資本主義発展社会ではどのような人々が、創造的?な時間を多くもてるだろうか。大抵のいわゆる生活人は、文化的言葉の装飾はさておき、真似て生きる につきるといっても言い過ぎではない。創造的といっても、発明、発見を言おうというのではない。社会生活そのものの中で、生きて死ぬまでの ものまね を超えた創造とはなんであろうか。
成熟、平和な社会では、資本家富裕層の流れのなかにそういう創造,革新社会に挑む者が生まれやすい。労働者になる者は皆無だろう。具体的にいいかえれば、芸術、スポーツを社会貢献の目的的にして生きる、生きざるを得ない者を産む。資本富裕家というのは、金融で、生産雇用でお金を集め、集め過ぎたお金が次世代の子供やその類を通して芸術、スポーツ、研究もありか、にむかう。
勿論創造しか生きられない天才はどこの層にもうまれる。それは天命だから例外とする。
当然のごとく、そういう富裕上層からの創造挑戦者には国家政策にも発言力が強く、国家という集金王が民主的にして独裁的に応援することになる。国民の多くは、オリンピック、オリンピック、いいね、いいねで彼ら特権階級を支えていくのだ。
ひねくれ妄想老人はここからが本題だと叫ぶのだ。。所謂、国家のなかの一握りの優種所謂お金持ち層への最大の攻撃とはなんであろうかという命題だ。いいかえれば、国家を変えるとは だが。
それは どう生きるか という永遠のテーマ、その空気感で覆い尽くすことが最大の攻撃となると叫びたい。その最大のテーマは、 男と女、雄と雌 を生活社会で大きくクローズアップして思考探求することだ。特に女性、子孫製造機から解放され、その全能体が文化を貪り食うとしたら、ついでに資本富裕家の余剰金で生まれた創造挑戦層階級をも食いつくすことになる。
そして純文学的ポルノ女性露出社会へと進行する。女性のあの全能体は、すべてを飲み込んでなお追い求める貪欲さ、それが、天才プロジュウサーによって、いかようににも変幻自在に魔性を注ぎ込まれたら、創造社会への非条理、非社会性魅力たっぷりのテレビドラマは、彼女ら神々しい女たちのブラックホールとなる。もうすでに、プロヂューサー大石静、田淵久美子あたりが、NHKを舞台に旋風を巻き起こしているようだ。また他の方のNHKBSプレミアム日曜日pm6時45分~7時30分「薄桜記」にも見ようによれば女性の消せない体芯残り火の波紋記ともいえるのだ。
平和社会、特権階級社会を変えていくのは暴力革命でも、戦争でもない、ましてデモや署名運動でもない。女性だけが秘めているすべてを包み込む、そうだ、聖母マリアの政権誕生だ。俗的には、日本では、女性天皇誕生だ。そして女性の国会議員が半数以上を占めることから始まる。
温暖化で、ゆったりした大河のごとく怠惰さが日本全土を覆う日もまじかだ。純文学的?ポルノ社会こそ次世代の平和と予測したい。
こんなアホすぎる?妄想を暑さにかまけながら、ネットサーフィンしていたら、「政府は特権階級増大のためにある」とのサイトを見つけた。みなさまにも一読くださいませ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d251.html