植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

プレイレポート「大日本ブラジル帝国」「オスマン包囲網」

2007年12月01日 15時17分03秒 | ゲームシステム

 セルフコンでクリミア戦争の後に行った久方ぶりの植民地戦争の2ゲームについてまとめて簡単にレポートします。

《大日本ブラジル帝国編》

【日 付】2007/11/25
【場 所】多摩市民館
【参加者】英国(千夜), ドイツ(平), ロシア(イマナカ), 日本(たかゆ)

 第1Qは、どこもどっこいだったのですが、第2Qにロシアがエチオピアに始まり、北京・東南アジア・インドネシアと国力2の植民地をつぎつぎ引き当てます。これを結果的に野放しにしてしまったのが敗因で、第2Qをロシアが12ポイントで着地してしまい、第1Qとあわせると17ポイント。2位の日本の11ポイントと実に6ポイントの開きが出てしまいました。
 第3Qはさすがにマークされいくつかの植民地を奪われますが、それまでのクォータで、日本が引き当てたインドをドイツが奪い、逆に日本はドイツに奪われていたブラジルを奪い返すなど、対ロシアで足並みが揃わず、そのままロシアトップで終わりました。
 見所としては初にブラジル遷都を日本が行ったことです。何か日本のブラジル移民団を想像させ、ブラジルを首都とする大日本帝国にドラマを感じてしまいました。
 
【結 果】
    1Q 2Q 3Q 計
英国   2+ 4+18=24
ドイツ   4+ 8+16=24
ロシア    5+12+12=29*
日本   6+ 5+10=21


《オスマン包囲網編》

【日 付】2007/11/25
【場 所】多摩市民館
【参加者】ポルトガル(平), スペイン(イマナカ), イタリア(たかゆ), オスマン(千夜)

 この戦いはひどかったです。恐らく前回の戦いで国力3を持つロシアが圧勝した為に同じく国力3を持つオスマンがマークされたことと、オスマンが不用意に軍事大国化したスペインに戦争を仕掛けたのが問題でした。逆にポルトガルなどは早々にこのスペインと同盟を行い、イタリアも同盟。最後にイタリア・ポルトガル間でも同盟が結ばれ三国同盟が結成され、オスマンだけ蚊帳の外。ここまでくると開き直りですが、植民地カードも引けず、まさに何も出来ない状態でした。
 第3Qの最後に、同盟国間で戦争が行われトップ争いが起きますが、一枚上手だったスペインが勝利をもぎ取りました。

【結 果】
    1Q 2Q 3Q 計
ポルトガル 4+ 3+ 7=21
スペイン  3+ 7+ 6=22*
イタリア   1+ 2+ 8=19
オスマン   3+ 3+ 6=12


オリジナルカードゲーム 植民地戦争
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第二次クリミア戦争 プレイ... | トップ | 箱根ガラスの森 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゲームシステム」カテゴリの最新記事