洋館の一室
この建物は、現在地に移築される前は市内の井上町井上家の所有であり、
当初は明治時代に開かれた博覧会の迎賓館として竣工しました。
その後名古屋のある角地に移築され銀行として利用された後、
昭和の初めに当地における井上家の初代徳三郎により現在の井上町に移築されました。
保護目的
現在豊田市においては明治時代に遡る洋風建築が残っておらず、従って井上家の西洋館は、豊田市において明治時代の洋風建築様式を伝える唯一の遺構として極めて貴重であり、当西洋館を現在地に移築し、保存を図りました。(豊田市教育委員会)
西洋館の南、広場に設置されている陶製の塑像です。
西洋館の東側、本多記念館の南には窯が設置されており、
陶芸講座などの作品が焼かれます。
この窯場の傍らに「兼近一号窯について」の説明板があったことから考えると、この窯は兼近一号窯を復元したものかと想像したが定かではない。
その説明板に、次のように書いてあった。
兼近一号窯は豊田市高崎町に所在した古窯で昭和55年3月豊田市卸売市場の建設に伴い事前調査がなされました。古窯の年代は出土遺物から平安時代中頃と推定されます。
規模は、長さ約6m、幅は1m~1.3m前後で丘陵の斜面を利用し、窯体半ばは地下に、半ばは地上に露出した半地下式の古窯で、穴窯(あながま)と呼ばれています。
出土遺物は皿、椀などが多く発見され、それらの焼成に使用した三叉トチが多量に出土
しました。また円面硯(えんめんけん)と呼ばれる当時の硯が出土しています。
兼近一号窯は猿投山から西南に延びる丘陵一帯に大量に築窯され日本の古代窯業の一つ
の時代を画した「猿投窯」の一つであります。(豊田市教育委員会)
本多記念館
第1民芸館
好天に恵まれ、色付き始めたモミジが見られ、そして何より、人間国宝の作家たちの
力作に接することができ、幸せな気分になれる一時を過ごすことができた。
尚、今回は第1,2民芸館への入場には、300円を必要とされるが、
普段は無料で見学できる催し物もあるので、是非一度は平戸橋公園を訪れて
見られることをお勧めします。
第2民芸館からちょっと行った所に井上家西洋館が建っている。
西洋館の一室
この建物は、現在地に移築される前は市内の井上町井上家の所有であり、
当初は明治時代に開かれた博覧会の迎賓館として竣工しました。
その後名古屋のある角地に移築され銀行として利用された後、
昭和の初めに当地における井上家の初代徳三郎により現在の井上町に移築されました。
保護目的
現在豊田市においては明治時代に遡る洋風建築が残っておらず、従って井上家の西洋館は、豊田市において明治時代の洋風建築様式を伝える唯一の遺構として極めて貴重であり、当西洋館を現在地に移築し、保存を図りました。(豊田市教育委員会)
西洋館の南、広場に設置されている陶製の塑像です。
西洋館の東側、本多記念館の南には窯が設置されており、
陶芸講座などの作品が焼かれます。
この窯場の傍らに「兼近一号窯について」の説明板があったことから考えると、この窯は兼近一号窯を復元したものかと想像したが定かではない。
その説明板に、次のように書いてあった。
兼近一号窯は豊田市高崎町に所在した古窯で昭和55年3月豊田市卸売市場の建設に伴い事前調査がなされました。古窯の年代は出土遺物から平安時代中頃と推定されます。
規模は、長さ約6m、幅は1m~1.3m前後で丘陵の斜面を利用し、窯体半ばは地下に、半ばは地上に露出した半地下式の古窯で、穴窯(あながま)と呼ばれています。
出土遺物は皿、椀などが多く発見され、それらの焼成に使用した三叉トチが多量に出土
しました。また円面硯(えんめんけん)と呼ばれる当時の硯が出土しています。
兼近一号窯は猿投山から西南に延びる丘陵一帯に大量に築窯され日本の古代窯業の一つ
の時代を画した「猿投窯」の一つであります。(豊田市教育委員会)
本多記念館
第1民芸館
好天に恵まれ、色付き始めたモミジが見られ、そして何より、人間国宝の作家たちの
力作に接することができ、幸せな気分になれる一時を過ごすことができた。
尚、今回は第1,2民芸館への入場には、300円を必要とされるが、
普段は無料で見学できる催し物もあるので、是非一度は平戸橋公園を訪れて
見られることをお勧めします。