3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

こうして天邪鬼は・・・

2008-02-29 21:54:25 | ほら、ホラーだよ
街角でみつけた21世紀の壁画。場所は東京笹塚。作者は…?

ほら、ホラーだよ Part.5

瓜子姫があまのじゃくに食べられてしまったなんてことを全く知らない桶屋は、今日も仕事はそこそこに切り上げ、桶を一つかつぐと瓜子姫の家へと出かけていった。
「瓜子姫、わし来たで」
そう呼ばわるとな、戸ががらりと開いて、瓜子姫が姿を見せた。

「ちょっと待った」とおばさんはまた口をはさんだ。
「瓜子姫は天邪鬼に食べられたんと違いますか?」
すると、あまのじゃくはまあまあというような仕草をし「ま、これから順にお話ししますんで」と言って話を続けた。

あいかわらず可愛らしい瓜子姫の姿に桶屋はいっそう愛しい思いをつのらせ、「遅なってすまんかった。淋しゅうなかったか?」と抱き寄せようとしたが、瓜子姫はくるりとひとまわりして男の抱擁をたくみにかわし、
「淋しかったで。お土産はいりょう」
と白くてしなやかな両手を出した。
桶屋は、またその手がかわいいなと思いつつ、その手に持参した桶をのせた。
「はい、お土産」
ところが瓜子姫はがっかりしたような顔をして「まーた桶かや。桶ならもうこないに仰山あるがや」とかたわらに目をやった。
瓜子姫が目をやるほうを眺めれば、なるほど、桶が山をなしている。それは桶屋がくるたんびに持ってきた桶だった。ひゃー、売るほどあるわな。なるほど桶ばかりこんなにいらんわなと桶屋も思ったが、さらに瓜子姫が言うた。
「同じ店の品物を持ってくるんでも、米屋の持ってくるものはじゃまにならんがのう」
「来るんか?米屋が?」
「あい」
「米を持って?」
「ときどき餅も持ってくるけぇ」
「あのやろうー」
対抗意識が芽生えた桶屋。次の日は名物トチ餅を買って持っていった。
すると瓜子姫は
「このトチ餅は防腐剤も入ってないので、本日中にお召し上がりくださいってやつやろう?」と言ったかどうかはわからんが、
「うち、今日はもう羽二重餅を食べてお腹がいっぱいなんや。食べ過ぎると太るっちゃ」
「米屋が羽二重餅を持ってきたんか?」
「いいや、持ってきたんは小間物屋はん…いやちごた、小間物屋はんはかわいらしい紙入れやったかいなあ。羽二重餅は紙すき屋はんやったかいなあ」
「なんやて、小間物屋も紙すき屋も来るのか?」
「よう来ます」
「あいつらー」
なるほど女の子の心をつかむには桶では小間物屋や紙すき屋に太刀打ちできない。桶屋は呆然と帰る道を歩きながらこのときほど自分の職業をのろったことはなかった。

一方、おゆみは、あまのじゃくに瓜子姫を食べてくれとたのんだのに、どうやらいまだに瓜子姫がおって、桶屋がいっこうに瓜子姫通いをやめないどころか、最近は頻繁に店の品物や金品を持ち出しているらしい。
おかしい、どうなってるのかと思ってある日、瓜子姫の家を訪ねてみた。
すると瓜子姫のもとにはその土地のお殿様がしのびでやってきておっての、ええべべなど賜って「これこれいついつに迎えをよこすから、そのべべを着てお屋敷にあがるように」などと言われていたんじゃ。

おさまらんのはおゆみじゃ。
さんざ、桶屋に貢がせたあげく、玉の輿?この世にゃ神も仏も天邪鬼もおらんのか。自分は愛しい男に洗濯もしてやって、ご飯もこしらえてやって、掃除もしてやったのに、お礼をいわれるどころかうるさがられ、いっぽう、ちょっと可愛く生まれたばかりになんの努力もせず男どもからちやほやされ、しまいにゃ領主さまから見初められて玉の輿かや!
こうなりゃ天誅、自分が下すしかない、と思い込んでな、おゆみは瓜子姫の家に押し入った。そしてそこにおった瓜子姫の胸倉をつかんでまず悪口雑言、言いたい放題をあびせかけ、しまいに首を締め上げた。
そしたらの、瓜子姫がの、
『おい、おい、おれだよ、オレ!』
瓜子姫の首を絞めとったと思うてたらよ、そいつはアマノジャクの首でよ、本性を現して尖った歯がずらりと揃った口を開けてにんまり嗤った。
『おまえがたのんだとおり、瓜子姫はちゃあんと食ったぜ』って。
おゆみはびっくり仰天、腰を半分抜かしながら、こけつまろびつ桶屋の男のところに駆けつけた。
『あま、あま、あま、あま、あまのじゃく!あんたの瓜子姫はあまのじゃく!』
そう言われても、そんなことにわかに信じられませんわな、普通。
桶屋の男はおゆみが嫉妬に狂ってそんな世迷いごとを言っとると思ったんですな。そしておゆみを心底ウザイと思った。おゆみを追い返してから一人つぶやいたんですわ。
『本当にアマノジャクなんておるんかいな。おるんなら、あのおゆみって女を食ってもらいたいもんじゃ』
そしたら積みあがった桶の陰から声がした。
『おおよ。おゆみを食ってやろうか?』
アマノジャクが出てきたんじゃ。
普通の人間なら、ここで驚いてもええんじゃがな、桶屋の男は驚かなんだ。なぜなら、もう既に魔にとりつかれてしもたんじゃな。それで桶屋の男は驚きもせんとこう言った。
『本当か?あの女はマジうざいけえ、本当に天邪鬼がおるならおゆみを食っちゃってくれ。あの女を消してくれ』
そこでアマノジャクと桶屋の彼氏は連れ立ってはおゆみのもとに出かけていった。
さて、どうやっておゆみを呼び出すかじゃ。一人にしないと食えませんわね。瓜子姫はじいさんばあさんのおらん留守を狙えたからいいけど、おゆみは家族と暮らしているから、なんとか呼び出さにゃならん。そこで、
『おい、おまえ行って呼び出して来い』
アマノジャクが桶屋の男に命じた。
『わしが?』桶屋の男は自分の鼻先を指差してたずねた。
『そうじゃ、他に誰がいる?お前が呼び出したら、おゆみは安心してついてくるじゃろう。呼び出して来い』
そこで男はおゆみの家をたずね、一世一代の甘い言葉でおゆみをさそった。
『おゆみちゃん。月がきれいだ。いっしょにそこらへんをお散歩しませんか』
『おや、どんな風の吹きまわしでしょうか?』
おゆみはたいそう喜び、家族たちに冷やかされたり、祝福されたりしながらいそいそと出てきた。
『どこさ行くだかや?』
『川原の方はどうじゃろか』
川原には人っ子一人いなかった。月の光がこうこうと二人の姿を照らしていた。
(ほら、アマノジャク、女を連れてきたぜ)
桶屋はどこかに潜んでいるはずのアマノジャクに呼びかけた。
月に照らされた影が、二つから三つに増えた。後から出てきた影は前からいた影の一つにおそいかかって、頭からバリバリムシャムシャと食べてしまった。
食べられたのは桶屋の男のほうだった。
『わるいな、女からたのまれたんでな。わりゃあ薄情な男じゃから、食ってしまってくれだと。食った後、あんたが男に成り代わってくれたら、洗濯もするし、めしも炊いてやるぞ、とこう言ったんでな』
これで影は元通り二つになった。二つの影は仲良く寄り添って歩くかに見えた。が、いつのまにかまた影が一つ増え、三つになった。そして、後から出てきた影は前からいた影の一つにおそいかかって、頭からバリバリムシャムシャと食べてしまった。
今度はおゆみが食べられた。
そうして、アマノジャクが化けた桶屋とおゆみは今度こそ寄り添って川原を出て行った。川原にはこうこうと月ばかり、といいたいところだが、新たな影があった。たった今、女を食ったために誕生した新しいアマノジャクだった!

「それが、このわたしですねん」
目の前のアマノジャクが得意そうに言った。
「はあ…」
ぼくはなんだか落ち着かない気分になった。おばさんもきっと同じ気分だったに違いない。
「で?」
とおばさんは後をうながした。
「へ?」
アマノジャクはぼく達の気持ちがわかっているはずなのになぜかとぼけた。
「だからあ、あんたはどんな人を食べてきたんですか?その後」
おばさんは聞くも恐ろしいことをはっきり聞いた。するとアマノジャクはばつの悪そうな顔をして口のなかでもごもごと言った。
「いや、その後は何もせずぶらぶらと…」
「ということは、あんたはまだ誰も食べていない?」
「まあ、仕事の依頼がないもので…。どうです?だれぞ食べてもらいたいやつ、おりますか?サービスしますよ」


天邪鬼の系譜

2008-02-10 10:55:46 | ほら、ホラーだよ
    烏山川緑道にて(ここらへんに昔いたお田抜き様の陶像です)

ほら、ホラーだよ part4

その後ぼくは帰りのがっかつ(学級活動)でさんざんつるし上げられた。槍玉にあがった最初は、ぼくが“ブス”を連発して八木沢由美子の心を傷つけたことだったが……
また、マサルたちがよけいなことを言ったんだ。
「ブスにブスって言っちゃいけないの?」とマサルが言い出して、「本当のことを言ってはいけないと思います」と別のやつが言えば「じゃあ、可愛い子にブスといってはいけないのか」と別のやつが言い、「嘘はついちゃいけないと思います」とまた誰かが言い、そしたら委員長の伊藤くんまでが「ブスというような差別用語は言ってはいけないと思います」などと言い出し、差別だの人権侵害だのと自分達の手に負えない用語を使うもんだからだんだん話がおおごとになっていって、話をおおごとにしたのはぼく以外の男子だったというのに、なんだかしまいには自分たちがブスと思われているのではないかということをおそれつつも、けっして自分をブスと認めたくないクラス大半の女子によって、ブスに対する差別と人権侵害を全部のぼくの責任にしてぼくを非難したんだ。
責任が全部ぼくにかぶさったので、クラスの男子は自分たちがはなしをまぜっかえしたのにもかかわらず、くちをぬぐってだまってしまい、ぼくのほうはといえば、その頃にはまさに憑き物が落ちたというか、はがれたというか、思ったことが何にも言えないぼくに戻っていて、「どうなのよ」「なんとかいいなさいよ」「反省して」などと詰め寄られ、とうとう「ごめんなさい」と言わされてやっと開放されたのだった。
それからのぼくはトボトボと気の抜けた状態で朝来た道をもとにもどり、モソモソと家にもぐりこんでゴソゴソと自分の部屋に入ろうとしたその時、反対側のふすまが開いておばさんがぼくを呼び止めた。
「ヨシボウ、ちょっとちょっと」
ぼくはもう、心がそこにないから、あやつり人形のようにさそわれるままおばさんの部屋に入った。
そしたら、見覚えのある顔色の悪いやつが神妙な顔をしておばさんのまえに座っていた。
「あまのじゃくっていうんだよ。鳥取県から出てきたんだと」と、おばさんは言った。
(知ってる、もうひどい目にあった)とぼくが思うがはやいかあまのじゃくは「知ってる、もうひどい目にあった」としゃべった。
「こら、あまのじゃく、今は人の思ってることを読んで口にしてはいけない。じゃないとあんたのこと書かないよ」
これはちゃんとおばさんが言ったんだけど、言うより早くあまのじゃくは恐縮して首をすくめていた。
「さあ、はじめようか」
おばさんはノートを広げ、鉛筆をとりあげると、あまのじゃくをうながした。
あまのじゃくはおずおずと語り始めた。

昔、男がおりましてね、桶屋をしていたんですが、これがいい男でして、もてました。しかも一人暮らし。だもんで、おなごがぎょうさんよってきて、何かと面倒見てくれる。
おかずをこさえたから食べてとか、掃除してやろうか、とかね。なかでも一人、熱心な子がいまして、洗濯もしてくれる、めしも炊いてくれる。しかもタダで。うらやましい。

「で?桶屋はその子を嫁に?」おばさんが口をはさんだ。
「いいや。あいにくその子はおたやんで」
「おたやん?」
「おたふくってことです。見ようによって愛嬌がないこともないが、まあ、俗に言うブスですが。だから、桶屋としては便利な家事ロボットがおるくらいにしか考えておらんかったようです」
あまのじゃくのはなしはつづく。

だが、そうこうするうちに桶屋は村からはずれた山あいの家に可愛い女の子がおるのを見つけた。瓜子姫というんだが、ふた親のいない子で、じいさんばあさんが育てたんですが。年寄りが育てた子っちゅうのはなんですな、ちいと世間知らずで、どことのうわがままで、かなりかわってますわな。
そこがまた可愛らしいんですな、男にとってはね。
「わしとめおとになったらじじもばばも大事にするぞ。なんなら、ここに住んでもええぞ」
男はそんなことを言ってうりこ姫を口説いたんですが。
そうしたらおさまらないのは、洗濯もし、めしも炊いてきた例の彼女、おゆみ。嫁としてお買い得ですよということをアピールしてきたつもりなのに、なんと桶屋は嫁にするのは別のおなごだという。まあ、男なんてロマンチストですから、結婚する前は家事のできる子より可愛い子のほうがいいんですな。ブスには冷たい。
で、おゆみは悔しくてしかたがない。ある時、ふとしたことで知り合ったアマノジャクに瓜子姫を食べてしまってくれとたのんだんですが。

「食べたんですか?」おばさんは声をひそめて聞いた。
「はい、食べたんです」
「あなたが食べた?」
おばさんもぼくも少しこわくなって固唾を飲み、上目遣いで聞いたんだ。けど、目の前のあまのじゃくはばつの悪そうな顔をしてちょっと後ずさり、手を顔の前でひらひらさせた。
「いやいやいや、ちゃいますが。わたしなどとてもとても。これは偉大なる先輩、伝説のあまのじゃく様であります」
おばさんもぼくもほっと胸をなでおろした。そして次をうながした。


あまのじゃく考

2008-02-03 10:18:09 | ほら、ホラーだよ
  知る人ぞ知るシルバーウルフボクシングジム(撮影=catmouse)

ほら、ホラーだよ番外編

2月1日の当ブログ「あまのじゃく」を読んで、あれ?っと思ったかたもおられるだろう。
あまのじゃくというのは、人の言ったことと反対のことをして悪さをするのではないか。それなのに、当小説では、主人公ヨシヒコの思っていることを口にするだけ、というのはいったいどうしたことであろう、と。
実は、当小説に出てくるあまのじゃくは鳥取県出身なのであります。
それでは鳥取県のあまのじゃくはいったいどんなあまのじゃくだったか、というとこんなやつだったのです。
あるところに桶屋がおりまして、その桶屋が仕事をしておりますとと、どこからともなく顔色の悪い妖怪じみたものがやってきて(事実妖怪なんだけど)しゃがみ込み、桶屋が思っていることを口にし始めるのです。
へんなやつがきたぞ、と思うと「へんなやつがきたぞ」と言い、きみの悪いやつだなと思うと「きみの悪いやつだな」と言い、いやなやつだな、あっちにいかないかなと思うと「いやなやつだな、あっちにいかないかな」と言う。そして(あ、こいつは話に聞く人の心の中を読むあまのじゃくというやつに違いない。何も考えるのをよそう)と思うと、またあまのじゃくはそれを口にするわけです。
しかし人間というものは一念三千。何も考えるのをよそうと思っても、次から次に雑念というものはわいてくるもので、その世界は3000世界に通ずるんだそうです。となると、人の心をよんでそれを口にするあまのじゃくというのは実にわずらわしい、いやな妖怪であります。
桶屋はイライラしながら仕事を続けるうち、つい桶にはめようとしていた“たが”から手をすべらせ、“たが”ははねてあまのじゃくの顔を直撃します。
桶屋がわざとそうしようと思ったわけではないので、あまのじゃくはその事態をよけきれなかったのです。
あまのじゃくは「人間というものは思いもしないことをするものだ。おそろしや」というわけで退散していきます。
こんな民話が、鳥取県には残っているのですね。

ところで、あまのじゃくの語源というのは日本古来の神話(記紀)にある「天探女」(あまのさぐめ)なんだそうです。なんでもこの女性は未来のことや、人の考えていることを読むことができる巫女さんでした。
そこに、中央省庁である高天原から天稚彦(あめのわかひこ)という人がこの地方の帰属を促すためにやってきます。ところが、天稚彦はこの地の大ボス、大国主命の娘なんかを妻に迎えて平和に暮らし始めてしまうのですね。
そこで天照大神は 雉名鳴女(きぎしななきめ)に詔をもたせ、督促の使者としておくるのですが、天探女はそうした使者が来るということを予知能力でもって察知し、天稚彦に伝えるのです。天稚彦はそのおかげで用意周到、雉名鳴女を待ち構えて矢で射殺すのですが、その矢が雉名鳴女を貫いた後、高天原に届いて天照大神の足元に落ちます。それを見た天照大神はもうゆるせんとばかりその矢を拾って投げ返し、その矢は放った人の胸を貫いて、天稚彦は成敗されてしまいます。そしてこの後、天探女は天稚彦に情報を漏洩したかどで邪神ということにされてしまうのです。

その後、あまのじゃくは「瓜子姫と天邪鬼」という民話に発展します。西と東で結末は多少違いますが、お話の大筋は多分皆様小学校のときの学芸会で一度はやってらっしゃるでしょうから詳細は割愛します。(え?やってない?3組はやったけど、1組だったからやってない)って?
じゃあね、次の回で、神話に最も近い姿をとどめる鳥取県のあまのじゃくが、その後、どんなかたちで今日まで生き延びたか、お話しましょう。


あまのじゃく

2008-02-01 21:29:51 | ほら、ホラーだよ
笹塚の猫 (写真は本文と関係ありません)

ほら、ホラーだよ part3

 ぼくの気分は最悪だった。
 昼間、バレンタインデーに手作りのチョコを持ってきた八木沢由美子とおばさんの崩れた顔を見て気を失ってしまったんだ。
崩れたっていったって、普通の崩れ方じゃない。こいつら、もともと顔が崩れているんだけど、さらに妖怪・フクワライの影響で、唇がとんでもないところに移動したという土砂崩れのような顔になったんだ。
しかし、最悪なのは土砂崩れを見てしまったり、気を失ったことではない。
なんとぼくは八木沢由美子の腕のなかで気がついた。気がついたら八木沢由美子はこう言ったんだ。
「よかったわ!王子様は私のキスで目覚めたわ!」
ぼくは思わず八木沢由美子の腕から転がり落ちた。いったいどこにキスしたというんだ!後でおばさんに聞いても場所ははっきりせず、おばさんはただただ「ロマンチックだわ」などと言うばかり。
ぼくはそれから何度も口をすすぎ、歯を磨き、顔を洗った。お風呂に入った時もシャワーを出しっぱなしにして顔と口を洗った。
翌日、なんとも憂鬱な気分で学校へ行くと、八木沢由美子はバレンタインデーのチョコを持って、ぼくんちに行ったということを吹聴してまわっていた。まさか、キスしたことまで言ってないだろうなと、ぼくは聞き耳を立てていたら、八木沢由美子を先頭に女の子の集団がやってきた。
「気分はどう?」
いいわけがない。
「昨日、ふらっとして倒れたのよね。その後、うふふ」
おい、言うなよ。
「その後、大丈夫だった?」
かろうじて踏み止まったみたいだ。ぼくは早く切り上げたいと思って返事をした。
「うん、大丈夫」
ところが八木沢由美子と女の子の集団はそのくらいで立ち去らなかった。
「あたしね、神無月ひかる先生からサイン入りの本を頂いちゃったの。神無月先生って、ヨシヒコのおばさんなのよね」
ヨシヒコだなんて呼び捨てにするな。
「え?神無月先生?あの妖怪読本を書いているひと?」
「そうよ」
「ヨシヒコくんと苗字が違うね」
「ばかね、ペンネームよ」
八木沢由美子は得意満面だった。鼻をヒクヒクさせながらこんなことを言った。
「先生がね、あたしにね、また遊びにいらっしゃいって。一緒に行きたい人いる?」
くるな!まったくおばさん余計なことを言ってくれたよ!
「行きたい、行きたい」
女の子たちが可燃ごみの日のカラスみたいにあちこちで声をあげた。
そしたら窓際に座っていた白鳥明日香ちゃんも「え?神無月ひかる先生?私も行きたいな」って言ったんだ。
白鳥明日香ちゃんは口元がキュッとしまっていて目がパッチリしたとってもかわいい女の子。クラスの男子の憧れの的だ。ぼくもひそかに憧れている。明日香ちゃんが来てくれるのならいいかな。おばさんもたまにはご利益があるなと思い、ぼくは言った。
「うん、いいよ」
するとこころなしか八木沢由美子の目がキラリと光った。
「じゃ、いつにする?水曜日なんかどう?」言いながら八木沢由美子はチラリと明日香ちゃんを見た。
「水曜日は、あたしは…」
「あ、そうか、白鳥さんは塾だったわね。じゃ、行けないわね」
なんだよ、それ、罠じゃないか。水曜日は明日香ちゃんの塾の日だって知っていてわざと水曜日って言ったな。ぼくもハメられた気分だった。
「あ、水曜日、ぼくも塾」
やっとの思いでぼくはそう嘘をついた。
「あ、ヨシヒコはいなくてもいいわ。あたし、おばさんのところに行くんだから」
ぼくはいたたまれなくなって席を立った。
「あら、どこに行くの?」八木沢由美子はついてこようとした。
「くるなよ。トイレだよ」
それでも八木沢由美子は教室の出口までついてきてそこでぼくの背中を押して言った。
「トイレまでなんてついて行かないわよ。たとえ、あたしたちタダナラヌ仲だとしても」
ぼくは冷水を浴びせかけられたようにぞっとした。そして心の奥で叫んだ。ぼくんちにくる人の人選までお前が仕切るな!
まったく情けなかった。ぼくは明日香ちゃんだけに来てほしいと思っているのに、その明日香ちゃんをことわったのがうちの家族とは全く関係がない八木沢由美子だなんて。この先、どこまで八木沢由美子に支配されるのだろうと思うと、くらーい気持ちになった。
さらに下校時がたいへんだった。
「まってー」と追いすがる八木沢由美子を振り切ったまではよかった。
商店街をぬけるとき。じいちゃんの代から懇意にしている酒屋のおじちゃんに呼び止められた。
「やあ、ヨシボウ、昨日のバレンタインに女の子から手作りのチョコを貰ったって?」
「え?どうして知ってるの?」
「どうしてって、おふくろさんから聞いたよ。ヨシボウもすみにおけないね。ヨッ、町内の色男!」
住宅街まで帰ってくると、角で立ち話をしていた近所のおばさんたちから声をかけられた。
「あら、ヨシヒコちゃん、お帰りなさい。昨日のバレンタインにたくさんの女の子からチョコをもらったんですって?」
たくさんの女の子ではなく、たくさんのチョコなのにと思いながらもめんどくさいから黙っていたら、別のおばさんが言った。
「八木沢さんとこの由美子ちゃんは手作りの本命チョコを持ってきたんですって?」
ぼくは下を向いて足早にそこを離れた。おばさんたちの「あら、照れちゃってかわいいわ」という声を後に残して。
ママだ。ママが言いふらしたんだ。
このままでは、ぼくと八木沢由美子の仲は既成事実として校内はおろか町内じゅうに広まるに違いない。すると、ぼくがどんなにさか立ちしても、白鳥明日香ちゃんのような美少女にコクることさえできなくなるんだ。ぼくの一生はこれで終わりだ。
(もう、死にたい)
ぼくは自分の部屋まできてふすまを開けようとした。すると、おばさんの部屋の前に座っていた何者かがつぶやいた。
「もう、死にたい」
え?なんだこいつ。
するとそいつは言った。
「え?なんだこいつ」
あ、おばさんのところに来る妖怪か。
そいつも言う。
「あ、おばさんのところに来る妖怪か」
こいつ、ぼくが考えたことをしゃべる。気持ちの悪いヤツだ。
そいつも言う。
「こいつ、ぼくが考えたことをしゃべる。気持ちの悪いヤツだ」
ぼくは自分の部屋に飛び込み、ぴしゃりとふすまを閉めた。
「そいつはアマノジャクっていうんでさ」ぼくの部屋で誰かが言った。ぼくは飛び上がった。目をこらしてみると、オキビキがいた。
「ぼくの部屋に入らないでよ。あ、そうだ、何かなくなってないかな」
「何もなくなっていませんよ。人聞きが悪いなあ。それより、さっきのあいつ、あまのじゃくはね、優柔不断で思ったことをちゃんとしゃべれないヤツがいると、面白がって出てきてそいつの本心をバラスという妖怪なんすよ」
ああ、それでぼくんとこに出たのか。と、ぼくは妙な納得をしながら、それにしても全部でなくていいから何分の一かで本心がしゃべれたらいいな。そうしたらもっと人生は変わったものになったかもしれないのに、とぼくは思った。すると、スッと何かが近寄って、ぴたっとくっついたような気がしたが、その時はさほど気にもとめなかった。
が、翌日学校で、ぼくはたいへんなことになった。
ぼくがクラスにはいるなり、例によって八木沢由美子が「おはよう」とやってきた。
くるなよブス、とぼくは思った。思ったとたん、驚いたことにぼくはそれを口にしていた。「くるなよブス」
ぼくの口はそれだけでは止まらなかった。「よるなブス、はなれろブス、口きくなブス」と、あっという間に3連発もぶちかました。
ぼくも驚いたけれど、八木沢由美子はもっと驚いて、細い眼を多分あれが限界ではないかと思えるほど見開き、「ひ、ひどい」と言った。
するとまたぼくの口は勝手にすべって、
「ひどいのはお前の顔だ」と言ったもんで、八木沢由美子はわっと泣き出した。泣きながら「キスまでした仲なのに」とついにもらしてしまった。
「キスだって!?」とクラス中がざわめいた。
ぼくはあわてて八木沢由美子の口をふさいだが、時はすでに遅かった。
「したんだ」「キス」
ざわめきはさらにひろがり、白鳥明日香ちゃんまでがケイベツしたような目を向けた。
本当に終わったよ、ぼくの人生!