Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

東大寺へ

2014-03-22 17:18:02 | Weblog

天気もそこそこなので奈良に行くことに。
しかし近鉄電車は途中二つ先の駅で人身事故発生で、車内で小一時間待ち。
二時間近く掛かって奈良に着くと、すぐに霰がバラバラ…
だいぶん気がめげたが寒いなか東大寺に行ってきました。
見たくもない鹿の群れを避けながら大仏殿に至る頃に少しずつ天気も回復。
大仏殿のある伽藍にたった一本の紅梅が満開。ちょっと良い写真になりました。
大仏の裏の柱くぐりの所でおしゃれな帽子を被った欧米人の娘が並んでいたので「余録、余録」と彼女の番になるまで暫待って、スマホ動画を撮り、身体をくねらせながら無事くぐり抜けたのを早速Facebookに投稿。
彼女にメールアドレス聞いて送ってやれば良い日本旅行の記念になったのに…
等とバカな妄想。
しかしここの鹿はせんべいしか食っとらんから肉はパサパサで不味かろう…
と愚かな妄想。
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先輩達と新橋で

2014-03-19 18:15:49 | Weblog

先日人形町の行き付けでA先輩が店に現れたと聞いて早速メール。もう一人I先輩を誘って頂いて新橋の烏森神社近くの焼き鳥で一献。
私を含めて皆相応に齢を重ねているがAさんは体型も変わらず髪の量も余り変わらず若々しい。J社定年後の公的機関の5年の勤めを終えて五ヶ月位ブランクがあったようだが再度フルタイムの仕事に復帰、昔同様飄々した物腰で、つくづく仕事があるのは最大の老化予防法かと。
私もなぁ…仕事に恵まれているのは有り難いが、今の感じじゃおいそれロンドンもニューヨークも行けそうにない
一方Iさんは土捻り三昧の生活だが最近もインドネシアにいってきたらしいし…
此方を立てれば彼方が立たず…
でも私は当分は現状追認路線か…
I先輩は写真は勘弁との事で「手だけ!」と写しました。実際は半分写ってしまってますがご勘弁。
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4月からの放送大学登録科目

2014-03-06 15:20:35 | 放送大学
放送大学の次年度前期の登録科目が決定しました。

 放送授業は数学関連を2科目 芸術、文化、心理学にまたがる「色の探求」という総合科目の3科目です。
面接授業は9科目申し込んで登録できたのは3科目で 統計学、株式投資リスク、及びラジオ番組制作実習の3つ。

 統計学は今年度後期にとった入門編に続くもので5月の平日に4回開催なので勤務を半日ずつ休んで受講します。
最終回は6月初めで仕事のピーク日なので17時過ぎに講義が終わってから会社に戻り夜9時位まで自主残業?して埋め合わせます。
 「数学については特に求めない、但しきっちり理解できたか終わってから次回までに確認する事」とレジメに書いてあります。
ちょっとしんどいかも知れない。でもせっかくなじみかけた理数系の科目で、これから後5年は最低続けると予想する、実業に携わる人間としてあわよくば「ロートルでもこれだけのことが分析、判断できる」という強みとするつもりなので。

 株式投資リスクは大阪で5月末開催なので早速JAL便を帰り便のみ予約。
主題は投資において考慮しておくべきモラルハザードで講師は大阪市立大学の中国人らしき名前の講師。

 ラジオ番組制作は現在もNHKラジオで時々お声を聴く佐治真紀子さんの授業です。昨年から始まっており興味はあったのだが実習項目に街頭インタビューが含まれており、気恥ずかしさも手伝って様子見にしていたもの。でもこの数年、時々感じるのだが
 私の個人的強みというものをしいてあげると声通りのいい事、落ち着いて喋れば言語明瞭であることかなと。発声トレーニングも含まれています。

 後、2科目ほど取りたいのがあったが私の如き面接授業での卒業要件を当の昔に満たしているのにわざと卒業しない学生には3科目位しか登録させてくれないもの。
後は4月18日に他の学習センター分を含めて空席発表があるので地方開催分を含め4講義位追加登録するつもりです。
あり余ってないけど無理ではない程度の金も暇もあるので。
出来ればWEBデザインと最近興味津々な天文学を取ろうと思っています。
今頃、天文学? 天文学というよりは宇宙の始まりと終わり・・これが気になって気になって夜も眠れない?

還暦過ぎてもまだ蒼い
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電子書籍

2014-02-26 13:12:22 | Weblog
5年ほど前は月間で20冊位の雑誌を購読していた。いくら暇人でもそんなに読めるわけはない。

最初に取りやめたのはNational Geographic 多分7~8年は購読した。
元々写真誌は好きでLIFEを愛読した時期もあったが、映画「マジソン郡の橋」で、主演クリントイーストウッドがボロのレンタカーに乗って現れるのだがNikon Fを持って木造の橋を撮影する、彼の職業はNational Geographicのカメラマンというのに感動したのが購読のきっかけである。
他には母の暇つぶしの読み物ということで「サライ」「ノジュール」をとり続けこれはいまも続いている。
仕事の奥行作りの観点から長年購読しているのは「プレジデント」これは15年位続けている。
他に止めたのは「日経ビジネス」J社を辞める時でもうこの手の雑誌は必要なかろうと判断したから。

しかしこの、サライ ノジュール プレジデントだけでも月に4冊、定期的に捨てないと書棚がすぐに一杯になる。
現実的に書棚に入りきらず、積み上がっております。

しかし、雑誌好きが変じるわけではない。最近は電子雑誌が随分と増えてしまった。
挙げると、紙じゃないからいいと結局再開した「日経ビジネス」、紙じゃないからと「Newsweek日本版]
そしてJapanKnowledgeに付属している「週刊エコノミスト」
 
 浮世は捨てたはずだが政界経済界の裏情報がやはり要ると「FACTA」科学関係の知識も世の中の動きに遅れないために要ると「Newton」を躊躇なく取り始め・・・

これくらいでやめておけばいいのに最近になって「週刊東洋経済」「週刊ダイヤモンド」を追加してしまった。この二誌はちょっと気が引けるが、嘘ではないので学割価格で申込み、両紙とも1年間購読料は1万5千円也。

これら週刊媒体に加え日刊紙が日経新聞電子版、 Wallstreet Journal 嫌いな朝日新聞だがその中のOpinion Columnの「論座」

これくらいでいくらなんでもやめるつもりですが、業務中はチョコチョコ、家で風呂に入りながらiPADでちょっと長めに読んでおります。

紙媒体は読んでも読まなくても片づけをしないと部屋が埋もれてしまうが、電子版はこの深刻な悩みと無縁。
ありがたいといえばこんなありがたい事はない。
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ReadyFor Project 成立

2014-02-24 13:00:46 | Weblog
先日少額支援手続きをした小津監督の「晩春」デジタルリマスタープロジェクトが目標金額の500万を超えて無事成立した。少額とは具体的には1万円で、無事クレジットから引き落とされることになる。
 手続きをした時点では目標額の半分程度で果たして締め切りまでに届いて成立するのか疑問だったが支援者総数は366人で600万を超す金額が集まった。

「晩春」を初めて見たのは大学時代。
 その頃学生運動に関心を持つわけでなく、学業に身を入れるわけもなかった私は学生課の貼り紙でみた小さな旅行会社のアルバイトに応募して比較的富裕な豪州、アメリカの夫婦の個人旅行の送迎、そして京都市内観光ガイドもする幸運な職を得た。
 始めたころは家に電話がまだなかったからご近所の町工場の家のご厚意で呼び出し電話を取次いでいただき事務所から指令を受けていた。電話口で「伊丹空港タイ航空610便出迎え、 都ホテル送り、 ハイヤーは日の丸交通」等と学生手帳に書いて粛々とこなしていた。私用など幸か不幸かほとんどなくどんなに時間が早くても都合のつく限りは断らなかったし、約束の時間に遅れたり絶対しなかったから重宝された。
大学の授業は代返ですむか実質殆ど出席を取られることもなかったいい時代であった。

時間つぶしは一人のときはパチンコか喫茶店で漫画は読まなかったので文学青年ではないがまともな本を読んで、バイト代で小金に不自由しなかったので学生に手の届く中ではちょっと高めの洋食店、飲み屋に行き、数少ない友達と遊ぶのは1ゲーム100円のボーリングか2時間240円の玉つきだったが、それ以外のまとまった時間は京都に1軒、大阪に数軒あった名画座で三本だて映画を見るのが常であった。学生手帳に事細かにつけていて大学二年と三年の頃は確か年間三〇〇本以上を観て手帳に書いていたはずである。そんな中に黒沢映画も森崎東監督の映画も小津映画もあったわけである。洋画はルッキノ・ヴィスコンティとかフェデリコ・フェリーニとか見ていたわけだが、正直何が面白いのかわかるわけがなかった。
日本映画にも訳の分からない映画があったが、晩春とか麦秋とか小津作品は素直に感動したし、原節子さんはなんという美しい女性だろうと胸をときめかした。胸をときめかした双璧は「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンと彼女だった。
でも見ていたのは1970年台だから制作から20年位経っていた訳だ。そういう意味ではあちこち擦り切れていて、かつ何回も切れたフィルムがつながるまで待たされた画面しか見ていないことになる。だから10年位前にBSか通常のNHKかは記憶にないがNHKでみたのがまともな版だということになる。
これほどの名作が今までリマスターされていなかったのが不思議ではある。ともかく細かい傷まで修復された映画を見ることができ、かつエンディングに寄付者366人に中に名前を出してくれるのであれば、恥じることもない自己満足感にひたれる。

成功報酬として修復作業後ブルーレイディスク送られてくることになる。そういう意味では数年流行りのふるさと納税制度と同じようであるが満足感はこの方が高いだろうと思う。

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夜は神戸で

2014-02-10 21:13:03 | Weblog
大阪の家ではガスは止めたままなので、風呂は銭湯。冬場なので二日は風呂なしで済ませたが、一駅歩いて朝風呂にいく。
さっぱりして家に戻る。今日はどうしようかと考えて京都に行く事にした。
慣れ親しんだ阪急、京阪ではなく、近鉄で行く事にする。
つまり一旦奈良に出て西大寺で京都線に乗り換える。それも京都駅までは行かず途中の竹田駅で京都地下鉄に乗り換えて中心街にはいる算段をする。
近鉄京都線に乗るのは初めてである。急ぐ理由は無いし、同志社が開いた新田辺キャンパスを車中から覗いてみようと言う目的もある。
新田辺キャンパスは駅のすぐ傍だと思っていたのだが、駅からかなり離れた小高い丘陵の上に展開していて車中からはほんの一端しか見えない。といってわざわざ降りて見に行くまでも無いが随分と恵まれた環境に見える。
1年2年は全学部が新田辺、文系は後半の2年及び大学院は今出川校地に戻るという30年以上続けた分離教育体制を最近になって文科系は今出川、理系は新田辺での一貫教育に再集約したのだが、文系学部が今出川に戻るというのは嬉しい事である。
京都市営地下鉄の烏丸御池で下車する。どこにいくというきっちりした目的は無い、哲学の道を歩くには些か寒い。

 まずは気になっていた洋食屋を探す。京都市役所の左筋、つまり学生時代に四条烏丸や三条京阪から歩いて大学に行く時に通った道で、店名は忘れてしまったがコークスの強火を使う店だった。コークスを使っていたのはその店とスッポンの大市くらいと言われていた。ハンバーグとカレーが滅法旨かった。
ネットで検索してもそれらしい店の名前が出てこないので確かめてみたいと思って歩いてみたが、この場所だと記憶の有る場所に洋食店は無かった。廃業したと見える、確か湯川秀樹博士も通っていた店であるが残念。
更に御所に向って北上してフランスパンの新進堂ベーカリーに行き着く。ここは昔の通りの外観で嬉しくなる。この店でバタールやエピを買って大学のサークルで食べるのが楽しみであった。買おうかと思ったが、じいさんが一人エピをばりばり食べて街歩きをしても様にならないのでやめておく。

北上はここまでで取りやめ来た道を戻り、千枚漬けを何軒かで買う事にする。戻る道すがら二条で福田本店という小さな漬け物屋に入る。70歳過ぎと思われる女性が独りで店番をしており、いかにも小規模の手作り店なので2袋買い求める。リュックに入れて、河原町通まで出て京都ホテルに向う。

 京都ホテルが経営不振でオークラに身売りしたと聞いていた。あの風格あるロビーは無事なのか気になったから。近づくと改装されていて以前の黄色みを帯びた外観では無い。

でもロビーは昔通りの雰囲気で残っていた。ここで良く外人夫婦の送迎をやったものだ。

 昼飯時になったので先斗町に向かい路地の左右を確認しながら昔、何回か通ったチャップリンというバーがもしや残っていないか探してみるが、残っている訳も無い、結局は「開陽亭」という昔何回か通った洋食屋にはいる。
芸能人の色紙が何枚か掛かっており、昨年亡くなった大滝秀治さんの色紙が掛かっている。

もう駄目か
 と思ったり
まだやれる
 と思ったり

 色紙を眺めながら「俺も同じ心境だけど、まだやれる と思う日の方が多いか」と言い聞かす。洋食弁当を頂く。人形町の芳味亭と似た内容だが芳味亭のほうがいいなと思う。
 先斗町から今度は祇園の花見小路に向う、霰がぱらぱら降りだすなか八坂人社南の「八百伊」を目指す、今回の千枚漬け購入の主な目的店である。だが千枚漬けだけ品物が置いていない。店員に尋ねると「申し訳有りません、電話注文の方の分で手一杯で今の季節は店に置く分が殆どでき無いんです。」そりゃ無いと思うけど。
店売りは百貨店売りより優先順位を下げるのかよ。文句をいっても埒があかないけど。
 河原町まで戻り高瀬川沿いの村上重で千枚漬け4袋を買う。そして村上の手前にあるフランソワで珈琲とチーズケーキを食べる。この店も40年ぶり。一時間ほど京都マダムや学生達の談笑を盗み聞く。
店を出て急に白みそを買おうと思い立つ。大学1年の時に偶然見つけた「石野」である。「そんなもの買ったら重くて、余計に膝が痛くなるがな」と思うも確か四条通りを少し下った所だと記憶を頼りに四条通りから少し下って一筋西方向の四条通りに戻るというジグザグ歩きを始めるがなかなか行き当たらない、その代わりに良さげな料理やを何軒か見つけていつか来ねばと思うも、些か疲れてスマホで場所を確かめてみると四条下る堀川通りで、記憶違いだったか店が移転したのかはわからないが本日の歩数は既に1万6千に達しているし。寒い中遠すぎる、

 諦める事にするが大阪に戻っての晩飯では勿体ない。といって早めの晩飯まで喫茶店で粘るのも些か苦しい。暫し考えて出した結論は「喫茶店で粘るつもりで電車の座席に座って、神戸まで行こう」である。
阪急特急に乗車して梅田まで、そこで神戸線に乗り換えて三宮まで、電車賃は600円で時間は正味1時間10分。喫茶店で粘るよりずっと意味のある時間とお金の使い方。4時少し過ぎに三宮に着く。

訪ねてみたい店があった。
このブログに書いているが3年半程前、母の癌宣告後の入院中に一晩だけ家を空けて神戸に行き昔の神戸支店の女性達と夕食をとったのだが、その時に馴染みの店の消息を教えてくれた。震災で潰れたと思っていたが別の場所でやっているよと聞いていたのでいつか訪ねようと思っていた。
スマホで同じ名前の店を検索したが電話番号非公開となっている。もしかしたら違うかもしれないと思ったが鯉川筋を上がり、山手通りを越して更に登ると山手にこんな所が有るのかという生活感の漂う町並みである。昔ながらの対面販売の魚屋と八百屋と小さな郵便局が有る住宅街。といっても神戸市役所から徒歩5分なのだが。

店の佇まいと書いてあるメニューを見て彼女の店に間違いないと確信した。開店時間前だが店に入る。40代の夫婦が開店準備をしていて
「早いけど構いませんか?」と聞くと「どうぞ」と案内されてカウンターに座る、女将の姿が無いので「こちらのお店昔、東門通りでやっていましたか?」と聞くと記憶のあるビルの名前が返ってきたので「お母さんはおいでですか?古い客なんですけど」「おりますよ、もうすぐ来るはずですが、今携帯ですぐに呼びます。」
数分で彼女は現れた。私が振り返って名乗ると一瞬探る目つきをしたがすぐに分かってくれて30年ぶりの再会を果たした。
もうすぐ古希だという彼女は体型も変わらずスマートでロマンスグレーが素敵であった。
 この店にはひとかたならず世話になっている。J社の痛ましい事故を神戸支店に居る時に経験した。新幹線で戻ってくるご遺族の出迎えが初動の頃の任務だったが、事故後2週間くらいして担当ご遺族が決まり、東京から同じ貨物畑の1年先輩のO岩さんが世話役で同乗してきた。その後の葬儀への立ち会い、補償交渉まで行う担当世話役と共に数日をすごし、その後も節目の時に3人で対応したのだが、その際に内輪で食事をしながら役割分担、ルール確認をする場が必要だった。私はママに頼んでカウンター奥の目立たない場所を確保してもらっていた。当時から殆ど常連客で持っている店で、私の素性は常連に知られていたが多少内容が漏れても大丈夫だろうという自信があった。
その頃の経緯も彼女は当然だがよく覚えていた。「お母さんが好きだからと言ってイスズベーカリーのパン良く買われていたわね、お元気ですか?」と聞かれたので母の顛末を彼女に話す。
私は「当時よくK重工のMさんと言う私より少し年長の方が来てましたね、親父さんが元大臣だったけど、K重の給料安いってこぼしてましたよね。」「あの方も結局政治家になったんですよ、麻生内閣で大臣されましたよ、今でも時々見えますよ」へーあの人が~テレビみていても分からなかったな~。

「お店の料理で一番懐かしいのは二日目のカレーとイカナゴの釘煮でしたよ」というと「もうカレーは作ってないわね、イカナゴはまだ釘煮をつくる時機じゃないけど、はしりのイカナゴをお出ししましょうか」昔のようにぐい飲みを選んで4品程頂いた。
住宅街の瀟洒な店で愉しい2時間を過ごし坂を下って三宮から阪神電車の奈良行きに乗車して乗り換えなしで大阪の鶴橋まで帰還した。
またくることになるだろう。
こういうこともある、店は大事にしないと。



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大阪城の梅林 まだ早かった。

2014-02-09 19:17:38 | Weblog
伊勢参りの次の日、大阪城の梅林へ。
大阪に住んでいるときはシーズンに2回くらいは行っていたし、母も一人暮らしをしていた時は毎朝の電話で「昨日お友達と行ってきたよ」と報告してくれた。

家から散歩がてら歩いて行った。途中でいつか行きたいと思っている「長堀」という居酒屋の場所を確かめて
小一時間かけて大阪城に向かう。

昔東京勤務に次に神戸支店勤務となったときに、最初の大阪空港勤務の時代に行きつけになったイタリア居酒屋のマスターと「市民マラソンに一緒に出よう!」と話がまとまって、実際篠山10マイルマラソンを皮切りに千歳マラソン、山梨の桃源郷マラソンと全国の市民マラソンに年10回位参加する5年か6年間を送ったのだが、私の練習場所の一つが大阪城公園だった。マスターとも示し合わせてここで一緒に練習も何回かした。当時私は体重は70キロ台後半でマスターは歳は8歳上だったがスマートで、いつも20分くらい一緒に走ると私は遅れだした。実際マラソン大会でも私が負け続けた。

そんな昔のことを思い出しながら10数年ぶりに梅林にやってきた。蝋梅は盛りを過ぎていたが、ほかの梅はちらほら咲きだった。
3月に帰ってくるのが前半になるようだったらもう一度来てみるかと思いながら梅林を後にした。

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遷宮なった社に初めて雪が積もった日 伊勢参り

2014-02-08 20:28:22 | Weblog
東京に大雪の降り始めた朝に品川を出た。名古屋には40分程度の遅れで着き、近鉄電車で伊勢についたのは当初予定の一時間遅れ。大学時代の旅仲間が付き合ってくれた。
外宮から参拝する。新旧二つの社を見比べてみると20年でこんなに朽ちるものだと実感する。防腐処理等行わないのだろうが、我が身を振り返れば同じように血管も皮膚も骨も朽ちてきているのだと納得する。

今回が3回目の伊勢参りだが一回目は父母と参り、昼食は松坂の「和田金」の個室ですき焼きを食べた。2回目は前回の遷宮の時で母と参り志摩観光ホテルでアワビのステーキを食べた。今回は一緒に参る家族はいない。

外宮はあっさりと済ませる。友人は私が「外宮から内宮まで歩く」と言い出したらどうやって断ろうかと心配していたらしい。寒い日でもあり「そんな気、俺もはなからなかったよ」と笑いながらバスに乗る。
到着が遅れたので二人とも昼飯を食べ損ねていた。御払い町のうどん屋で「伊勢うどん」を食べる。和田金のすき焼きとは随分な違いだが、もうそんなこと所望する理由はない。

橋を渡り五十鈴川のほとりに立つ。
前夜からの雨と今日は伊勢地方にも降った雪の影響で少し濁っているが、母が「いつもここはきれいだね~」といったのを思い出した。



内宮にも茅葺屋根に雪が綺麗に降り積もっていて、遷宮になって初めて社が雪化粧した日に参ったのは偶然だが長く記憶に残ると思う。

次の遷宮まで生きているかどうか、生きていても参る体力なり、気力があるのかどうかはわからない。
でもとにかく遷宮から一年以内に参ろうと決めていたことが果たせてよかった。
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小津作品のデジタルリマスタープロジェクトに少額支援

2014-01-24 08:35:37 | Weblog
Facebookに偶々基金を募るプロジェクトが投稿されていた。Facebookに出す個人情報の趣味カテゴリーに映画、本、音楽とか任意で書き込むのだが、好きな映画に小津監督の「東京物語」とクリントイーストウッドの「マジソン郡の橋」、そしてイングリッドバーグマンの「カサブランカ」を載せてている。そんな関係でこのプロジェクトの記事が私のブックにアップされたのだと思う。

既にデジタルリマスター化されている日本映画には東京物語、羅生門など数多ある。でもまだまだ数が少なくて今回、今回基金を募り寄付額が制作費に達したらリマスターを行う対象作品は「晩春」

3日間ほど思案していたのですが昨日、自分の身の丈に合っていると思う金額を支援する手続きを取りました。締切日が設定されており、それまでに寄付金が目標金額に達した場合のみプロジェクトが成立しクレジット決済されます。

昨年デジタルリマスター化された「東京物語」をNHK BSプレミアムで見ましたが戦後間もなくの銀座はじめ東京の風景が鮮やかに蘇っており感動的でした。昨年末にはリマスター版「二十四の瞳」が放映されて、これは実は初めて見ました。

個人的には、もしまだリマスターされていないのであれば実現してほしいのは黒沢作品の「天国と地獄」 内田吐夢の「飢餓海峡」です。

デジタルリマスター作業を請け負っている会社はイマジカだと思いますが、昔の東洋現像所です。若いころに担当していたIEC社の主要荷主でアメリカ宛てだったか輸出先は記憶にないけれど懐かしい会社です。

資産という言葉には縁が遠いがとりあえずの暮らし向きに心配がないように思われる昨今、少しお金の使い方を考えるようになった。Amazonでこまこまと日用品を買ってはいるが基本的に物への執着はない。
衣食住を分けて考えれば、衣についてはほぼこの十年くらい殆ど頓着がない。サイズが合えばユニクロで構わないし、住める家は2軒あるがローンはなく、高くもない土地家屋税を払えば済む。
食は自分では作れない美味いものを時々は外食したいが、一年の内三百日以上の夕食を自炊しているわけだから、たとえハムは添加物のない良質なものを求めるにしても食材廃棄率を高くしないように心がけ、シャトーもののワインを飲みたいなぞという高望みさえしなければそんなに生活費がかさむとは考えられない。

人に見せる為という意図をもつ消費は車も含め不要と考えているし、現状でも家の中に物が多すぎてよくわからない、使いこなせない。そんな中で社会、文化に資する特定目的のために幾ばくかの金を使うのは私の価値判断では美味いものを食べて満足するのと変わらない行為だ。
使途が明確ににわからないもの、赤十字への寄付、赤い羽根募金、震災のための寄付等 たとえ大義がついていても協力する気にならない。とはいっても大学からの寄付の求めは惰性で多少の金額を毎年寄付してはいるが。

とりあえず今回のデジタルリマスター支援金は新しい手帳のDonationの頁に記載した。これから一年の間に自分が納得する趣意のものがあれば年間予算をを心積りしているなかで数件行うことになるだろう。

自身の脳裏、記憶にとどまるものへ金を使う。関西への旅もそうである。
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放映中止になったA社のTVコマーシャル

2014-01-22 11:31:17 | Weblog
A社の羽田増枠キャンペーンのTVコマーシャルで日本人に付け鼻、金髪をさせたのが「違和感あり」といちゃもんがついて3日間で放映中止になった。TV番組というものは録画してコマーシャルは飛ばしてみるというのが1980年代から一貫した私のスタイルなので元々見る機会がないし関心も希薄なのだが、「そうだ、アド街ックで京急蒲田を特集していたのを18日に録画している。」と思いだしコマーシャル部分を探してみてみると確かに最後に二人のCOPI?が機内に乗り込むために歩いているシーンで一人がピノキオのような付け鼻をしているシーンがあった。
笑いを取る意味で別に出来の悪いコマーシャルでないと思ったが、これはやっぱり突っ込みどころでしょう。

たまたま仕事で昨日りんかい線に乗った時に目についたのがこの車内ポスター。同じコンセプトで作ったもの

新規増枠路線の各国の民族を表す帽子?、付け髭、女装等様々だが、これも同じ観点からみて「大いに違和感あり」となるのは必至か。
お笑い芸人をメインキャラクターにし茶化している感に見えるのは致し方ないし、最近はやりかけている言葉でいう「リスペクト」がない。
やはり広報宣伝部門の配慮不足、失態でしょう。こんな反応も織り込んで広報のプロは避けないと。

といってもこのJ/Aの新規増枠が今から取り組もうとしている新規案件に大いにかかわってくるので関心を持たざるを得ないトピック。

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