シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

素晴らしきかな、人生

2017-03-02 | シネマ さ行

当然のことながら、ブログのタイトルはいつも映画作品のタイトルにするのですが、これはブログのタイトルにすらしたくないようなひどい邦題ですね。原題の「Collateral Beauty」自体が造語のようなものだし、日本語に直接訳すのは難しいとは思いますが、それなら素直に字幕で使った「幸せのおまけ」にしても良かったのでは?と思います。時期もクリスマスだし1954年の「素晴らしき哉、人生!」のリメイクかと思って間違えて見に行く人を見込んだのかと勘ぐってしまう。

ワタクシはケイトウィンスレットヘレンミレンが出ているというだけで見に行くつもりだったのですが、他の面子もかなり豪華です。

広告代理店で成功を収めていたハワードウィルスミスは社員の前でのスピーチで「愛」「時間」「死」をテーマに広告を作り、人々とつながることが重要だと話していた。そんな彼が幼い娘を亡くし、私生活も仕事もめちゃくちゃになってまったく立ち直れなくなっていた。広告代理店の仲間ホイットエドワードノートン、クレア(ウィンスレット)、サイモンマイケルペニャはハワードを心配する一方、彼が仕事をしないせいで潰れてしまいそうな会社を救う手だてを考えなければならなかった。

探偵を雇ってハワードの日常を探らせたところ「愛」「時間」「死」という概念に対して手紙を書いていることが分かる。ホイットは広告代理店にCMのオーディションに来ていた役者エイミーキーラナイトレーとその役者仲間のブリジット(ミレン)、ラフィジェイコブラティモアにそれぞれ「愛」「死」「時間」を演じてもらうことでハワードの心を開くと同時に、他の人には見えない(という設定の)概念が人物化した人に話しかけるハワードを撮影して、取締役会での権限を奪おうとしていた。

「愛」「時間」「死」に扮した役者たちがハワードの心を開いていく一方で、自分の不倫が原因で離婚し小学生の娘に異常に嫌われている「愛」が必要なホイット、会社に人生を捧げて家族を持たず精子バンクで子供を産もうと考えている「時間」が必要なクレア、ガンが再発して「死」を迎えそうなサイモンもそれぞれ役者との対話の中で自分の人生に必要なものを見つけていく。

少しずつだか心を開き始めたハワードは同じく幼い子供たちを亡くした遺族たちのセラピーに通うようになり、主催者のマデリンナオミハリスと心を通わせていくが、どうしても亡くなった娘の名前を口にすることはできなかった。

「愛」「時間」「死」という概念を演じた役者たちがそれぞれにとても魅力的。役者とは言え脚本なしの即興演技ということになるのだけど、概念のテーマに沿って核心を突くことを言ってくる。そして、やはりハワードよりもホイット、クレア、サイモンに対する影響力が実は映画の肝となる部分だったのかも。ハワードも自分の悲しみにうまく対処することはできていなかったけど、友人3人の悩みについてはちゃんと見ていたんだよねー。

肝心な題名となっている「Collateral Beauty」ですが、マデリンが自分の娘が死んでしまいそうなときに待合室で隣に座った女性に「誰が亡くなりそうなの?」と聞かれて「娘です」と答えたら「そこには必ずCollateral Beautyがあるから見落とさないで」と言われたとハワードに話します。こんな不幸な出来事の中にも必ず“幸せのおまけ”がある、と。Collateralという英語は「担保」とか「巻き添えの」という意味で「担保」は文字通りの意味で「巻き添えの」というのは戦争などで市民が殺されてしまうような「巻き添え」を指します。その言葉をこのようにポジティブな意味で使うというのはなかなかないかもしれません。不幸な出来事の中にもそれに付随して副産物的に美しい何かが生まれる。それはどんなに否定しても確かな事実かもしれません。そして、それがどんなに些細なことでもそれに目を向けることが、生きる糧になるとワタクシは解釈しました。

最後にマデリンとハワードの関係性が明らかになるとき、一瞬前に予想できましたが、マデリンの愛の深さを感じて涙せずにはいられませんでした。

結局「愛」「死」「時間」を演じた役者たちは実在したのかしなかったのか。それはそれぞれがどちらと取ってもいいのでしょう。ファンタジー的な要素をうまくドラマに落とし込んだ脚本だったと思います。