やむやむやみー

やみーのやむやむな毎日

「循環」という言葉が好きだ

2013-08-30 11:40:31 | やみーの日常
「循環」という言葉は、私を元気にしてくれる。

WHY?

朝起きた時、水を飲みつつ支度を始める→体内の循環

食材を使って調理する→食物の循環

ゴミを捨てる→物流の循環

食洗機の食器を片付ける→使用する食器の循環

お風呂を洗う→水の循環

他にも洗濯・入浴・トイレ・庭仕事など、「循環」と考えると

なんだかとても意義あることに思える。

ズームアウトすれば、人間、生きてるだけで「循環」の一部なのだ。





こちらもついに発見!

2013-08-27 16:33:54 | やみーの日常
探していたのですよ。これを。

それを見つけたときの快感は、レジまでスキップして

しまいたいくらい。

浄水の効果なんぞなくていいので、ただ蛇口から出る水をシャワー状に

したいだけ。でも100円ショップのでは合わない。。。

汚れが気になってきたときに、いつも買い替えていたのだけど、なぜか

今回は見つからず、取り替えようと思ってからだいぶ経ってしまった。

気に入ったものはやっぱり何個かゲットしておくのが得策なのかな。




おかえり~もう会えないかと思ってたの。。。 

2013-08-26 17:21:10 | おいしいものを食べた~い
こういう半レトルト的なソースは、不経済かな、と思って

あまり買わないのだけど。。。一度買ったこのぺぺ(ロンチーノ)ちゃん

に惚れました。パスタはもちろん、野菜はなんでも合うし、タコなんかも

一緒に炒めると最高。お弁当であと一品なんて急ぐ時、よく助けてもらって

いました。なのに!!!


突然あなたは売り場から消えてしまった。

なんのお知らせもないまま・・・

「あたし、これからどーしたらいいの?」棚の前でボーゼンとしたわ。

そしていないと分かってても、つい確認する日々。

そしたら!!!

一昨日、あなたは帰ってきた!「新商品」なんて赤い札をつけられて。

違う違う!あなたは新商品なんかじゃない。

私は知ってるの。

おかえりなさ~いっ!


「武士の家計簿」 監督 森田芳光

2013-08-25 08:45:47 | ミルミル ネタバレチュウイ!!!
とっても興味があるテーマなのだが、

堺雅人の奥さんが仲間由紀恵、というキャストを見て、

こりゃテレビでやったときにでも(映画館ではなく)見るか・・・

と思い、見送った映画だった。

そしてテレビ欄で発見、録画した。

だが。。。残念ながら違和感が消えないままエンドロール。


仲間由紀恵のちっとも老けない、老け役も許そう。

弁当がおいしそう、と同僚が言うのは要するに「豪華だ」という
意味なのに、「奥の手作りだから」と(現代ならコンビニ弁当とは
違って、という意味で捉えられるが)変な回答をするのも許そう。

決定的な理由のない借金のためにあれだけ苦心したのに、完済した
瞬間は描かれていないことも許そう。

どう見てもそりゃ重くって、回想する余裕なんかないでしょ、という
息子が父をおんぶするラストシーン、も許そう。

しかーし!!!
これだけ話の展開を素早くしたのに、結果的にそれはどこに重点を置くため
だったのか、まったく分からない。
流れるだけのストーリーなら、「こう感じてね」という気合いをもう少し
控えめにしてくれたらよかったのに。
「倹約」は現代でも身近なテーマだ。
だからこそありきたりの工夫を見せられても物足りない。
「清貧」なんて言葉がある日本ならではの、現代人がハッとするような
感覚を知りたかったのになあ。

以上。勝手な感想。




つながり読書33 「寺田寅彦集」 メモ

2013-08-22 22:16:34 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
頭の良し悪し、に関してもう一つあった。

「科学者とあたま」より

「頭のいい人は見通しが利くだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。

 少くも自分でさう云ふ気がする。その為にややもすると前進する勇気を沮喪

 しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっている為に却って楽観的である。

 さうして難関に出遭っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも

 抜けられない難関といふのは極めて稀だからである。」

つながり読書33 「寺田寅彦集」 メモ

2013-08-21 22:17:26 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
☆団栗・・・私が初めて読んだ寺田寅彦の文章。
      病気で身重の奥さんと植物園に行く、決して明るくない話なのだが、
      淡々と必要な言葉が短い文の中に組み込まれている印象。
      ああ~人間の記憶に残るのは、こんな何気ないことなのよね、と思える。
      飾らない回想は、その他の作品にも多く共通する。

☆自画像・・・「比較的な言葉に意味があらう筈はなかった。画家の数は幾万人
        あっても自分は一人しか居ないのであった。」

       絵を描き始めたときの感想なのだが、これは寺田寅彦の芯にいつも
       あったのではないか?他の誰かがどう評価するかどうかにとらわれない
       ということだ。

       それは「科学者とあたま」のこの部分にもある。
       頭のいい人が最初からダメと決めてやらぬことを、頭の悪い人が
       一生懸命やる、という前置きの後、

       「やっと、それが駄目と分かる頃には、併し大抵何かしら駄目でない
        他のものの糸口を取り上げて居る。」
      
       これにはちょっと勇気づけられるけど、その糸口を取り上げられる人が、
       結局、頭のいい人だと思う。
       「自画像」の製作過程にこれほどの内容がつまっていることは
       読んで初めて知った。

☆忘備録 夏・・・「冬を享楽するのには健康な金持ちでなければ出来ない」
         「夏は貧血症の貧乏人の楽園であり自然の子の天地である」

        気温の高いときは、体のすみずみに血液がまわるかわり、脳は軽い貧血
        状態になり少しぼんやりする気分、がどうやら気持ちの良いものだった
        らしい。そーか、ふだん頭を使い過ぎちゃう人が頭を鈍感にしよう、と
        するのは難しいことなんだ。絶対音感がある人が、聞こえる音にすべて
        反応してしまって疲れるのと同じ???

☆忘備録
 線香花火・・・線香花火をベートーヴェンのソナタと表現すること、金米糖の形を物理学的な
 金米糖    視点から入って生命の起源に行き着く・・・
        すべては理解できないけど、日常にある不思議、それらは誰も突き詰めて考えよう
        としていないものがたくさんあり、もし、それを研究し続けたなら、見たこともない
        新しい花が見られるかもよ、と言われてるように感じた。
        ただ、どんな情報も、PC一つで短時間で分かる現代、「これについてはまだ誰も研究
        してないので分かりません」という事態に遭遇しない。ということは、不思議!と思う
        アンテナの感度次第なのかもしれない。

☆鉛をかじる虫・・・鉛をかじって鉛の糞をする虫。
          無意味だとその虫を笑えるのか?
          実際人間もそうやって生きてるじゃないのか?
          というような内容。
          やっぱりこれを読むと、寺田寅彦という人は自分の頭が働き過ぎる
          ことを自覚していて、そっちばかりに行き過ぎないように注意して
          いるように見える。頭が働かないフリをすることで、違う感じ方を
          しようとしているような・・・

          
 


寝てる間にはみ出したボック

2013-08-21 18:16:46 | ボックと暮らす
ボックの安心寝床スペースの囲いが、彼の圧力で開いてしまう

ことがよくある。でも彼は開いてしまった場所をボオッと眺めるだけで

そこから出ない。おりこうとも言えるが、ただ単にいつもの場所じゃない所

からは出たくない、つまりビビリ犬ならでは、とも言える。

今日は昼寝中に開いてしまったらしく・・・しかもたぶん冷たい床が

気持よかったんだろう、と思われます。ちなみにここまで体がはみ出しても、

起きてわざわざ寝床側に帰ります。。。おかしなボック。




つながり読書33 「寺田寅彦集」

2013-08-21 17:43:08 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
漱石の門下生特集、のような本を見つけた。

その中から、漱石熊本においての教師時代の教え子、寺田寅彦。

ずば抜けた秀才であり、漱石の評価は高く、「三四郎」の野々宮は

彼がモデルであるらしい。

専門は物理。自然科学者でありながら、

「科学と文学を調和させた随筆を多く残している。」

これはどの作品にも感じるのだが、どうしても加えたいのは

ときどきフフッと笑いたくなるユーモアがあることだ。

宇宙人の存在を信じていない様な人は科学者にはなれない、

というような意味のことばをどこかで聞いたことがあるが、

寺田寅彦という人を知るほど、それは本当だとうなずける。





       




夏休み最終日 読書感想文を最後まで残した息子、の図

2013-08-19 15:27:05 | 息子
「いやあーちょっと見誤った・・・かな」(宿題にかかる労力と時間について)

と、言いつつ(2,3日前)最終日に感想文を残した息子。

前々日はその他のためこんだ宿題を夜中までやって仕上げていた。

なにしろ最終日だし、推敲なんちゅう作業する確率はゼロだと思っていたが・・・

「うーん、ここまでどうかなあ?この先どうしようかなあ?」と相談に来るので

「これ、前にも言っててくどいから消して、スッキリさせて・・・で、この文は

 これに対する説明で・・・ふむ・・・で、どこに向かおうとしてるんですかね?」

「それがねー、分かんないだよ~」。

そして二人で可能性を探った後、また書き書き・・・

「さっきのとこまでスッキリさせたよ~どうかなあ?」

と、持って来るので次は細部の手直し後、また書き書き・・・

「続き、これで行こうと思うんだ。だから大幅な修正はしないけど、読んで」

などという過程を経てやっと完成!!!


自分のことを思えば、作文を親になんか見せたらメンドーなだけだから絶対に

見せない。けなされない代わりほめられもしない。

親の考え丸写しでは意味がないけど、こういう表現がある、とか君はこの部分を

どう考えるか説明したらいいんじゃない?というアドバイスはできる。

今まではわりとこの類のアドバイスをしても、本人の根気が続かない場合が多かったけど

今回完成するまで向き合える手伝いができたのは、彼の成長、と呼べるだろう。