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「院号であれば、天皇も将軍も、そして庶民も同列」

2017-05-19 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 5月19日(金)23時40分4秒

>筆綾丸さん
私も『幕末の天皇』(講談社学術文庫、2013)を見てみました。
筆綾丸さんが14日の投稿「marigot としての宗教」で引用された『東アジアの王権と思想』の本文に対応する注(33)、即ち、

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(33)天皇に関する以上の叙述については、帝国学士院編『帝室制度史』第六巻(帝国学士院、一九四五年)第四章第四節、児玉幸多編『日本史小百科八 天皇』(近藤出版社、一九七八年)、八二-八三頁、藤田覚『幕末の天皇』(講談社、一九九四年)、一二九-一三五頁参照。特に藤田氏は、中井竹山にも触れ、この事態とその変革の意味を的確に指摘している。
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の最後の一文に対応する『幕末の天皇』の記述を見ると、復古への苛烈な意志や仏教への嫌悪などは特に伺われず、要するに院号がインフレ化してしまって安っぽくなったから高貴な感じがする「天皇」号に戻しましょう、程度のことなんですね。
念のため正確に引用してみると(p141以下)、

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 諡号・天皇号の復活にはどのような意味があるのだろうか。十八世紀の著名な儒者である中井竹山の意見を聴いてみることにしよう。竹山はその代表作『草茅危言』のなかで、「天皇の文字を廃せらること嘆ずべき也」と慨嘆している(『日本経済大典』第二十三巻、三二五頁)。院号というものは、大名から庶民までが用いているものなので、「極尊」である天皇にはふさわしくない、というのである。
 神惟孝という人も、『草茅危言摘議』(同前第三十八巻、五〇二頁。天保十二<一八四一>年ころの著作)のなかで、院号は「上下貴賤の隔て」もなく恐れ多いことだと書いている。そこから竹山も神も、「極尊」にふさわしいのは「天皇」号なのだから、「天皇」号を復活させるべきだという結論になる。また、竹山と神は、いままで院号をおくられた天皇にも「天皇」号を追贈すべきだと主張し、竹山はその際は元号を諡号─「元号+天皇」─としておくることを提案している。ちなみに、竹山の「元号+天皇」案は、明治時代に入って実現し、明治天皇以来現在まで続いていることを付けくわえておこう。
 江戸時代は裕福であれば町人・百姓身分の者でも、戒名に院号をつけることができた。また、諸大名、さらにはたとえば八代将軍徳川吉宗が「有徳院」とおくられているように、将軍も院号をつけている。院号であれば、天皇も将軍も、そして庶民も同列ということになる。その状態から抜け出し、将軍よりも上位の、そして日本国の「極尊」であることを明示する称号こそ、「天皇」号であった。それ故、「天皇」号の復活は、天皇が日本国において「極尊」であり、特別な権威的存在であることを宣言したものといえよう。これにより天皇は、大政委任論により政治の正統性、政治権限の源泉という位置づけを与えられたが、さらにそれにふさわしい称号も復活させたことになる。
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ということで、藤田覚氏の気合の入った文章にも拘らず、まあ、些か拍子抜けの感がなきにしもあらずです。
順徳天皇云々については帝国学士院編『帝室制度史』を見た方がよさそうですね。

中井竹山(1730-1804)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E7%AB%B9%E5%B1%B1

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「天皇の号が此度世に出て」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/8889

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