自称「発達障碍者」Aさんの自殺 その九

2011-05-31 18:05:59 | 夫婦二人暮らしと日常
人が一人になったとき、その時「死に至る病」を内攻していたら聞き手としては唯優しい時間をながく保たねばならない。それは、天空に遠ざかる星影を見ている様に見守るのだ。Aさんの話は続く。「ゴルフもいったな、初心者用クラブ揃えた。長竹、富士高原、伊豆、御殿場そして・・あれはどうだったかな・・・」 奥さんの手紙によると会社を辞めてから英会話教室の手伝いをして、その関係で金沢に新会社を作ったらしい。子供も小学生だったから奥さんは大変だったらしいがただ子供達は金沢の自然に溶け込んでその後を考えるとよかったらしい。彼もつぼに嵌ったのか5年間金沢にいた。友達の紹介で東京に戻り、輸入会社に入り、海外によくでかけたようだ。とにかく景気はよかった。人並みに3LDKのマンションも自力で買った。Aさんの性格からすべて奥様まかせで子供も大学へいき卒業し社会へそれぞれが結婚孫5人の幸福すぎる家族だった。が彼のいう金魚の糞みたいな浮いた毎日は、躁と鬱を進行させていたらしい。積み重ねの日常を離れ非日常の妄想世界が彼を被い、「魂」置き去りのバブル景気 そんななかの病気進行だったのは間違いない。Aさんの語りは続くのだが、心地が悪くなる。語りの語調に「みんなおんなじだー」のもたれあいを感じないのだ。



世界唯一の原爆被爆国だった筈だ

2011-05-31 08:53:21 | 日記
この福島原子力発電所の事故を思うにとき,日本という国が、広島、長崎に原子爆弾の投下されるという世界唯一の被爆国が、その「核の恐怖」を 被爆者と関係者以外の全国民に徹底して知らしめていなかったのが敗戦の政治的事情があったにせよ大変残念です。
核の恐ろしさの国民への徹底だが、被爆地広島、長崎にしても「核の恐怖」を官僚政府支配層側からの封じ込めでないのではないかと勘ぐりたくなるのだ。原爆資料館にしても平和式典にしてもただの「文化遺産」「儀式」になっていないか「原爆恐怖」とは程遠いのだ。広島をうろついたこと2ー3度あるが、ひとつの知識としての「原爆都市」しかない。ちょっと違うかもしれないが、パリをうろつき疲れて観光バスで市内を周った時コンコルド広場辺りから革命の雄たけびが臨場感あふれんばかりにおこった、イヤホーンからかバス全体の音響装置なのかは定かでないがいまだにその異様さが脳裏に残っている。「王朝復帰はさせないぞ」という市民の決意と世界への呼びかけだろうとおもう。広島、長崎で観光バスに乗った経験はないけどガイドさんの上品な説明で終わっているのではないかと思う。上層、下層、知識層、非知識層を問わず「核」の恐怖を最低でも日常的に「核戦争は広島長崎で終わりにしょう、核廃絶しょう」」と全国民全世界へ知らしめるにはどうすればよいか広島市民、長崎市民は真剣に声なき声、市民レベルで考えるべきだった。一提案としてこれほどまでに進化した電子機器を活用し、パリ市民同様 観光バスに音響、視覚両面から機器を設置し投下時のこの世のものかとうめく以外ない生々しい惨状を再現すれば多くの訪客は原爆当日その場にいたように体感できるのではないかそれが口コミ語り部となり「核の恐怖」の共有と世界平和への地球的な呼びかけにつながる筈だ。フランス革命広場と同様その爆心地でこそ人々に与える衝撃はおおきいのだ。平和祭典にオバマ大統領を招聘することに全力を傾けることでもない筈だ。戦後からそういう姿勢であれば原子力発電所への厳しい監視もあったと思うのだ。だがいまからでも遅くはない。

原子爆弾広島長崎投下はなんだったのか

2011-05-30 16:23:21 | 日常 雑感
この福島原子力発電所の事故を思うにとき,日本という国が、広島、長崎に原子爆弾の投下されるという世界唯一の被爆国が、その「核の恐怖」を 被爆者と関係者以外の全国民に徹底して知らしめていなかったのが敗戦の政治的事情があったにせよ大変残念だ。
核の恐ろしさの国民への徹底だが、被爆地広島、長崎にしても「核の恐怖」を官僚政府支配層側からの封じ込めでないのではないかと勘ぐりたくなるのだ。原爆資料館にしても平和式典にしてもただの「文化遺産」「儀式」になっていないか「原爆恐怖」とは程遠いのだ。広島をうろついたこと2ー3度あるが、ひとつの知識としての「原爆都市」しかない。ちょっと違うかもしれないが、パリをうろつき疲れて観光バスで市内を周った時コンコルド広場辺りから革命の雄たけびが臨場感あふれんばかりにおこった、イヤホーンからかバス全体の音響装置なのかは定かでないがいまだにその異様さが脳裏に残っている。「王朝復帰はさせないぞ」という市民の決意と世界への呼びかけだろうとおもう。広島、長崎で観光バスに乗った経験はないがガイドさんの上品な説明で終わっているのではないかと思う。上層、下層、知識層、非知識層を問わず「核」の恐怖を最低でも日常的に「広島長崎で終わりにしょう、核は廃絶しょう」」と全国民全世界へ知らしめるにはどうすればよいか広島市民、長崎市民は真剣に声なき声、市民レベルで考えるべきだった。これほどまでに進化した電子機器を活用し、パリ市民同様 観光バスに音響、視覚両面から機器を設置し投下時のこの世のものかとうめく以外ない生々しい惨状を再現すれば多くの訪客は原爆当日その場にいたように体感できるのではないかそれが口コミ語り部となり「核の恐怖」の共有と世界平和への地球的な呼びかけにつながる筈だ。フランス革命広場と同様その爆心地でこそ人々に与える衝撃はおおきいのだ。平和祭典にオバマ大統領を招聘することに全力を傾けることでもない筈だ。戦後からそういう姿勢であれば原子力発電所への厳しい監視もあったと思うのだ。だがいまからでも遅くはない。雑草のような声が木霊しつくりあげる叫び声、決して官僚の調整された清んだ声ではない。






自称「発達障碍者A」さんの自殺 その七

2011-05-28 17:49:43 | 日記
品川のホテルでのAさんとの会話に戻そう。「あの頃は何だっただろう。確か74年ごろは石油ショックで銀座あたりは夜11時消灯だったね。それから赤坂だもんね、行き付けの六本木の店なんか外人ばかりだったな 東京をうろつきまくったというか金魚の糞みたいについていったね。遊びというといつもふあふあしていたなぁ そんななか 日立からの出向社員さん高血圧の所為かマージャンで倒れてしまったな 君もいたたんじゃーないか、病院見舞いでわかったんだが、娘さんが看病のため会社やめたとかいっていたな。高度成長も個人の生活に戻せば悲喜こもごもか。私もあの頃は家放棄か家内には頭が上がらないよ。、空気みたいに街をうろついていたわけだ そうそう 君もしっている中抜きMさんとの、銀座クラブ 荒船清十郎がいたね俺の家の前の駅に特急を止めて何故悪いなんて威張っていた奴だが、綺麗どころにもてもてだったな」私も知るところはうなずきながらも遠い昔のようにおもえた。


自称「発達障碍者」Aさんの自殺 その八

2011-05-28 14:28:58 | 夫婦二人暮らしと日常
品川のホテルでのAさんとの会話に戻そう。「あの頃は何だっただろう。確か74年ごろは石油ショックで銀座あたりは11時消灯だったね。それから赤坂だもんね、行き付けの六本木の店なんか外人ばかりだったな 東京をうろつきまくったといううか金魚の糞みたいについていったね。遊びというといつもふあふあしていたなぁ そんななか 日立からの出向社員さん高血圧の所為かマージャンで倒れてしまったな 君もいたたんじゃーないか、病院見舞いでわかったんだが、娘さんが看病のため会社やめたとかいっていたな。高度成長も個人の生活に戻せば悲喜こもごもか。私もあの頃は家放棄か家内には頭が上がらないよ。、空気みたいに街をうろついていたわけだ そうそう 君もしっている中抜きMさんとの、銀座クラブ 荒船清十郎がいたね俺の家の前の駅に特急をとめて何故悪いとか言って威張っていた奴だが、綺麗どころにもてもてだったな」私も知るところはうなずきながらも遠い昔のようにおもえた。