「日本の自殺」と「一般意思2.0」

2012-03-14 19:15:44 | 日常 雑感
文芸春秋3月号予言の書「日本の自殺」再考ページ95-116を読んだ。1975年の論文の再掲載だ。

一言でいえば、リーダーは大衆迎合主義に走ることなく、指導者は指導者たることの誇りと責任とをもって言うべきことを言い、なすべきことをなせということのようだが、37年後の今2012年山口昌之東大教授は「財政破綻が目前に迫っているこの期に及んで、相変わらずパンとサーカスを求め、義務や奉仕の念をもたない日本人とは何であろうか。こうした文明論的な疑問に再び立ち向かう良質の知の再現がいまほど求められる時もないのだ」(119ぺーじ)と傾聴に値するとのべている。

お茶の間パンとサーカス組は、グローバルネット共有社会の現代、大衆迎合こそ未来社会への道だと主張したいのだ、人は誰でも明日に向かって生きている。哲学的普遍性こそが未来には行かされるべきだと妄想を広げていくと東浩紀氏の「一般意思2.0」に関係するサイトをみつけた。

この「日本の自殺」に関するサイト、
http://mugendai.bloggers-network283.com/2012/02/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%8C%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%99%822.html

東浩紀「一般意思2.0」ついての関連サイトは下記である。

http://www.tachibana-akira.com/2011/12/3584

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376

引用開始「それは具体的にはなんだっていいんです。僕は本でニコニコ動画を取り上げましたが、それは一つの例に過ぎない。ただ、情報技術によってサポートされた、世論調査を遥かに超えた、細かい精度をもった民意の可視化システムを整えるというのは、これからの政治、国家にとって、非常に重要なことだと思います。そしてそれこそが本当は近代民主主義の原理に近いというのが、僕がわざわざルソーを読み返した理由です。引用終わり」

「民意の可視化」という言葉に注目した。政治的関心がある民の意思、東氏はニコニコ動画のコメントを一例に挙げているが、学者たちが精度あるシステムの開発をすれば、まず地方行政、議員数などいまの十分の一でも足りるし、大衆迎合的住民参加が生き生きと具象化する。人は紙一重の存在で、他人の実ある言葉に賛意を寄せるに躊躇しないのだ。敢えて言う 大衆迎合を基盤においてこそ真の豊かな社会であると。



妄想老人の性話 その十七

2012-03-14 12:43:55 | 日常 雑感
木嶋佳苗被告は最終陳述で「3人を殺していません」と、述べ、重ねて無罪を主張した。検察は状況証拠を重ね、被告に死刑を求刑し、弁護士は疑わしは罰せずを主張し無罪とした。どちらも裁判員に向けての言葉のように思えた。前にも書いたが、やはり検察は物的証拠かそれに近いものが要る。松本清張の点と線ではないがあの東京駅での死角のようなものだ。

近頃、村木事件、小沢事件、そして光母子殺害事件、そして北朝鮮拉致事件などの展開もなぜかああいえばこういうと絶対的な主張がないようにおもえる。光母子と拉致などは、本村さん、横田さんの超人的な主張があってのことだが、問題は少年事件と国交のない、戦時状態にある国からの拉致とすれば、国連加盟国であることを知っても、やはり国内警察の国民保護も検証されていいのではないかともおもうのだ。

木嶋被告の事件については、アダルトサイト 人間本来の欲求サイト、統治者にとっては民が自由の名のもとに性に解放的にならないよう歴史はなされた。その抑制がネットという世界がその壁を突き抜けた。自由と豊かさの招いた人の幸福を包み込む世界であることは間違いない。陰美、いや淫美に覆われ一人孤独に妄想を広げる世界、最高の性交、いわゆる賢者の時間を堪能した被害者達、この木嶋事件の判決はひとつの筋目になろうというものだ。

詐欺には注意、下記サイトにクリック
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120218/waf12021807010002-n1.htm

日本陸上選考会

2012-03-13 02:19:19 | 日常 雑感
日本陸上競技連盟は、12日、ロンドン5輪のマラソン代表を決定した。みなさん紙一重の実力の持ち主で選ぶというのは至難の業だ。穿った見方をすれば、このスポーツという業界もいわゆるお偉い方々の権力誇示の場を温存したということだった。選考レースを3っつに絞ってそこでの優勝者を代表にすると決めていればなんら問題はない。わざわざ4大レースをつくっておき、ぐだぐだお偉い方が選考する形をとるのか納得がいかない。

昔、夏の軽井沢、あるイベントでそのスタッフとして来ていた元陸上選手とホテル同宿したことがあった。一週間ばかりであったが、彼はいつも朝5時ごろから2時間あまり走っていた。走らないと一日体調がわるいらしい。周りの人にその理由を聞くと、体がそうなっていて、筋肉が正常に保たれるためには走らないとだめらしい。

今回、市民ランナーや、実業団エリート群から離れた人が選ばれたし、話題をさらった。ということは自信を持って言えることだが、巷のマラソン好きの人たちも日常の習慣的な走りでももしかするとオリンピック出場となるかもしれない。いまの実業団組織のエリート群養成は小学校から大学までクラブとしてあり社会人もそういうクラブは勿論エリート養成としてあったほうがいいが、オリンピック出場は選考三レースとし優勝者(日本人一位)が選ばれるときまっていれば、たまたまのことであろうが突如として”市民ランナー、英雄”が生まれるかもしれないし、マラソン愛好人口も増え、質も向上し、「日本人一位」の言葉は聞かれなくなくなるかもしれないのだ、

http://www.47news.jp/47topics/e/226609.php#reading

NHKアナウンサー

2012-03-09 17:02:11 | 日常 雑感
一日中 家にいるとどうしてもテレビを見てしまう。そして二人の自分のいることに気づくのだ。ちょっと書き記してみる。

NHKのアナウンサーは男女を問わず、上品で高潔な、教養ありそうな面々である。顔などエステしてきたぞと言わんばかりに滑らかで気持ちよさそうである。そして立ち居振る舞いが同じだから、また同じ人かなと思ったりする。この人達の日常生活はどんなんだろう、どういう生い立ちの人達だろうと想像するとき、家から駅へと行く途中にあの有名な受験塾、小中学受験から大学受験までの一貫塾が浮かぶ。小学生クラスは警備員がその行き帰りを旗を立てガードし塾駅間を送り迎えしている。子供たちも賢そうで体型もいいなにか水泳ピアノバイオリンほか習い事もセミプロ級に鍛錬されているであろう。しかも子供たちは素直な顔立ちでなんの曇りもない上、楽しそうである。彼らの家庭の、上層家庭までが透けて見える。まさにエリートへの階段を幼少時より着実に上っているのであろう。その何人かはもしかしてNHKに入社していることだろうと想像してしまうのだ。

それはそれとしていいのだが、もう一人のお茶の間僻み暇老人としては、この人達は、心から 民のことを分っているだろうかと疑いたくなるのだ。官官を背に、受信料だけは民から執りたてて、贅沢に 番組制作し、地デジ受信料は下げたとか誤魔化しながら、BSやらオンデマンドやら、はては子会社でがっぽり儲けているのにその詳細はよく分るように公表しない。

職員や、ぶらさがりコメンテーターなどに結構な給金を払って、生活臭さのない所謂上層社会を形成しているのだ。そして民間放送はおろか広告作成会社のあの横暴極まりない広告を呼び込んだいるのだ。ガーガー飛びかからんばかりに顔や物を画面いっぱいに突き出す。すべての底上げは受信料にある。国家予算に組み込んで万民に公平平等に無料として放送し、国民個々に負担を強いるべきではない。

また、4月から敗戦直後の生活辛抱の朝ドラがスタートした。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110928/plc11092821080021-n1.htm