エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

日本人横綱

2017年01月24日 | 雑感

2017年1月23日

 

 初場所が終わった。私は照の富士がひいきだ。

その彼がこの頃いつも相手に下手を許して、大上手となる。

彼は、“かんぬき”を禁じ手とされたほど強かった江戸時代の大大関“雷電”ではない。

足腰がしっかりして強かった時はそれでよかった。“かんぬき”でも大上手でも白鵬級に対抗できた。

 

それが膝の故障だ。あの部屋ではひざの故障を無理して失敗した安美錦がいる。親方はじめ兄弟子仲間はなぜ用心しなかったのだろう。

照の富士は戦法を変えなければならない。私でも彼の相撲を指導できるような気がする。もっと立ち合いに身体をしぼって頭から当たり、相手の懐に入るべきだ。大兵でもそういう戦法は出来るはずだ。あの立ち合いでの首の動かし方は以前にはなかったように思う。今の自信のなさかもしれない。

                              

ところで稀勢の里が横綱となるようだ。びっくりした。

日本人横綱、日本人横綱、と皆が騒いでいるのが私にはずっと不愉快だった。数年前にやめた立行司が“日本人横綱の勝負をさばきたかった”と言ったそうだが強い者が横綱となる、だめならだめ。それでいいではないか。

 たしかに、稀勢の里は、三大関の中では一番安定しているがもう一場所待っても良いのではないか。

 協会も廻りの者もむりやり日本人横綱を作りたがる。だから琴奨菊のような悲劇が起こる。そして、モンゴル出身力士に失礼だ。

もっとも、稀勢の里がいい横綱になる可能性はあるが。