3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

映画「ディア・ドクター」を観て

2010-03-28 10:50:48 | 映画
3月26日、誘ってくれる人がいて、映画を見に行きました。

「ディア・ドクター」

西川和美という人が、原作・脚本・監督をした作品です。

この日、監督が舞台挨拶に来ました。

その若さに驚きました。
うっかりして、写真を撮るのを忘れました。
写真を撮るなという場内アナウンスがなかったからチャンスだったのですが、うっかりしました。
場内アナウンスがなかったのは視覚障害、聴覚障害を持つひとのための上映会だったためかもしれません。

この映画は第22回日刊スポーツ映画大賞を受賞した作品です。
Catmouseにはこの賞の権威がどのくらいのものかわかりませんが、この賞一つだけでは物足りないくらい、西川和美という監督に才能を感じました。

山間の小さな村の診療所に住み込みで勤める医師を笑福亭鶴瓶が演じます。

そこに、若い研修医がやってきますが、赤いスポーツカーで登場。しかも道路交通法違反である、携帯で話しながらの運転で、話している中身といえば、ジャンケンで負けたためこんなド田舎を研修先として選択せざるを得なかったわが身を嘆くといった内容。まさに軽薄そのもの。そのチャラオを演じるのが瑛太という役者さん。

診療所には先生のほかに、たったひとり看護師さんがいます。
それを演じるのは余貴美子。話が進むにつれて、この看護師は医師だった夫と離婚して、喘息もちの小学生の男の子を育てていることがわかります。

出入りの薬屋には香川照之。
薬を一錠でも多く売りたいセールスマンとしてひとくせありながら、ボケておかしなことを言う老女には体をはって話を合わせるといった人情味も持っています。

村長に笹野高史。Catmouseはこの人が好きですが、名前が全然覚えられません。これを機会に憶えようと思います。彼は、「無医村だったこの村に、こんないい医者を見つけてきたのは村長のこの俺だ」と酒席で自慢をしますが、そのシーンにcatmouseは笑いこけました。

物語はいかに先生がいいお医者さんだったかというエピソードがつづられます。
夜中でも、急患がでれば駆けつけるお医者さんです。
村人達の
「先生! たいへんだ!」
ですぐきてくれるお医者さん。
こういうお医者さんは昔はいましたが、いまや伝説ですね。
産気づいた産婦を産院まで付き添ってあげたり、臨終を迎えたというおじいさんを抱きしめ、そのために喉につかえていた寿司ネタがとれて生き返らせたりします。

大事故にあって、骨折し、肺に穴が空いて気胸をおこした患者が運び込まれたときは、看護師が「先生、こういう患者、わたし何人も見ています。気胸を起こしています。胸に穴をあけて、空気を逃がして。そうすれば助かるから。わたしは看護師だから、それができないから。はやく先生やって!」と躊躇する医師にせまります。この、診療所でたったひとりの看護師が、いかに有能でしっかりものか、わかるシーンです。

このとき、この医者が、なんで躊躇したか。
それは、彼は実は無免許の偽医者だったからです。

もう一人、重要な登場人物がいます。
それは、医者になって、東京の大学病院で働いているという娘さんを持つ未亡人です。
この未亡人を演じるのが八千草薫。

八千草薫が登場したとき、「ああ、八千草薫もふけたな」と思いました。
しかも、あの、八千草薫が、田舎の人がよく着る柄物のエプロンを着用し、ほっかむりをし、寝るときはガーゼ寝巻きを着ています。
なんで未亡人の農婦を八千草薫が?
と思いましたが、八千草薫が演じているのです。
もうそれだけで、フラグがたったと思わなくてはいけませんでした。

この未亡人は具合が悪くても診療所に来ません。
「娘さんが医者だから娘さんに相談しているでしょう」
というのが村のみなさんがみるところです。
また、お医者の先生は、診療所に来ない人のところにまわって、健康診断をしているのですが、その未亡人のところにはいきません。
「何で行かないんですか?」
という問いに、医者は
「(領海侵犯になるからと言ったかな?)他のお医者さんのテリトリーだから」というような意味のことをいいます。
ところが、ある日、この未亡人が倒れて、医者は呼ばれ、診察することになります。

医者は癌を疑いました。
が、未亡人は夫を癌で亡くしており、ああいう思いを娘にさせたくないので、娘には黙っていてくれと頼みます。
未亡人は医者である娘にも全く相談していなかったのです。
医者はその頼みをひきうけ、ついでに実際は癌であるけれども本人には胃潰瘍だと嘘をついて安心させます。
医者は未亡人のうちでご飯をよばれたり、未亡人は夜の往診で点滴をうけたりします。
それだけの間柄ですが、二人の間にほのかな心の交流が生じます。
だから、この未亡人の役は、八千草薫じゃないといけなかったのですね。
八千草薫はいくつになっても、マドンナなんです。

ドラマは終わりを迎えます。
どうして終わったか。
未亡人の娘の医者が帰省して、ゴミ箱に薬の空き袋をみつけて不審に思い、診療所に医師を訪れることから始まりました。
偽医者は胃カメラの写真などを見せ(多分その写真は薬屋の胃カメラの写真)、胃潰瘍であることを説明をし、娘はその説明に納得して帰ろうとするのですが、娘の次の帰省が一年後ときいて、医者は娘をひきとめます。
(一年後にはもうお母さんは死んでいる)医者はその言葉を飲み込み、
「ちょっと、まってて、すぐ戻るから」
そういい遺して、偽医者は村を出奔するのでした。
途中すれ違った出入りの薬屋に、今まで隠していた未亡人の、癌が写っている本物の胃カメラの写真を託します。

村に刑事が着て、医者が無免許だったことが村中に知れ渡ります。
村人達は「どうりで。俺の腰の痛いのがちっとも直らないと思ったよ」
とか、未亡人は未亡人で「なんにもしてもらわなかったわよ」と批判らしいものを口にします。
しかし刑事は感じています。
「もし、ここで、実際に逮捕したら、俺は村人に取り囲まれて葬られるのはこっちだ」

刑事は 医者で未亡人の娘に問いかけます。
「訴えますか?」
娘は「いいえ」と答え、あとでそっとつぶやきます。

「あの人が、どのようにして、母を死なせるか、見たかった」

映画は美しい田園風景を写し出します。
その美しさは、村の人々の労働の賜物。
村からは若人が流出し、老人とわずかな子どもしか残っていないのですが、そこの人々は、収穫を楽しみにしている誰かのために農作業に精を出しています。
農作業に精を出したことから来る足腰の痛み、
年齢から来る体の不調、
人は誰でもいつかは死に、
直らない病気もあります。
医者は、人々の訴えに耳を傾け、不調や病の症状をできる限りおさえ、痛みや苦しみを和らげるよう力を尽くしていました。
もし、そのお医者さんが、ずっと村にいたならば、人々は、普通の生活のなかで、普通に暮らしながら、人生の終末を迎えたことでしょう。
それは私たちが望んでいる理想の医療の姿ではないでしょうか?

免許を持たない医者が、そうした理想の医療を提供していたというのは、皮肉な話です。
医者が偽であったため、この理想の医療には終止符がうたれます。

しかし?
映画は最後に、私たちに希望を見せて終わります。
その希望とは?

ここでは語らないでおきましょう。


映画「コーラス」について ・2

2007-12-10 00:26:20 | 映画
映画「コーラス」に観る、天使の仕事

音楽家をめざして音楽家になれず、寮の舎監になったものの、その職も失った先生は失意で学校を後にする。学校から一番近いバス停でバスを待っていると学校のほうからかけてくる子供がいた。
ペピノだった。ペピノは学校では最年少の子供。眠るときはクマのぬいぐるみを抱いて寝る。そのペピノが、小さなバスケットを下げて、クマのぬいぐるみを抱いて一生懸命かけてきた。
「先生、ぼくも連れて行って!」
先生はは断った。
「それは無理だ。はやく、学校にお帰り。でないと罰を受けるよ」
先生はペピノを残して一人バスに乗った。バスは発車した。が、ペピノの顔が輝いた。発車したバスが止まって先生が降りてきたのだ。先生はペピノをバスにのせるとペピノと一緒に旅立った。
ナレーションがはいる。
「ペピノは正しかった。今日は土曜日だ」


音楽家をこころざして、音楽家になれなかった男。チビでハゲでデブ。歳も中年にさしかかった。しかもやっと探した舎監の仕事も失った失業者。
このとき、この先生は自分を敗北者だと思ったろう。
だが、この映画が2004年全仏の興行でトップの成績を収めたのは、実は彼が人生の敗北者などではないことを観る人が感じたからに違いない。
寄宿学校「地の底」に、もし、この先生が来なかったら生徒たちはどうなっていただろうか。もし、この先生がこの学校にこなかったら、生徒のうちの何人かはきっとすさんだ人生を送っただろう。犯罪者となるものも出たかもしれない。
天使の顔をした悪魔といわれたピエール・モランジュも、巷でよく見かけられるような女ったらしのチンピラになって身を持ち崩し、老年期は一人さびしく安アパートで薄い毛布にくるまってゴホゴホとしわぶいていたかもしれない。
が、ピエールは、先生に音楽の才能を見出され、音楽学校に進学してゆくすえ世界的な指揮者となるのだ。
土曜日になるといつも門の前でパパが迎えにくるのを待っていたペピノはやさしい先生をパパにした。そして先生がどんな仕事をしたかずっとそばで見ることになった。
この物語はそのペピノがピエールのもとを訪れ、先生の日記を通じて昔話をするという形式ですすめられていく。先生の日記はペピノをつれて寄宿学校を後にするところで終わっているが、その後のことはペピノが語った。
「あの学校をやめた後も、先生はずっと音楽を教え続けたんだ」

もし、先生の夢がかなって、先生が音楽家になっていたとしたら、先生は寄宿学校の舎監になって子供達に合唱を教えることもなかったろう。が、音楽家の夢がかなわなかったために、先生はどさまわりのようにして底辺の子供達に合唱を教え続けた。
しかし、そのおかげで救われた子供達がどれだけいただろう。
先生は天使の仕事をしたのだ。
が、現世に生きていると、地位や財力に目を奪われて、何が価値のある人生かはなかなかわからないものだ。


映画「コーラス」について ・1

2007-12-10 00:16:06 | 映画
映画「コーラス」が語るもの

「コーラス」という映画をレンタルDVDで観た。
この映画は合唱で歌う少年達と、合唱指導する先生との感動物語というよくあるパターンでありながら、2004年のフランス興行成績1位を記録した映画である。
この映画の見所は、このコーラスグループのソリストを務める少年の、美声を備え持つ美少年ぶりだろう。この少年は、合唱をしている3000人の少年の中から選ばれたという。そして、少年達が歌う歌声は、彼、ジャン=バティスト・モニエが所属する「サン・マルク少年少女合唱団」が受け持っている。

物語は、音楽家になることを夢見て夢破れた中年の男が、しがない寄宿舎舎監となってその学校「地の底」にやってくるところから始まる。
「地の底」とは、親がいないとか、親が子供の面倒を見られないなどのいろんな事情で寄宿生活を余儀なくされている子供達ばかりの学校だった。
門を通過するとき、扉の鉄の柵を握り締めてじっと外を眺めている小さな少年がいた。
「彼は?」ときくと「ペピノといいます。両親は亡くなっているんだけど、それを認めようとしないので、お父さんが土曜日に迎えにくるよ。と言ったんです。そしたら毎週土曜日、ああしてお父さんが迎えにくるのを待ってるんですよ」

そう、ここにいる少年達はみないつかは親が迎えにくるのを待っている子供達。そのさびしさを紛らわすため、子供達はしょっちゅういたずらをして問題をひきおこす。ところがもっと問題なのはこの学校の校長で、誰かがいたずらをすると、全体責任にして犯人が名乗り出ないと名簿から適当な子供をピックアップして罰を与えるという横暴な男だった。それなのに出資者である伯爵夫人に取り入って、勲章を貰おうとしているせこい男なのだ。こんなのが教育者でいいはずはない。
そのおかげで学校は荒れ放題、子供達のいたずらもエスカレートしていた。
新任の舎監と入れ違うようにしてやめていく教師が「ピエール・モランジュに気をつけな。天使の顔をした悪魔だ」と新任にささやいて去っていく。

ピエール・モランジュ。教室に座っているだけで、他の子供達とは一線を画すような美少年だ。いたずらといっても、授業中、校長先生をネタに悪意を込めた漫画をノートにいたずら書きするくらいじゃなかったかな。それでも校長に見つかれば罰の掃除当番だった。画面をみていると、ピエール少年は年中掃除をしたり、窓ガラス磨きをやっていた。
そんななか、新任の舎監は子供達に自分のもともとの専門である音楽を教えることを思いついた。この先生はチビでデブでハゲ。さえない中年男だが、心根のやさしい先生だった。自分にされたいたずらを校長先生にばれないようにかばってやったり、生徒の一人が用務員さんを傷つけたとわかると、校長先生には内緒で用務員さんの看護を命じて少年の良心をめざめさせた。
合唱指導をはじめると、少年達の生活態度が目に見えて変わっていった。そして、例の美少年ピエール・モランジュは最後まで合唱の列にくわわるのを拒否していたが、ほんとうは歌いたくて陰でかくれて歌ってるのを先生はきいた。その声は何万人に一人という天使の歌声だったのだ。
先生はさっそく、ピエールをソリストとすることで合唱の列に加え、さらに母親に少年を音楽の道に進ませるようアドバイスする。
「地の底」の少年達が合唱をしていることを聞きつけた伯爵夫人が、合唱を聞きにきた。総てが順調にいっているように見えた。
が、休暇で学校が空っぽになった日、学校は放火された。
放火は校長によって泥棒の濡れ衣をきせられて少年院送りになった少年による報復だった。

放火されたとき、無断で生徒とピクニックにいったという理由で、この音楽の先生は校長から首をいいわたされる。
本当は、校長はこの先生が気に入らなかったのだ。先生が合唱を通じて生徒たちの心をつかんだことがまず気に入らなかった。伯爵夫人には、合唱の手柄を自分のもののように吹聴していたが、伯爵夫人も評価したその仕事ぶりが目障りだったというのがもっと大きな理由だ。
悪魔は天使の存在そのものが気に食わないのだ。


映画「フラガール」感想文4

2007-10-09 00:04:05 | 映画
 ここにある若者が登場する。
この若者は体が小さく、それまでは紀美子の兄ちゃんの弟分だったと思われる。
紀美子の兄ちゃんが、フラの先生の家にマーキングをしにいったとき、一緒にくっついていった若者だ。
この若者が、いつのまにかハワイアンセンターの仕事を手伝うようになっていた。
ある日、紀美子の兄ちゃんの洋二朗が自転車で走っていると、椰子の木をつんだ自動車とすれ違った。洋二朗はトラックの助手席にいるその若者を見咎め、「おめ、いつからハワイアンセンターに寝返ったんだ?」と若者を車から引きずり出し、若者が「時代が変わるんだ」と口答えをすると、今度は「椰子の木だなんて、こんなもの」と荷台に積んであった椰子の木の葉っぱをむしり始めた。すると若者は「やめてけれ、やめてけれ」とわめきながらとめようとするが、どうにもとめられないとわかると、洋二朗に殴りかかったのだ。それまで、おそらくその若者は洋二朗から殴られこそすれ、洋二朗を殴ったことなどなかったのだろう。

 若者がその椰子の木にどれだけ愛情を注いだかがさらに描かれる。
ハワイアンセンターの大きなドームのなかに椰子の木を植え替えた若者は、南国育ちの椰子の木が寒くないかと自分の上着を脱いで、その椰子の木にかけてやるのだ。
でっかい椰子の木。その若者の小さい上着なんぞ、ほとんど役にたたないと思われるのだが、若者はそうしてやって、さらにやさしく椰子の木に語りかける。
「寒くないかい? おれが守ってやるからな」
そして、冬が近づき、ハワイアンセンターの暖房装置の敷設工事が遅れると知るや、若者は各家々のストーブを椰子の木のために貸してくれないかと土下座してたのんだ。

【この若者をみていて、とても日本的だと感じた。日本人は自分の仕事に一途で、木という異種の生き物にも自分と同等の愛情を感じる。catmouseは日本人のそういうところがとっても好きだ。】

 閑話休題。
もう一人若者がいる。
紀美子の兄ちゃんだ。
実はフラの先生、平山まどかには多額の借金があった。どうやら母親がつくった借金らしかったが、金貸しのヤクザがまどかに取り付いて、うまい汁を吸い続けていた。
その借金取りが一度常磐くんだりまでやってきて、まどか先生の居室を散々荒らしまわった挙句、有り金をさらって持っていった。
そいつら、いよいよ常磐ハワイアンセンターがオープンという時にまたやってきた。
このめでたい時に、まどか先生からばかりでなく、まわりからも“ご祝儀”をせしめようという魂胆なのだろう。
しかし、金貸しヤクザは今度ばかりは目的地に辿り着けなかった。
彼らは東京から、黒塗りの高そうな車に乗ってやってきたが、ゆく手を自転車に阻まれた。自転車をバックに、車の前に立ちはだかったのは、つるはしを持った一人の男。
紀美子の兄ちゃんだ。
「ここからは一歩も通さねえぜ」
なんていい男なんだ。

ハワイアンセンターではフラダンスが始まっていた。
超満員の観客。兄ちゃんのたった一人の妹紀美子が、勘当するといって反対していた母親も見守る中、あでやかにソロを舞う。

一方、町の入り口でヤクザを倒した兄ちゃんが向かった先はハワイアンセンターではなく、炭鉱の入り口。ふん、と鼻で笑って上着を脱ぎ、つるはしをかついで走り出したトロッコに飛び乗った。時代がどう動こうと「おれは炭鉱夫だ」とその姿は物語っていた。
なんていい男なんだ。
俳優は豊川悦司。
ドラマの中の男に、久方ぶりにぐっと来た。

映画「フラガール」感想文3

2007-10-08 21:27:00 | 映画
親の死に目か、仕事か。
男なら、「親の死に目にも仕事を続けていた」というのが自慢の種になることもある。
が、炭鉱の町は事情が違ったのだろうか?

炭鉱の男たちが白い目で見るなか、フラガールとして一人だけ父親に連れてこられた少女がいた。
「うぢの娘は、めんこいんだ」と父親がつれてきたのは図体ばかりデカいぼさっとした娘。
それが南海キャンディーズのしずちゃん扮する小百合。ダンスなんか踊れるのかと第三者的にはそう思えるような娘だが、父親は目の中にいれても痛くないという風情で、時折練習を見に来ては目を細めていた。
その父親が落盤事故に遭い危篤状態に陥った。
事故当時、娘達はキャラバンに出かけていた。巡業先で落盤事故の一報を聞くが、当事者の小百合が「仕事を続けましょう。続けたいんです。続けさせてください」と率先してたのむので、公演は続行された。
しかし、夜、町にもどってみると、小百合の父は亡くなっていた。
小百合の帰りを今か今かと待っていた親類縁者が「父ちゃんは最後までおめェの名を何度も何度も呼んでいたぞ」というと、小百合は泣き崩れてほとんど立っていられない状態になったのを、親類の人たちが「はやく、はやく」と抱きかかえるようにして父親のなきがらのところに連れて行った。
この様子をみたハワイアンセンター建設の反対派の人たちはフラの先生に詰め寄り、「よそ者なんかにおらだの気持ちがわかっか。東京さかえってけろ」と罵声をあびせる。
荷物をまとめて帰り支度をする平山まどか先生。来たときとはうってかわってもの思いにしずみ、その様子が乗り込んだ夜汽車の車窓に映る。
とその車窓に、まどか先生の教え子たちの姿が映った。
まどか先生をひきとめようとやってきた教え子たちの姿だ。教え子達はプラットホームでまどか先生が全霊をこめて教えたフラの手話で気持ちを伝えはじめる。

(先生が行ってしまうと、悲しくて胸が張り裂けそうです。涙が流れてとまりません。わたしはあなたを愛しています)
しかし、汽車はホームを離れていく……と見せかけて、バックしてきた。そして、ドアが開いて先生がプラットホームに降り立った。戻ってきてくれたのだ!
(きっと先生は運転手の首でもしめて、「汽車を止めて!あたし降りる!」とでも叫んだのだろう。かって、バスをそうして止めたように

映画「フラガール」感想文2

2007-10-08 15:25:08 | 映画
 【この映画のよさは実話に基づいているというところにあるだろう。
時代は石炭から石油の時代へ、戦後の復興から高度経済成長の時代へという転換期だった。
炭鉱では閉山が相次ぎ、多くの炭鉱労働者が行き場を失った。
常磐ハワイアンセンターを計画したのは常磐興産という会社。この会社が何億という費用をハワイアンセンターの開発にかけた(と映画で言っていた)。
何億もの金をハワイアンセンターなどという海のものとも山のものともつかぬ事業にかけるということを知った当時の炭鉱労働者達は怒ったに違いない。その対立のもようが映画にわずかだが描かれていた。当時、常磐ハワイアンセンターが成功するという保証はどこにもなかったに違いない。今から考えてもこの成功は奇跡としか思えないのだから。
ウィキペディアを検索してみると、常磐地域の成功はハワイアンセンターだけでなく、「大企業である日立製作所関連企業が石炭産業従事者の大部分を吸収し、自治体としての基盤の維持に貢献した」とある。
ともあれ、あの時代、常磐に奇跡の風が吹いた。】

 【常磐に奇跡の風を呼んだのは誰だったのか。
名も無い大勢の人の情熱だったのだろう。
“フラダンスは常磐娘で”という考え方が、このプロジェクト全体を貫いていたと思う。
企業が金だけを出して、他から呼んで来るのでなく、地場産業として地元民の手で育てていこうとしたところに奇跡の風を呼んだ秘訣があったにちがいない。
長岡の“米100表”の思想と相通じるものがあると思う。】

 閑話休題
「フラガールになろう」早苗が紀美子をさそう。
「ここから抜け出す最初で最後のチャンスでねぇがい?」
その早苗の父がある日解雇通知を手渡される。
会社ではわずかな愚痴で解雇通知を受け取ったその男が、弟や妹にフラダンスの衣装を見せてやろうとした娘の姿を見て、怒を爆発させ、その自分の娘を馬乗りになってぼこぼこに殴りつける。
女が男を軽蔑するのはこういう時だ。その力を弱いものにしかふるえないのかってね。
しかし、この仇はフラの先生、平山まどかがとってくれた。
騒ぎに駆けつけた先生は早苗の真っ赤に腫れあがった顔を見て、怒りを爆発させ、その足で、おやじが向かったという銭湯に向かい、男湯に突入し、湯船につかっているおやじを見つけると着衣で湯船に飛び込んでおやじを湯に沈めたんだ。
Catmouseは溜飲を下げた。
が、このおやじも悪い男ではない。
まだ景気がさほど悪くない夕張炭鉱に職を求めて転居することにした。
そのため、早苗もフラガールになるのを諦めて、おやじについて夕張りにいくのだが、ここが、この映画の一番泣けるところ。
早苗のうちには、まだ幼い弟や妹がいる。そして母ちゃんがいない。もし、母親がいたなら、早苗はきっと残って紀美子とフラガールを続けたろう。
しかし、幼い弟や妹を見捨てて自分だけ夢に生きることは早苗にはできなかったのだ。
また、父親も、常磐炭鉱を解雇されたといって、いつまでもぶらぶらしているわけにはいかなかった。誇りある炭鉱夫として生きていくために、まだ仕事のある夕張に行くことを選んだのだ。
さすがの先生も、こんどばかりは怒りをぶつける相手がいない。
どうすることもできない時代の流れ。
先生は実は熱い血のたぎる女。情熱の人なのだ。
先生は別れ際、早苗の体を抱きしめておいおいと泣いた。

つづく

映画「フラガール」感想文

2007-10-08 11:45:28 | 映画
10月6日、テレビが映画「フラガール」を放送。久しぶりにテレビのある部屋まで出向いてテレビでドラマを見た。

【昭和40年のことだそうだ。
昭和39年は東京オリンピックが開催されている。 映画「フラガール」オフィシャルサイト

女子中学生がフラガール募集のちらしを手にする。昭和初期かと思われるようなロゴが使われたチラシだ。そこにボンネットバスが登場。動いているのが不思議なくらいおんぼろバスで、レトロな雰囲気をぐっと盛り上げる。

 【昭和40年というとベトナム戦争まっさかり。確か路線バスはフラットなバスに切り替わっているんじゃないかと思われるのだが、その後のボンネットバスはその形が愛されて、観光地の人気者となってぴかぴかな姿で各地を走っりまわっている】
 
閑話休題。
東京からフラダンスの先生がやってきた。SKDのトップダンサーというふれこみだ。SKDのトップダンサーというけれど、こんな常磐くんだりまでやってくるような女性はわけありに決まっている。見る人にそう感じさせたのは、女は確かに派手な都会風の服を着ていたが、隙のない装いというわけでなく、どこかくたびれていて、態度はやさぐれていたからだ。

【多分、先生は上野駅から常磐線に乗ってやってきた。当時の常磐線は蒸気かな。ジーゼルかな。いずれにせよ、トイレはタンク式でなくて、しゃがむと線路の上を走っていることがわかるタイプのものだったろう。車窓に白紙をはって窓が何によって汚れるかを調べた大学教授がいた。やっぱり黄色い飛沫がついたそうだ。】

閑話休題。
フラの先生の宿舎の前で、さっそく土地の若い衆が立ちしょんべんをしてマーキングをした。気の強い江戸の女は、その若者たちにバケツの水を挨拶代わりにお見舞いする。
またある夜、先生は一人、村の安食堂でおしんこを肴にいっぱいやっていた。
おしんこをバリバリと奥歯で噛むそのしぐさが、いかにも堂に入っていていい味を出していた。
そこに、先日マーキングしていた若者が近づく。
先生はいかにも(まずいのがきやがった)という表情を見せるが、若者が近寄ったのは案に相違して「妹がフラダンスをやりたいといったために、お袋に勘当されて家を出て行ってしまった。この妹をよろしくたのむ」というものだった。

【フラの先生、平山まどか役を松雪泰子が演じている。松雪泰子はお化粧品の宣伝でしか知らなかったが、こんなにいい役者とは思わなかった。この映画の成功は松雪泰子に負うところが大きいと思う】

つづく