Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

東大寺(金剛力士[仁王]像)vol.2

2004-12-14 | 仏欲万歳
 さて、仁王像の役割と通例が判ったところで、今日は東大寺南大門に住まう彼らの相貌、印象に移る。本来、この主観的部分を徒然雑記の肝としているので、本編が二部に分かれてしまうことをどうぞご容赦願いたい。

 東大寺の仁王の突出する点は、とにかくその大きさ。それを収める箱である南大門が一層大きいわけで、門を通過する我々をほぼ真上の至近距離から見下ろす迫力といったらどうだ。
造形という点では、興福寺のそれ(写真)のほうが優れていると思うのだが、それは等身より少し小柄なサイズであるからできること。それを巨大に拡大すれば東大寺の仁王が持つパワーを有するかといえばそう簡単ではない。

そのサイズと我々が見上げる距離、角度を計算して人体のパースが意図的に歪められているのである。要するに、頭でっかちで胴長短足なのである。ほぼ角度のない、真下に近いところから見上げる場合、正しいバランスで作ると8m先の頭部は小さくなる。上半身も遠く、真横から見るよりは華奢に見えるはずだ。しかしそれではどどんとした迫力が失われてしまう。ゆえに頭は大きく、顔のパーツも派手に大きくなる。胴の長さに至っては、作成中にも試行錯誤を経たらしく、へその位置が最初に予定したよりも下のほうに(胴がより長くなるように)修正されているのである。見上げられることで威厳を増し、片手をかざし、あるいはくわっと口をあけて見得を切り続ける最強の守護神は、大胆かつ繊細な計算し尽されたバランスの上に今も立ち続けている。

 仁王像が現存している寺においては、中門や南大門とともに本来の役割を担うかたちで居ることが多く、その姿はかなり当初のあり方に近いと考えられる。しかしそれから数百年を経ている現在では、廃仏毀釈や仏堂の消失、あるいは仏像の寺から寺への移動(流浪?)などによって、仏像たちが本来のお堂に居なかったり、本来の組み合わせと異なった状態で配置されていることも多くある。(阿弥陀三尊が揃っていてもサイズのバランスがおかしかったり、時には脇侍の組み合わせが違っていたり)。また、仏像が「美術品」ではなかった時代と現在とでは、照明の種類や当て方が異なっているであろうし、より見よい状態にする為にかつてよりも低い位置に置かれていることもあるだろう。
 
 少しばかり知識のある人が見た場合には、バランスがおかしい=本来の組み合わせではない、人体のパースが不自然=本来はもっと高い位置にあったはず、等等々、現在の「場」と仏像本体との関係性や拝観者との位置関係などから些細な情報を得、そこからその仏像が昔々に置かれていたであろう当時の「場」を推測することもある程度は可能だ。お堂にあるからといってそこが彼らに本来意図された場であるとは限らず、そのことはあまり重要視されているとも思えない。

 そこで、それぞれの仏像が本来持っていた空間構成、場というものが正しくはどのようなものであったか、それがどれだけ現在に不完全な形で残っているにせよ、それを想像する手掛かりのようなものを見る人々に提供することができれば望ましいのに、と思ったりする。それはミニチュアであれ、ジオラマであれ、デジタル3Dのようなものでも構わない。現在は失われ、二度と戻らない彼らの場を追体験するひとつの仕組みとして、仏像単体の細部や建造物の構造などの詳細に終始する模型ではなく、また平城宮のような実物大の復元でもない、仮想空間体験&情報提供システムがあったら素敵だろうなぁ。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (似非紳士)
2004-12-20 16:26:22
どうもはじめまして、似非紳士ともうします。

えっと・・・営業にきましたw

(金は取らないですがね)



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