エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

日本人横綱

2017年01月24日 | 雑感

2017年1月23日

 

 初場所が終わった。私は照の富士がひいきだ。

その彼がこの頃いつも相手に下手を許して、大上手となる。

彼は、“かんぬき”を禁じ手とされたほど強かった江戸時代の大大関“雷電”ではない。

足腰がしっかりして強かった時はそれでよかった。“かんぬき”でも大上手でも白鵬級に対抗できた。

 

それが膝の故障だ。あの部屋ではひざの故障を無理して失敗した安美錦がいる。親方はじめ兄弟子仲間はなぜ用心しなかったのだろう。

照の富士は戦法を変えなければならない。私でも彼の相撲を指導できるような気がする。もっと立ち合いに身体をしぼって頭から当たり、相手の懐に入るべきだ。大兵でもそういう戦法は出来るはずだ。あの立ち合いでの首の動かし方は以前にはなかったように思う。今の自信のなさかもしれない。

                              

ところで稀勢の里が横綱となるようだ。びっくりした。

日本人横綱、日本人横綱、と皆が騒いでいるのが私にはずっと不愉快だった。数年前にやめた立行司が“日本人横綱の勝負をさばきたかった”と言ったそうだが強い者が横綱となる、だめならだめ。それでいいではないか。

 たしかに、稀勢の里は、三大関の中では一番安定しているがもう一場所待っても良いのではないか。

 協会も廻りの者もむりやり日本人横綱を作りたがる。だから琴奨菊のような悲劇が起こる。そして、モンゴル出身力士に失礼だ。

もっとも、稀勢の里がいい横綱になる可能性はあるが。

 


  厄病神と貧乏神

2017年01月23日 | 雑感

2017年1月23日

昨年、2月母が亡くなってから整理づいて不用品の処分に明け暮れている。

最初の頃は業者に何度か頼んだ。 その後、友だちから聞いた市のクリーンセンターに

自分でごみを持ち込んでいる。

100キロまでなら1000円、100キロを超えると2000円という安さで、素人の私らでも

ずいぶんの量のゴミが処分できる。

モノを大切にする母が残した大量のモノを片付けているうちに、家内はいつのまにか

不用品処分にはまってしまった。 身辺整理だ。

 

ある日、私が外から帰ってくると、裏庭でステンの一斗缶で家内が何やら燃やしている。

“何燃やしてるの?”と聞くと “日記”という。

 

           

 

彼女の日記は何十冊とある。 中学生時代からのものだ。

 そのうちの結婚生活後の日記をぱらぱらと広げてみると、出て来るわ出て来るわ、

私の悪口。 彼女の考えは大抵わかっているつもりだったが、聞くのと読んでみるのと

ではまったくちがう。 ここまでよく私の悪口を書けたものだと感心する。

 

「結婚当初からこんな悪口ばっかり書いてきたから、我が家の運気が悪くなったんと

 ちがうか?」

 「そうかもしれない。 若いころからわたし、悲しみを大事にしてきたからネ。

 悪かったわねぇ・・・」

 

結婚して10年間はともかく、母親と同居したこの30年は、散々な日々だった。

 

「悪い運気は天に上って行ったぞ。日記を燃やしているおまえの背後から運気の

 ような煙が出て龍のように頭上を舞っていた・・・」 と冗談まじりに私は云った。。

 

                              

                注)写真は息子が小学校の時に作った版画だ。

 

よせばいいのにまた付け加えた。 「そうか!お前が厄病神やったんか・・・」

すると家内 「そう、そしてあなたは貧乏神、“かせぐに追いつく貧乏神は

足よわき(西鶴・永代蔵)」そう言っておまけにざれ歌まで披露してくれた。

   

   缶ビール 帽子の中に隠れおり 呆れ果てたる 夫のこのごろ

 

 


字を変える

2017年01月21日 | 雑感

 2017年1月21日

 

 前々回のブログで、友人SとKのメールでのやりとりを書いた。

 内容は、伊勢二見ヶ浦のエボシ岩がカエル岩に改名された由来を書いた立札に

関するものだった。

烏帽子のカラスの字が“烏”ではなくて、“鳥”だったのを社務所に注意した。

その後どうなったか気になっている、とSとKにメールしたら、Sから立札の写真が送られ

てきた。それは“鳥”の横一本をペンキで消して“烏”にしたものだった。

Kが話にからんできて、三国志の話になって・・・。

                                     

 このメールをK’に転送した。我々はすべて大学の同期生だ。

 

K’から返事がきた。

「ご三方の教養ある(?)メールのやり取りに感心した。

特に、Kの博学なのには感心しました。よく読書しているのだろうなあ。まあ、ちょっと

似た話で、出町柳付近の道ばたに、白地に黒で「愛人の美容とホテル」という、それほど

大きくない看板が出て、ギョットして、バイクを止めて良く見たら、「犬」を修正ペンか

ペンキで「人」に直したものだった。   永らく訂正されないままになっていた」

 

 

京都の夏の風物詩に五山送り火がある。

この送り火の中心大文字山の「大」の字、これを変形させようというイタズラが地元の

R、O高校の悪童連に伝統的にトライされていた。

「太」にするのは難しい、観衆の真下だ。「犬」なら上だから気づかれにくい。

やりかたは、懐中電灯を数本まとめてつける、空き缶に入れたガソリンに火をつける、

など。やったら、すぐ上に逃げる。

しかし皆へっぴり腰でやるものだからたいしたものにならない。

“見えた”という者もいれば“見えなかった”という者もいる。 私は見たことがない。


60年ほど前、いやそれ以上前からのことだから時効かもしれないが、地元の人に

とってはとんでもないことだ。


今では五山の送り火は関係者以外には入れない。



アメリカに続く海 - サラメシより

2017年01月20日 | 雑感

2017年1月20日

 一昨日のNHKでサラメシという番組を見た。サラリーマンのランチを取り上げた番組だ。

しっかり働いている人たちは皆おいしそうに昼飯を食べる。

ひさしく穀つぶしをやっている私は本当にうらやましい。

                             

その中で宮崎観光バスのガイドさんが出ていた。

お母さんもガイドだったが、とても楽しそうにしていたので、自分もガイドになった。

しかし、母の現実は決してそうではなかった。つらい時にはトイレで涙をふいて、

化粧をし直して、笑顔でバスに戻ったなどの話を後で聞き、自分も頑張ろうと思った

という。 いい話だった。

 

勤めて18年、ベテランとなった今、入社時にもらったノートの内容はすべて頭に

叩き込まれてはいるが、今でも大切に持っているという。あいにくTV撮影の時には

雨が降っていて、日南海岸のきれいな海は見られなかったが、

 「この海は アメリカにつながっています・・・」  という説明もあるらしい。

 

その言葉に、家内は自分が南九州へ修学旅行に行ったときのことを思い出した。

彼女はその旅行を“旅の思い出”として一つの冊子にまとめている。

開かれたページの写真は鵜戸神宮と青島だ。

                               

宮崎の鵜戸神宮、ここでFちゃんがコンタクトレンズを落としたと言い出した。

当時のコンタクトレンズはかなり高価なものだった。

それを聞いたバスガイドさんは、“○○さんがコンタクトレンズを落とされたそうです。

次の観光地はA、Bですが、皆さんそれよりみんなで○○さんのコンタクトレンズを

探してあげませんか”、と強権的発言をした。

 

それは鵜戸神宮の石段をもういちど上がり降りすること、さらには次の観光地に

行けないということを意味する。

しかしここで、純情な○○乙女たちは “YES!” と賛同して、あの何百段かある

鵜戸神宮の石段をコンタクトを探すべくバスから降りた。

大型バス一台分の乙女たちが、石段を這ってダイヤモンドでもさがすように、

コンタクトレンズを探す滑稽な光景が目に浮かぶ。

 

家内、「あのながい石段を二往復、わかる?」と、私に説明する。

 

結局、見つからなくて家内たちは、次の観光地をふいにしたが、40名ほどのクラス

メートを友情にからめて強制的に従わせたバスガイドのお姉さんの手腕、そして、

女学生たちを唯々諾々と従わせた当時のコンタクトレンズの威力はすごい。

 

さて、この話には落ちがあり、コンタクトレンズは、結局、Fちゃんのコートの裾の

折り返し部分のほころびに引っかかっていた。 それを正直にFちゃんはバスガイド

さんに報告し、ガイドさんはバスの中で全員に伝えた。

家内の友達、T子さんはこう云ったそうだ。

「これだけみんなを騒がしたんやもん! 私やったら、出てきても黙ってる!」

 

旅の終わり、5日間の日程を終えたバスガイドのすてきなお姉さんと彼女らの船での

別れは、テープ、テープと涙の別れだったそうだ。

家内は云う。

「今、思えば、あのバスガイドさんの行動は全くの独断だった。あとで会社から怒られな

かったかな・・・・」

でもそれが通じた。 何事もおおらかで、いい時代だった。

 

 その時のバスガイドさんの説明のなかで、“この海はアメリカに通じています” という

くだりがあったことを家内は “旅の思い出” の中に記している。

 

50年以上を経たいまでも、まだ同じ説明が使われているのか、というのが

家内の感慨だ。

 

 


トリをカラスに変える方法

2017年01月16日 | 雑感

2017年1月15日

 

以下は私と友人、KとSとの最近のメールでのやりとりだ。

 

1) Sは家の庭に最近来るようになったイタチに餌付けしてその生態を夜間カメラ

(赤外線感知?)で撮っていた。 それがタヌキまで来るようになったと動画を送って

きたが、結局タヌキは外来種の害獣アライグマだとわかって餌付けをやめた。

奥さんにしかられたようだ。

    

タヌキ騒動に関して、私は返事したついでに以下の文を付け加えた。

 

“ところで、写真添付しますが、昔エボシ岩というのがありましたが、それがカエル岩

となった由縁の説明文がありました。 おかしいところわかりますか?”(最初の写真)

             

 

2013年4月、伊勢神宮二見ヶ浦に行った。

昔はエボシ岩と称した夫婦岩周辺の岩の一つがカエル岩となった由来を説明した

立札の烏帽子の“烏”が“鳥”になっているのを家内が見つけた。 

社務所にそう告げたが、このニセカラスがどうなっているか、以来気になっていた。

 

2)すると Sから写真入り返事が昨日来た。

“2013年10月の写真です。白く塗ったのが良く判ります”。

 

 

3) これらに対するKのメール。Kは博識で文章もうまい。

その文章をそのまま引用する。

 

 *諸君

 お伊勢さんの立看板の一文字が、《鳥》から《烏》に修正されたと言う話。

その方法が、白ペンキで上塗りしたとか。

《恥の上塗り》と言う言葉は有るが 《ペンキで下消し》 と言うのは初めて知った。

最初にそれを書いた者、ワザとやったかも知れん。

だとしたら、ユウモア感の有る者・・・??。

 

蘇州寒山寺で作られた 《月落烏啼霜満天…》 と言う有名な詩がある。

此処は《烏》で有り、絶対に《鳥》であってはならない。月が落ちたら

暗がり世界、その中で《烏》が啼くのである。余情が残るのだ。・・・

 

また中国語には 《粉洗烏白不久》 と言うコトワザも有る。

白い粉で《烏》を洗っても直ぐに黒くなる、詰まり悪人(役人)が反省しても

又元に戻り悪事をなすのだ。   更に《処処烏一般黒》というのもある。

《烏は世界中、黒と決まっている当たり前の事》・・・そんな意味だ。

              (註: Kは長く中国にいた)

             -中略―

 話を戻す。

お伊勢さんの立看板、いずれペンキが剥げ落ちるから、《鳥》→《烏》→《鳥》

と変化する。しかし、その看板のハゲ具合に気が付く人はマレであろう。

何年かしたら、又《白ペンキ》の出番が来るだろう。そして《烏》に戻る。

 

(私) Kの最後の文はK特有のユーモアで、そういうことはないだろう。

2013年の4月と10月、6ヶ月の違いだから応急処置かもしれない。

しかし格式ある社というのなら、指摘されたらすぐ立札を取り換えるくらいのことを

してもいいんじゃないだろうか。わがぼろ家の壁の繕いじゃないのだから、半年は

長すぎる。 今でもペンキ修正でなければいいんだが。

 

つぎはK、お前が行って見てきてくれないか。