3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

送り火 - 20

2009-07-22 09:52:41 | 小説
その20

「母はね、私を交通事故で失った時、何もかも失ったと思ったそうです」
話し始めたばあさんの息子の顔に苦悩の影が浮かんだ。
「そりゃそうですよね。自分のやりたいことや、休息などもすべて犠牲にして、私を育て、学校にも行かせてくれたんですから。
私そのものが母の苦労の報酬でした。その私が就職し、結婚して子供を儲けた。苦労の甲斐があったと満足感に浸ったのも束の間。ある日、突然、なんの心の準備もないまま、交通事故は母から人生の果実をもぎ取ったのです。自分の人生とはいったいなんだったのか。自分の人生は無意味ではなかったのか?母はその時、そう思ったみたいです。
わたしはあちらの世界から、そんな母を見ていて母が自殺するのではないかとハラハラしました。だもんで当時、わたしは母のそばをうろうろしてましてね、もし霊能者にみてもらっていたら呪縛霊かなにかが憑いているとか言われたでしょうね。

そんな、ある日、交通事故を起したトラックの運ちゃんが謝りにきました。20そこそこの若い茶髪のおにいちゃんでしたよ。本来なら息子を殺した憎い相手ということになるのでしょうが、わたしがまわりをうろついていたせいかどうか、そのおにいちゃんの不器用に謝る姿が、母にはわたしと重なって見えたのですね。
茶髪だけれども、運店免許をとって、ちゃんと働いて一人で生きてきた。ところが思わぬ失敗をして世間の非難にさらされることになった。こんなに若いのに、一人で耐えていかなければならない。そんな青年に母はいたいたしさを感じて、思わずめしを食っていけと言ったんです。

それからの母の人生は、過ちを犯した後、更生しようとする青少年たちにご飯をご馳走する人生となりました。まわりを駆け回っているあの子供たちは、母が面倒を見た者たちです。娑婆ではもういいおじさんだったりしますよ。でも、母に対する時の気分が子供のようなものなので、あのような姿になっているのです」

いま、 子供たちは山車を飾っていた花を舟に移し替え始めた。舳先にはつりがね型の青い花をつけた花束がたっぷりと置かれた。その枝の先は水面に届かんばかりに長く伸びていて、えもいわれぬ美しさとなった。

「じゃあ、わたしたちも舟にのりにいきましょうか」
ばあさんの息子が言った。
いわれるまでもなく、タカユキはさきほどから舟にのってみたくて仕方がなかった。
二人は舟のほうに駆けて行った。ふたりは子供の姿にもどっていた。
「かあさん、ぼくたちも舟に乗っていい?」
ばあさんの息子が言った。
「いい?」
タカユキも言った。
ばあさんはやさしく言った。
「いいわよ。乗ってらっしゃい」
かあさんみたいだった。
二人は、他の子供たちに交じって舟にのった。

もし、自分がばあさんの息子だったら、どうだったろう?
タカユキのそんな思いは、
おれ、ばあさんの息子っていってもいいかな、にかわっていた。

いいよ。

舟に乗って遊んでいる仲間がそんな軽い相づちを返してきた。

その時だった。先程、離れていったあの、ボロボロの身なりの男が再びやってきた。
先程の男だということはわかったが、どうも、先程より様子が険悪になっていて、不快感もさらに増していた。ばあさんの息子はとみれば、鼻をつまんでタカユキの後に隠れるように後じさった。
「あれ?」
タカユキがやや、揶揄するような調子で言うと
「あなたはわからないでしょうけどね、わたしは完全霊体ですから、みなさんより感覚が鋭敏なんですよ。くさくてくさくてもうほとんど耐えられません。あの男は先程までは娑婆の感覚が残っていたので体面とか建前でカバーされていてすこしましだったのですが、そろそろむき出しの本性があらわれてきたみたいですからね」
ばあさんの息子はタカユキに小声でささやいた。


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