文教ゼミ The Bunkyo!!~光り輝く一人ひとりのために~

小1から大学受験までのトータルエデュケーション

日出歴史探訪 第2章

2006-11-24 16:55:41 | 正喜塾長
若宮八万社楼門です。
1703年三代藩主木下俊長によって建立寄進された。

そして、城跡からの風景です。
かつて殿様は毎日この風景を見ていたのでしょう。(正面:高崎山)


この日出藩には豊後三賢の一人帆足万里先生がいます。

(豊後三賢:三浦梅園・広瀬淡窓・帆足万里の3人) 
万里先生が幼少の頃、梅園先生の所へ行ったことがあり、
淡窓先生とはほぼ同年代でのお付き合いだったそうです。
私塾を開き子ども達に多くの学問を教え、殿様も学問に重点を置かれ藩校【致道館】では、
武士の子供だけではなく一般の子ども達にも学問を教えたと聞いています。

そして、かつては万里先生の墓石を削り、子ども達の学問の【お守り】としていたらしく、
現在では厳重な囲いがされています。


その他、豆知識
一つ、ザビエルが立ち寄っています。
一つ、バスコ・ダ・ガマの息子が来ています。
一つ、城跡から大分市を見たとき、別府湾には瓜生島という島がありました。
一つ、高崎山の頂上にも城跡があります。
一つ、豊臣秀吉の正室ねね様は殿様の親戚で、何度か日出に来ています。
まだまだあると思います。

六郷満山文化華開く国東半島から、山々の尾根に沿って1300mの鶴見岳山頂まで、
修行増達は何を思い、何を求めて歩いたのでしょうか。
そんなことを考えると、歴史もおもしろくなるかもしれませんよ。

【感謝報恩】の心を・・・

2006-11-22 13:51:26 | 正喜塾長
泣きました。いや、自然に涙があふれました。
私にも全く同じような経験があるからです。

東京の青藍学院の林先生から教えていただいたものですが、
心の授業の一環として、今週生徒達へ読ませています。
その後、子ども達に少し話をさせていただいています。

【回天特攻隊】の遺書から

親を想う心に勝る親心 今日の音づれなんときくらむ

此の世に生を承け二十有三年何等の御恩に報ゆる事無くして御両親様に先立つ不幸何卒御許し被下度


「親を想う心に勝る親心・・」子ども達に親の心や想いが伝わっていたのですね。

お預かりしている子ども達へ【親】の心が、想いが、少しでも伝わればと思います。
すべてに感謝です。

【母の貯金】   【父の手話】


日出町歴史探訪 第1章 出口のない海 

2006-11-22 13:09:08 | 正喜塾長
日本海軍の最終兵器【回天】についてご存知でしょうか。

 「回天」というのは、ようするに「人間魚雷」(人間が魚雷の中に入って操縦しながら敵艦に体当たりしていく特攻兵器)のことです。
 「人間魚雷」という言葉(兵器)を聞いていかがですか。
「バカじゃない」「そんなんのって死にたくない」いろんな声が聞こえてきそうです。
 しかし、1945年大戦末期当時、毎日が空爆で何百何千人と人々が死んでいく状況の中、
いつ好きな人・大切な家族が敵の爆撃で殺されるかわからない、敵と戦おうにもすでに兵器も燃料も底をついている、敵はどんどん日本に近づいてくる、
空爆は日に日に熾烈を極め次々と同胞が殺されていく、もはや通常の戦法では到底たちうち出来ないところまで追い込まれてしまっている・・。
そのような時に、そこに置かれた若者たちが、今の(どの時代でも変わらない)若者と同じ気持ちで、
好きな人のために、大切な人のために、何とかしたいと思って出来た最大、そして最後のことが、
魚雷に乗り込んで、敵艦に向かって突進していくことであった、ということでしょうか。

この日出町に【回天】の基地があり、先週小学4年生の生徒と二人で見学に行ってきました。
もちろん【回天】だけが目的ではなく、この日出町にある歴史的遺跡や遺物に触れることが目的でした。

↓この山すべてが【回天】の基地だったのです。

↓山にはいたるところに横穴が掘られ、回天を格納していたようです。

↓回天の写真です。乗り込んでいる人の姿があります。練習生でしょうか。

↓【回天】の模型と沖合いで引き上げられた機関部をバックに。


回天の基地見学後、旧石器時代の遺跡【早水台遺跡】へと向かいました。

ただ、寂しいことに一面のミカン畑でありました。

続きは次回・・・・

いのちがかるくなってきている。。

2006-11-14 20:02:24 | 正喜塾長
みなさん【いのちの重さ】をいつ、誰に学びましたか?

私自身振り返ると、やはり親族やペットの死を通して、
私なりに【生と死】を考えていたと思う。
そして、【死】は取り返しのつかない永遠のものであることを知った。

しかし、近年マンション等によりペットを飼うことができず、
おじいちゃん、おばあちゃんとは遠く離れて生活をしている子供たちは
【死】を知るきっかけも少なくなってきていると思う。


【学校】では、、、あえて言う必要もないですね。
私は高校時代の恩師に「自殺は卑怯者のすることだ!」と教えられた。
しかし、今ではどうだろう。
校長までも。。。全く腹立たしく思えた。
そこまでの勇気があるなら、
いかなる反対があろうとなぜ学校改革をするとか、
家庭とのコミュニケーションを増やして
子供の教育には家庭に力が必要なんだと、訴えなかったのか。
【命】の大切さはどこへ。。

また、「子供が何も言わなくて・・」「子供がプリントを出してなくて・・」
「ほんとこの子は・・・」育てられたのはどなたですか?
いつもいつも言葉で攻められ続ける子供の気持ちをお考えください。
学校が親が、いや社会全体が【責任逃れ】の風潮が蔓延しているような気がします。


時折、生徒達に
「死ぬことにはものすごい勇気がいる。その勇気があるかぎり、どんなことでも乗り越えられる」
「あなたたちは自分の意思でこの世に生まれてきたわけではない。だから、自分の意思で死ぬことは許されない」
「あなたが生きていることには理由がある。あなたしかできないことをするために【生かされている】んです。」
などなど、生徒達に話すこともある。

また、「あなたたちは両親にとって社会にとって【宝物】です。
しかし、宝物でも磨かなければ輝りません。あなたたちを磨く責任者は
あなたたちです。どれだけあなたが光り輝くかは誰にもわかりません。
光り輝くように自分を磨いてください。」といったことも話します。


【この世に命は一つ】【命より大切なものはない】
言い古されていますが、この言葉の意味は重い。
しかし、その重さを伝えてくれる【場】がなくなっている?!

一人ひとりの成績向上。。塾の使命
成績向上のための【徳】教育。。これも塾の役目になってきている。
しかし、それに気付かない=必要ないという親もいる。
その狭間で、【まず成績アリ】を忘れないようにしたい。

自殺の連鎖。。。。はやく止まってほしい。