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東京大学名誉教授・渡辺浩氏の勘違い

2017-05-21 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 5月21日(日)09時10分53秒

>筆綾丸さん
『帝室制度史』第六巻を確認してみました。
また、藤田覚氏が『近世制度史と天皇』(吉川弘文館、1999)の「第八章 天皇号の再興」において、『幕末の天皇』(講談社選書メチエ、1994)の「第三章 天皇権威の強化策」「6 天皇号の再興」の内容について若干の補充を行なっていることにも気づきました。
結論として、筆綾丸さんが14日の投稿「marigot としての宗教」で引用された『東アジアの王権と思想』の、

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 十三世紀初期から十八世紀末までの日本には、ある意味で、天皇は存在しない。順徳天皇(在位 承元四・一二一〇年ー承久三・一二二一年)以来、天保十一年(一八四〇)に光格天皇(在位 安永八・一七七九年ー文化十四・一八一七年)の諡号が復活するまで、「天皇」の号は、生前にも死後にも正式には用いられなかったからである。彼等は、在位中は「禁裏(様)」「禁中(様)」「天子(様)」「当今」「主上」等と、退位後は「仙洞」「新院」「本院」等と、そして、没後は例えば「後水尾院」「桜町院」「桃園院」と呼ばれた。前掲『大日本永代節用無尽蔵』(嘉永二年再刻)の「本朝年代要覧」も、光格・仁孝以前は(古代とそれ以降の順徳等少数の「天皇」を除き)、「何々院」と忠実に記載している。江戸時代人は、「後水尾天皇」などとは、言わなかったのである。(『東アジアの王権と思想』(1997年 初版 7頁)
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は渡辺浩氏の単なる勘違い、それも複数の勘違いの詰め合わせですね。
丸山眞男の直弟子で、かつて東大法学部で日本政治思想史講座を担当されていて、何か国語できるのか分からないほどの秀才の方に対して私のような素人があれこれ言うのも気が引けるのですが、ま、要するに渡辺浩氏は『帝室制度史』の内容を正確に理解できなかったようです。
また、『近世政治史と天皇』の「あとがき」を読むと、藤田覚氏はもともと公家社会などには全然興味がなかった人なんですね。
しかし、そんな藤田氏が昭和天皇崩御の「Xデー」が話題になりつつあった時期に、歴史学研究会大会での発表準備を兼ねて公家社会の俄か勉強を始めたところ、予想外に面白い事実が次々に現れ、その成果を高揚した気分の中で一気に纏めたのが『幕末の天皇』だったみたいです。
そのため『幕末の天皇』の「天皇号の再興」には分析の粗い部分があり、それを少し頭を冷やして反省し、専門家向けの論文に仕立て直したのが「第八章 天皇号の再興」のようですね。
今日はこれから外出するので、続きはまた後で書きます。

帝室制度史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%AE%A4%E5%88%B6%E5%BA%A6%E5%8F%B2
『帝室制度史』第六巻(国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444676

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「上皇の側近と院の近臣」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8893
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