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【あの歌この街】 正真正銘のご当地ソング「青葉城恋唄」

2017年05月02日 17時19分38秒 | 日常
 私的には奥ゆかしい言葉で綴られた歌詞が好きです。「瀬音ゆかしき」や「葉ずれさやけき」という言葉が生み出す、音のある風景描写がとても好いです。

☆「旅行読売 / 【あの歌この街】 正真正銘のご当地ソング「青葉城恋唄」
( https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170502-00010001-ryokoyom-life )より引用

 伊達政宗の青葉城。百万都市を巡って滔々(とうとう)と流れる広瀬川。七夕まつりの竹飾りが揺れ、市街を吹きぬける風はすがすがしい。地元の地名を読み込んだ典型的ご当地ソング「青葉城恋唄」は杜の都仙台を象徴する歌として定着した。

ミヤギテレビ15時50分からの「OH!バンデス」(月曜~金曜)は安定した長寿番組である。1995年から、さとう宗幸さんがキャスターになった同番組は仙台弁の夜の挨拶「お晩です」をタイトルにした夕方のワイドショーだ。仙台の奥さん方はさとうさんの笑顔がいつものように画面に出ると夕ご飯の用意を始め「やれやれ今日も無事に終わるわ」と安心するそうだ。
さとう宗幸さんは、地元の文化人、歌手、キャスターとして絶対的な人気と信頼を得ている。仙台では「宗さん」と呼ぶので、ここでもそうしよう。 

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引用先の記事の続きに、

>「だが、広瀬川は私の子どもの頃は遊泳禁止になるほど汚れた下水の川だった。 早瀬には不気味な茶色の泡が浮かび、川床の石には汚染物質がまといついていた。河川敷で転び、膝小僧を擦りむけば必ず化膿すると言われた。それが昭和20年代前半から40年代までの広瀬川だった。」

>「仙台市河川課の資料によれば「杜の都の環境をつくる条例」の制定が1973年、「広瀬川を守る条例」の制定が1974年である。条例が制定されたのち、徐々に行政施策が実施されるのだから、この時期はまだ広瀬川はきれいではなかったことになる。
そして「広瀬川を守る条例」制定の4年後に『青葉城恋唄』が発売される。ようやく清流は戻りつつあった。歌が讃える自然の豊かさが、「瀬音ゆかしい」清流となって帰ってきつつあった。」

昭和42年生まれの私ですが、小学生の頃に殿橋(よどみばし)の真下の川原で石投げをしたり泳いだり、トンボになるヤゴを探したりして遊んでいました。対岸で魚釣りをして居る人もいました。澄んだ川の水しか記憶にないので、きっと綺麗になりつつあった頃なんでしょうね。

ちなみに、私も「OH!バンデス」を観つつ夕飯の支度をしながらの、ハイ&ローやうまい寿司勘のお食事券があたるダーツで一喜一憂し、小杉さんのお天気予報でほっこりして、今日も一日頑張りましたと思う毎日です。ご当地ソングやご当地番組って、飾らない安心感が愛される理由なのかなと思います。


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