真夏の夜の妄想です。つづき その3

2012-07-30 15:17:37 | 日常 雑感
夏、真っ盛り、お体ご自愛ください

結構 中国も冷静じゃないかとおもいます。

沖縄問題についての人民網日本語版である。
http://j.people.com.cn/94474/7891234.html

ネットを飛び回っているみなさん、国家ってなんでしょうか。

キントン棒で飛び回っている「孫悟空」なら、法師の手があれば足りるとおもいますが。

熱中症に気をつけてください。



真夏の夜の妄想です。つづき

2012-07-29 15:35:21 | 日常 雑感
沖縄基地問題とか、オスプレイとか いろいろ紙面をにぎわしていますが、まあ 現状容認派が大半だろうと思ってしまう。豊かな生活もアメリカの善意あふれる戦後政策にあるのだし、よほどのことがないかぎりこのままでいくのがベストとおもえてならない。

ただ、妄想をもって、過去に遡れば、アメリカの日本への占領政策は当時の共産国ソビエトへの対峙として、日本は最重要国だったにちがいない。そして、憲法もそうだが、民主主義の土台つくりもてっていした。ただ最大限利用したのは、島国日本の統治の絶妙さにある。江戸、明治と続いた、ピラミッド型統治の極意7%の官財層のための、殺さぬよう生かさぬようの下層政策だ。文句の出ようのないように、中央集権集金体制はがちがちにし、地方自治なんて、レント・シーカー、乞食根性にそだてあげた。

すべてをお茶の間レベルでみるにつけ、まず、政府は無情にお金を集め、乞い願うもには恵んでやるとのしせいでないか、希望や、再生なんて個人にもどせば1%セントもありゃーせんでではないか。

原発保障だって、黙っていた方が得のような空気まで創りよった。知識層という自己保身層は何の役にもたたない。

沖縄だって、とおく離れたところから、むせいきにんに言わしてもらうと、だったら保障金をくれくれといっているようにとれるのだ。過去に遡るといったが、沖縄県がまちがっとるといいたい、琉球王国が正しいのだ。日本国から独立が基本だ、なにごともそれからだ。

それにしても熱い、暑過ぎてクーラーを点けるという発想がうかばない。沖縄の皆さん、独立王国だ。なーんちゃってとぼかさないと怒られそうだ。

http://www.news-postseven.com/archives/20121003_146775.html

真夏の夜の妄想です。つづき

2012-07-27 15:54:29 | 日常 雑感
朝日新聞も天声人語まで動員してあの小沢たたきはなんだったのか、いまだにわからないが、マスメディアも忘れてしまってというか、結果まで追わないを常とするのかはしらない。お茶の間の関心は、活字のなかにげたを履いている自分を見つけた時ちょっとだけ、しめたと手をたたく。

そういう論壇時評欄をみつけた。7がつ26日の朝日朝刊15面のオピニオンである。作家 高橋源一郎さんが、論評している。国家は誰にでも作れるとある。モンテビデオ条約というものがあるらしい。竜馬だって新しい国、武士のいない国を創ろうとした。大半の人々はバカでないかと思った。また一人は、二次大戦の終戦のおり、「新しいマインド」創らなかったのは悔やまれるとある。いずれも六法全書からの発想ではない。

平和が続けば男は消耗品(芥川賞作家、村上龍作品、すべての男は消耗品である)になり、やがて、女性が天下国家を治める時代が来てもふしぎはない。

そして、左横欄では、森達也氏が「正義を掲げ追い込んだ先に」とだいして、ノルウエーの司法制度と日本のそれを比較している。そしてその一節に、ノルウエーでは」満期出所者には帰る家と仕事を国家が斡旋する」とあった。私の以前投稿したコンクリート刑務所に閉じ込めず、国の遊休地、過疎地を彼らの自給自足の場への無償貸与案もあながちバカにできないのではないか。

話、変わって、今日は金曜日、デモは、どれほどの規模になるのでしょうか。

風と臭いだな

2012-07-27 09:16:53 | 夫婦二人暮らしと日常
保育園の元気なかわいい声を聞きながら、童心にかえっての作文です。皆様、酷暑も酷暑 明日も続きそうです。、ご自愛ください。

室温が33度、湿度50度ぐらいで、風がないとたまらない。西向きの玄関網戸からリビング越しのベランダへの風通しは他に比をみないほどに心地よいのだが、風あってのことだ。といってクーラーという発想は浮かばない。だからベランダに3本のすだれをたらし、その間に折りたたみソファを拡げ、ぼんやり 寝そべっている。。恰好だけは別荘スタイルだ。10坪ほどの専用庭からは、花、草木のむんむんとした臭いが鼻につく、すだれをとおして前方にチョウが飛んでいる。となりの家のベランダでは茶褐色の猫が退屈そうに寝そべっていて時折背伸び運動などをしている。夏休みか4メートル道路先の小学校は体育館でのブラスバンドらしき音楽がときたま聞こえてくる、たぶん練習に部員の一人か二人の自主練習にちがいない。玄関前方30メートルに0歳児からの保育園があって、地を揺るがさんばかりの叫び声がしているのだが、ベランダにたどり着くまでには不思議にかわいい美声に変わっている。



真夏の夜の妄想です。

2012-07-24 14:39:38 | 小説
資本主義発展社会ではどのような人々が、創造的?な時間を多くもてるだろうか。大抵のいわゆる生活人は、文化的言葉の装飾はさておき、真似て生きる につきるといっても言い過ぎではない。創造的といっても、発明、発見を言おうというのではない。社会生活そのものの中で、生きて死ぬまでの ものまね を超えた創造とはなんであろうか。

成熟、平和な社会では、資本家富裕層の流れのなかにそういう創造,革新社会に挑む者が生まれやすい。労働者になる者は皆無だろう。具体的にいいかえれば、芸術、スポーツを社会貢献の目的的にして生きる、生きざるを得ない者を産む。資本富裕家というのは、金融で、生産雇用でお金を集め、集め過ぎたお金が次世代の子供やその類を通して芸術、スポーツ、研究もありか、にむかう。

勿論創造しか生きられない天才はどこの層にもうまれる。それは天命だから例外とする。

当然のごとく、そういう富裕上層からの創造挑戦者には国家政策にも発言力が強く、国家という集金王が民主的にして独裁的に応援することになる。国民の多くは、オリンピック、オリンピック、いいね、いいねで彼ら特権階級を支えていくのだ。

ひねくれ妄想老人はここからが本題だと叫ぶのだ。。所謂、国家のなかの一握りの優種所謂お金持ち層への最大の攻撃とはなんであろうかという命題だ。いいかえれば、国家を変えるとは だが。

それは どう生きるか という永遠のテーマ、その空気感で覆い尽くすことが最大の攻撃となると叫びたい。その最大のテーマは、 男と女、雄と雌 を生活社会で大きくクローズアップして思考探求することだ。特に女性、子孫製造機から解放され、その全能体が文化を貪り食うとしたら、ついでに資本富裕家の余剰金で生まれた創造挑戦層階級をも食いつくすことになる。

そして純文学的ポルノ女性露出社会へと進行する。女性のあの全能体は、すべてを飲み込んでなお追い求める貪欲さ、それが、天才プロジュウサーによって、いかようににも変幻自在に魔性を注ぎ込まれたら、創造社会への非条理、非社会性魅力たっぷりのテレビドラマは、彼女ら神々しい女たちのブラックホールとなる。もうすでに、プロヂューサー大石静、田淵久美子あたりが、NHKを舞台に旋風を巻き起こしているようだ。また他の方のNHKBSプレミアム日曜日pm6時45分~7時30分「薄桜記」にも見ようによれば女性の消せない体芯残り火の波紋記ともいえるのだ。

平和社会、特権階級社会を変えていくのは暴力革命でも、戦争でもない、ましてデモや署名運動でもない。女性だけが秘めているすべてを包み込む、そうだ、聖母マリアの政権誕生だ。俗的には、日本では、女性天皇誕生だ。そして女性の国会議員が半数以上を占めることから始まる。

温暖化で、ゆったりした大河のごとく怠惰さが日本全土を覆う日もまじかだ。純文学的?ポルノ社会こそ次世代の平和と予測したい。

こんなアホすぎる?妄想を暑さにかまけながら、ネットサーフィンしていたら、「政府は特権階級増大のためにある」とのサイトを見つけた。みなさまにも一読くださいませ。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d251.html