HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

教団の命取りにつながる愚かしい公文・・・神山先生のメモリアル行事に際して

2017-03-21 23:55:34 | 統一家の行くべき道

故神山威会長の追慕100日のメモリアル行事が滞りなく行われたことが「今日のみ言訓読友の会」のページで報告されています。

神の心情を知る私たち(3月21日)<恩恵に満ちた100日メモリアル無事に終了>

 「笑いと涙に溢れた恩恵深い式典」だったと報告されています。いずれ映像などを通して詳細の報告がされるということですので、当日参加できなかった者たちもその報告を楽しみに待ちたいと思います。

呆れた公文
 それにしても、今回のメモリアルの直前に出された教会の公文にはあきれました。故人への尊敬も畏怖の念も全く感じられない、ただただ限られた党派心だけが見え見えの愚かしい公文でした。
 一目見て違和感を感じた人があまりにも多かったようです。それほど神山先生は日本の兄弟から慕われ尊敬され、真のお父様の心情に最も近く寄り添った方であることが改めて証明される形となりました。
 どうやら、教会員たちが神山先生追慕の集会に参加しないようにしたつもりが,かえってその思いを募らせる結果となってしまったようです。

大激動の時代に開催されたフィリピン大会
 いま世界は再び大激動の時代を迎えています。真のお父様が生涯の目標の一つとして取り組んでこられた南北統一の悲願は、幾たびもそのチャンスの時がありながら、その時を逸して今日に至っています。そして今、半島情勢は再び緊迫の時を迎えています。そのようなときに顕進様はフィリピンでワンコリアの大会を開催されたのです。

 この大会を教会はUCI(いわゆる郭グループ)の大会である。と断定して公文を流しました。しかしその大会に参加した人から見れば、その大会の実体が決して教会サイドでいうような一分派の集会という次元のものでは全くなかったことを如実に知ることとなりました。参加しなった人たちもその大会の報告を聞いたり目にしたりして、「ああ教会ではフィリピンの大会がUCI(いわゆる郭グループ)の大会だと宣伝していたけれども、全く違っていたなあ。顕進様と顕進様に従っている人たちは真のお父様に反逆して出て行った人たちだと思っていたけれど、実際には全く違っていて、顕進様こそ真のお父様の言っておられたことやっておられたことをその通りに継承されている方なんだなあ。」ということを実感してしまったのです。

神山会長のメモリアルに「参加するな!」の公文
 だから、その後の神山先生の追慕のメモリアル集会にいかにも「参加するな!」という公文を見て激しい違和感を感じて、教会本部が何を考え、何を行おうとしているかということの真実と事実の姿を見てしまったのです。
 フィリピンの大会に参加した牧会者やCARPのリーダーに対する不明朗な人事処置も多くの疑問を投げかけました。参加した教会員や牧会者、青年リーダー、二世たちは、顕進様のなさっておられる活動に、統一運動本来の姿を見ることが出来ました。その晴れやかな活動の姿に比して、現実の家庭連合の沈鬱な教会の実体がまざまざと明らかになってきました。真のお母様の「独生女論」に振り回されて、本来の真理探究と善を求める教会の姿が喪失してしまっている現状をはっきり見てしまったのです。

宗教団体のあるべき姿とは
 宗教団体のあるべき姿とはどのようなものなのでしょうか?宗教には当然その教団の教理や様々な宗教儀式や活動があります。それらすべての根源にあるのは、より高い真理を求め善を求め人間の本質を求める求道の道があります。偉大な宗教家と言われる人たちはそのような道を行かれたのです。宗教団体はそのほとんどがそのような偉大な宗教家の教えや指導によって人間の本性を開発し、心がけを改め、より善なる生活実践をすることで、より本心の願いにかなった人生行路を歩むようになり、そのことで救いを得るのがその本来あるべき姿です。
 決して個人を崇拝して、個人を神様のように崇めて何かの目的を果たしていこうとするものではありません。多くの場合偉大な宗教家というのはそのほとんどの人々が無私の人々です。決して自らの栄誉とか利害を求める人ではありませんでした。統一教会(家庭連合)を創始した真のお父様、文鮮明先生もそのようなお方でした。だからこそ、多くの賛同者、多くの信徒を得て世界的活動をするようになり、20世紀から21世紀にかけての世界の中で偉大な業績を残してきたのです。

蔑ろにされて来た文鮮明先生の思想や精神
 しかしそのような統一教会(家庭連合)がそのような文鮮明先生の精神や思想を蔑ろにして、単純に文鮮明先生ご夫妻を神様だとして神格化してその名を崇めるだけの教団になってしまったとするならば、それは宗教団体としての本来の姿から逸脱するもので、いずれ信徒もその心を失い、教団から離脱の道を歩むようになることは如何ともしがたいことでしょう。
宗教団体というのはその精神を受け継ぐ者こそが本当の継承者であり、神の名の下で人類を救済する先頭に立つものだからです。

「顕進について行くな!」とお父様が言われたのは?
 今日統一教団では真のお父様が「顕進にはついて行くな!」と言われたボート会議でお父様が語られたとする言葉を根拠にすべての信徒に「顕進様は分派だ、ついて行ってはいけない!」と叫んでいます。しかし、全ては結実した実が証明します。「お父様がついて行くな!と言われた。」と言われ続けてきた顕進様が、その後どのような歩みをなされ、どのような結実を得られたのでしょうか?その結実を見ればすべてがわかるのです。
 当ブログで「逆理の道」という記事を書いたことがあります。お父様は何故顕進様を追放するかのごとき発言や行動をとられたのか?それは「逆理の道」だったと、述べました。
 逆理だから逆さまです。前進していくのではなく、バックにギアをいれ後退していくのです。何故そうするのか、それは迷い道に入り込んでしまったからです。

2008年~2009年の統一家の姿が全てを物語る
 もうすでに多くの方々が明らかにされていますが、2008年~2009年ころの統一家の状況がすべてを物語っています。顕進様を全面的に父子協助時代としてその使命を継承されていた真のお父様が何故に、その歩みをストップされたのでしょうか?それは神の摂理に対する重大な妨害と謀略がそこに行われていたことが明らかにされてきています。
 その激しい妨害の道を避けていったん引いて再び前進の道を見出すための逆理の道だったのです。だから「顕進について行くな!」というのは、その限られたときの状況でのお父様の発言であり、またそれはすべての祝福家庭に対して言われた言葉でもなく、神の摂理に反逆して障害になっているその時の幹部たちに語られて言葉だったことが今にしてはっきりわかるわけです。

顕進様の行かれた道
 確かに顕進様は一時孤独な道を行かれましたが、その道をすべて勝利されて、再び復帰摂理の道を、お父様が生涯かけて成し遂げようとされ成し遂げることが出来ずに終わったすべてのことを再び成就するそのことのために邁進をしておられるのです。
 ですから今は再びすべての祝福家庭は顕進様を中心として結束し、一つになり本来あるべき基元節実現のために邁進していかなければならない時に来ているのです。当然、そのなさるべき重要課題の一つが南北統一です。

波乱の南北情勢の中で
 北の金正恩体制の暴走の中で、また韓国は朴大統領の弾劾とその後予想される左翼系政権の成立の中で南北統一はさらに遠のき、却って大動乱、大騒乱の危険性が懸念されている現状です。このような現状を誰がどのように打開していくのか?かつて1980年代の末、東西の対立と南北の対立の激化する中で真のお父様、文鮮明先生が劇的な打開の突破口を開かれて、東西冷戦の終結に多大な貢献をされたことは歴史の事実として残っています。
 今また同様の時代背景の中で、顕進様は新しい平和の手法で、南北統一と世界平和実現に向けての強力なアプローチをしていかれているのです。
 事実を見ればすべてがわかります。

目覚めるべき時
 全ての統一食口は目覚める時がやってきました。そして、現実に目覚めて行っているのです。
 「愚かしい公文」と書きました。必死で教会本部を守ろうとしている教会幹部やスタッフには失礼な言葉かもしれません。しかしそれは事実です。
 教会員たちを誤った道に引き入れる役目を教会幹部がなしてしまってはいけません。
 信教の自由、思想信条の自由は教団内部においてこそ保障されなければなりません。そのためにも教団の教理は明確に規定されて行かなければなりません。矛盾した教理を掲げれば矛盾した教団運営がなされ、当然の結果として教団は分裂状態に陥るのです。さもなくば、特定の個人を神格化して教団運営をすれば、その個人が絶対的神様と一致した歩みをなしている時はいいけれども一歩過てば、本来の筋道を離れ、宗教本来の姿からも逸脱する危険性をはらんでいるのです。

本来自由であるべき宗教
 だから宗教は基本的に入るのも出るのも自由でなければならないのです。
 宗教団体がその構成員に、その教団の特定の教理や活動の方向性に規制を加え強制を伴うようになれば、その教団は閉鎖的な思想集団となり、社会からも危険な存在として存続を許されなくなるのです。
 先の公文はまさにそのような危険性を孕んだ極めて危険な公文だと言わざるを得ません。
幸いにも多くの教会員がその過ちに気づいて声をあげ行動を起こしつつあります。そのことが健全に行われるならば、教団再生の道は生まれてくることでしょう。もしやそれが出来なければ多くの狂信化した宗教集団が迎えたような末路に向かって進んでいくしかないのではないでしょうか。

異常な公文・・・あまりにもの違和感に憤激の声

2017-03-21 06:04:00 | 統一家の行くべき道

神山会長のメモリアルに「行くな!」の公文が問題になっている。全国の教会に流された公文は末端の教会員にもメールで配信された。その内容を読んだ多くの食口がその内容のあまりにも異常なことに違和感を覚え憤激の声が上がっている。ある壮年の方から「これはなんだ!あれほどお父様のみ前に貢献し精誠を尽くされた神山先生を除名したことだけでなく、聖和された後まで泥を塗る非礼な態度は許せない!」、この方は顕進様の活動に全面的に参与しているわけではない、ごく普通の生真面目な教会員の方である。正直、現場の責任者や担当者も「このような内容の公文を果たして流していいのやら」と躊躇していたようである。本部からの通達だからと一方的に流したようだが、末端の食口の間では、まさかそこまでは・・・と疑問の声が大きくなってきている。

はっきり言って誰が見てもおかしな公文である。かつて徳野会長は前回日本会長時代に「コンプライアンス(法令順守)」を強調していた。はっきり言ってこのような文書を公式に流すとは明らかに、組織の健全度において限りなく黒に近い内容である。何人と言えども個々人の信仰や信念に介入することは許されない。たとえそれがある一定の教義を擁する宗教団体でも同様である。中には多宗派、他宗教との交流を禁忌する教団もあるが、それはごく一部である。しかもそれは教義上の問題である。初めから他宗教とは交わらないことを明確にしている。そういう観点から見れば、家庭連合は創始者の文鮮明先生からして、他宗教との交流や和合を積極的に行ってきた教団である。その教団が同じ志をもって歩んだ大先輩の葬儀や慰霊の場に信徒が参加することを公式的に抑制するようなことはあまりにも非礼であり、非常識である。品性も感性も宗教性も欠落していると言わざるを得ない。

表向き口には出さずとも大半の教会食口は同様のことを考えているだろう。現教会幹部のあまりにも異常な行動は何らかの問題提起がなされて行かざるを得ないであろう。今すぐにでも、方向性と態度を改めて健全な組織の姿に回復しなければ、某大企業ではないが致命的なダメージがやってくることは避けられないであろう。信徒の信仰は厳に守られなければならないものなのである。

 


「実行役の4人はすでに消された」着々と次の攻撃の準備が進む・・・北朝鮮の内情が伝えられる

2017-03-21 04:45:45 | 統一家の行くべき道

北朝鮮高官が初証言!金正男暗殺「実行役の4人はすでに消された」

すでに実行犯4人は粛清、前マレーシア大使も消されたもよう、金元弘国家保衛相も国家保衛省の側近の部下たちとともに処刑。 幹部や側近の粛清が粛々と続いている。

さらに北は着々と次の攻撃の準備を行っている。

「太陽節(4月15日の故・金日成主席の誕生日)の祝日までに、米帝に対抗するため、世界に轟く『二つの大事業』を抜かりなく準備しておくようにというのが、元帥様の指示だ。

それは第一に、6回目の核実験だ。わが国の核兵器はすでに小型化し、核弾頭としてミサイルに搭載できるレベルまで達していることを、改めて見せつける。

もう一つは、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験だ。巨大なミサイルを太平洋に向けて撃ち、ハワイの向こうまで届くことに、世界は驚愕するだろう」 (ブログ記事より)

抜かりなく準備を進める北朝鮮に抜かりなく対応する準備を進めなければならないのが「米帝」だが、これは問題ないだろう。問題は周辺国である。日本と「南」はどうするのか!まずは内的に責任を負わなければならないのが統一家です。

文鮮明先生はこれまでいつも国際情勢の危機の時には直接に行動されてきました。明確な摂理的観点と現実的視点に基づいて・・・

長子としての使命をしっかりと受け継いで世界に責任を持っていかれる子女様を勝手な論理でいまだに排除している教会幹部は何者でしょう?

情勢緊迫の中、安保問題や国民生活の緊急課題そっちのけで、わけのわからない学園問題で予算委員会を浪費させている某野党とよく似ています。

国家緊迫のさなか、大統領を辞めさせ、最も連携しなければならない日本との信頼を破綻させようとする韓国の政党人やマスコミも同様です。

暴虐行為に走る北と背後で虎視眈々と混乱に乗じて半島と列島を呑みつくそうとしている共産党中国の工作にあっているかの如くです。

「許せ!愛せ!団結せよ!」の言葉を最後に遺していかれた神山会長のメモリアルに、公文まで流して参加を妨害して統一家の分断を固定化させようとするのは、北と共産党中国の意を汲んだものと思われても仕方がないでしょう。

神の意図から完全にかい離したものの行動としか思えません。反省して悔い改めなければ国家国民とともに当然教団員ももろとも破綻の危機に瀕しているのです。