「歴史」について考える
当ブログ村で有名な師観さんが
という記事を書かれています。
師観さんが取り上げた、「再臨論」の問題点は、数多くの日本食口が疑問を呈している内容です。
以前から「原理講論」の記述、中でも再臨論の日本に関係する記述には問題が多くあることが指摘されてきています。
今回、師観さんが指摘された「韓国がメシアを迎え得る国となるためには、原理的に見て、天宙的なカナン復帰のための「40日サタン分立の民族的な基台」を立てなければならないのである。」との記述で日韓併合時代をそれに相当するものとする記述には異論が多い内容です。
むしろ日本統治下だったから再臨主の誕生が可能になったのでは?との意見も多く聞かれます。
原理の骨子を書かれたのはもちろん、真のお父様、文鮮明先生です。しかしその原理を纏めて「原理講論」を著述したのは劉孝元先生です。
最近聞いたのは、劉先生は歴史があまり得意ではなかったので、最後の再臨論などの部分は別の歴史に得意とされる先生が書かれた。ということです。
そのあたりの真偽はわかりませんが、さもありなんとも思います。
誤った歴史認識が現実に
問題は韓国の先生方、そして日本の韓国贔屓の先生方に、「日本はサタン側の国、だからとこまでも韓国に償いをしなければならない」式の思考がいまだに根強く残っていると言うことです。
日本を殊更に蔑視する韓国人食口もあります。
真のお父様は「韓日国」という表現も使われて、韓国と日本の一体化を叫ばれました。日本の食口、婦人たちをこよなく愛されて実体的韓日一体を実現するべく歩まれました。
日本食口を積極的に用いて摂理を進められました。(お父様が初期の摂理で最も用いられた日本人食口が先に聖和された神山先生でした。)
韓日、日韓の交叉祝福を進められ極めて数多くの韓日日韓家庭が両国で活躍中です。
韓国と日本、そしてその関係史
そこで・・・・・ 歴史認識の問題に入ります。
統一史観の原則から見た、本来的な韓国と日本、そしてその関係はいかなるものなのだろうか?ということです。
原理講論の記述が100%正しいものではないことは、すでにお父様ご自身が認めておられます。それでもお父様は「原理講論」を書き換えることはしない。ともおっしゃいました。
それは、原理講論が、「原理(=真理)」を教える教科書の一つだからです。
いかなる教科書も、その部分を取ってみれば、その書かれた時代の常識や根拠となる資料の限界性から部分的には誤謬が含まれている可能性はいくらでもあるでしょう。例えば科学の教科書などでも同様です。書かれた当時は適切な説明であったものが時代の変遷と、新しく発見された科学的事実などから、書き変えられたり修正されたりすることは当然ありうることです。
歴史に関する事項などはその最たるものです。
いつまでも古い時代の記述に固執することは「教条主義」とも呼ばれるものになります。
管理人も関心を持ち続けて来た「歴史」
さて、HOPE管理人も、「歴史」には関心を払ってまいりました。
特に、半島と日本列島との関係史には深い関心を持ち続けてきました。
かといって、この問題はあまりにも「歴史」自体の溝が深く、なかなか真実に行きあたることは難しいテーマです。
それでも、私なりに理解してきたことがあります。
それは、神様の摂理の在り方です。
神様がどのように人類歴史を導いてこられたかということには原則があります。その基本の大筋を明快にまとめたのが「復帰原理」であり、統一史観と呼ばれるものです。
その原則に立ちながら。ひとつ「歴史」というものを見つめなおしてみたいと思います。
このブログ読者の方の中のかなりの方が、そのことに関心をお持ちでしょう。
小生は極端な推論は嫌いな方です。しかし時には極端と思われるような見解が、思考の可能性を広げることもあります。
徒然にこのテーマで記事を書いてみようと思っています。
皆様の見解の披歴や、このテーマへの参画を期待しています。
真摯に「歴史」に取り組むことが、様々な現実の問題解決や、未来の展望の拡大に役立つことは間違いないでしょう。