「道徳は将来の理想的な国民を育成するための道具ではないはずだ。一にも二にも子供の成長や発達のためだろう。今の道徳教育は、子供はこうあらねばならないという型がまずあってその型に無理矢理子供を押し込めようとしているみたいだ」
北野武著「新しい道徳」より。
まさにその通り。
理念ではなく方法論になっているところが問題なのである。
それもこれも、それを司るおおもとが理念を持てないでいるからなのではないか。
「道徳は将来の理想的な国民を育成するための道具ではないはずだ。一にも二にも子供の成長や発達のためだろう。今の道徳教育は、子供はこうあらねばならないという型がまずあってその型に無理矢理子供を押し込めようとしているみたいだ」
北野武著「新しい道徳」より。
まさにその通り。
理念ではなく方法論になっているところが問題なのである。
それもこれも、それを司るおおもとが理念を持てないでいるからなのではないか。
「道徳は将来の理想的な国民を育成するための道具ではないはずだ。一にも二にも子供の成長や発達のためだろう。今の道徳教育は、子供はこうあらねばならないという型がまずあってその型に無理矢理子供を押し込めようとしているみたいだ」
北野武著「新しい道徳」より。
まさにその通り。
理念ではなく方法論になっているところが問題なのである。
それもこれも、それを司るおおもとが理念を持てないでいるからなのではないか。
言葉っていうのは、魔物だ。人を傷つけも励ましもする。本やネットを目で追うよりも話せばなおのこと、生きた力をみなぎらせる。この魔物をどう操るか。それは話す人次第なのだ。
原田マハ「本日はお日柄もよく」より。
言葉を操る、ってなんかいいよね。
とはいえここにあるように一筋縄ではいかないのも事実。
だからこそ言葉を大切にしたいよね。
「一所懸命働くのが偉かったのは、みんなが一所懸命に働かなければ社会が成り立たなかったからだ。何度も例に出すけれど、アリとキリギリスの話はそういう時代の道徳だろう」
北野武著「新しい道徳」より。
ここにも道徳が時代の中で変わりうることが示されている。
よく絶対不変の真理を道徳と勘違いするけどそうじゃないのね。
真理はまた別にある。
道徳がその程度と思っていないと足下をすくわれる。
「道徳を身につけるのは人生を生きやすくするためなのだ」
北野武著「新しい道徳」より。
そう、だから道徳は時代によって変わってもいい、
いや変わるべきものだと思うよ。
それを楽して変えないで枠にはめようとするからおかしくなる。