シー・シェパードの元船長の初公判が開かれ、船長が読売新聞の取材に対して送った手紙が5月27日の夕刊に載った。
Catmouseがひっかかったのは、
日本の調査捕鯨についての、この記述。
「調査という口実で捕鯨をするのは武士道の精神に反する。南極海は私の裏庭であり、日本はそこで捕鯨する文化や伝統はない」
こう書いたという。
まず、調査という口実で捕鯨をするのは武士道の精神に反する。
これについては、そのとおりかなとも思う。
ちゃんと、
「日本人は、昔から鯨を食べるのです。鯨油にも用途があり、鯨というのはすみからすみまで利用していたのです。だから、食用捕鯨であり、資源採集のための捕鯨なのです」
と言えばいいと思う。
ただご理解いただきたいのは、
なにぶん、今の世の中は西洋文明を基調にしてなりたっているので、
固有の文化を持つ、西洋以外の国は、それぞれ説明に苦慮している。
中国なども犬を食べる食文化を持つが、
西洋文明の批判により、これを自粛しなくてはならないというような圧力を受け、
その食文化を廃止する方向に向かっているという。
なんだかなあ? と思う。
昔、日本人は四足の動物を食べなかった。
少量は食べることもあり、ももんじや、といって、四足を食わせる専門の店もあった。
が、これは非常に特殊な例で、おもに薬用の効果が期待されていた。
明治維新前夜、
西洋の捕鯨船が日本に立ち寄り食料を要求したさい、
牛を所望し、日本人は断わった。
断わられると、西洋人は夜陰に乗じて武器を手に、
日本人の農家から奪おうとした。
奪われたケースもある。
その時の日本人にとって牛は大事な農作業のパートナーであり、家族の一員でもあった。
なんとむごいことをしたものか。
ところで西洋人はなんで鯨を必要としたか?
それはファーチンゲールとか、バッスルスタイルというスカートを膨らませたファッションが西洋の貴族の間で流行し、そのスカートを膨らませるために、鯨のひげがちょうど良かったのである。
ただそれだけのために、西洋人は鯨をとりにきていたのだ。
だから、スカートの流行がすたれれば、それは全く必要なくなる。
そして、なぜか、
日本人が鯨を捕りつづけているのが、非常に気になるようになったのだ。
断わっておくが、鯨は絶滅危惧種ではない。
それどころか、鯨を捕らないと、他の漁業資源が減っていくと危惧がある。
さて。
いちばん突っ込みを入れたいのは次の記述だ。
「南極海は私の裏庭であり、日本はそこで捕鯨する文化や伝統はない」
これはおかしい。
南極海は公海である。
勝手に裏庭にするな。
この人の年齢は45歳。
日本が南極海で捕鯨をしていたのは、もっと前からだ。
この人に、日本の捕鯨が、万葉の時代から行われていたことをだれか教えてやって欲しい。
捕鯨が日本近海から南極海に行くようになったのは、世界全体がグローバル化したからである。
だいたい、ピーター・ベースン氏の先祖がニュージーランドくんだりまでやってきたのは、捕鯨をするため。そして、ニュージーランドという国は1907年、イギリス連邦内の自治領となり、ニュージーランド議会が独立を決断したのは1947年である。
そのころはちょうど太平洋戦争のまっただなかだが、日本の捕鯨船は、それよりずっと、ずっと前からそっちのほうで捕鯨を行っていた。
彼の言い分が、いかに無知からきているかということがわかる。
西洋人という人種は、ものすごくすぐれた人も多いかわりに、無知で無教養で、偏見に凝り固まった人も多くいる。
うんざりするが、どうやら、ベースン氏は北風と太陽の寓話のように、穏やかな日本にいるうち、すこし洗脳がとれてきたようだ、とあちこちでささやかれるようになった。
これを機に、東洋というものを彼が学ぶようになればいいのだが。