コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

真カ研 月例会 7月

2009-07-16 00:01:20 | 真宗カウンセリング
真カ研の月例会でした。

ロジャース氏の論文「十分に機能している人間」から「セラピィ後に見られる人間の三つの特徴」の項です。
今回は私がレジュメ担当…なんとか無事終わりました。

「最善のセラピィを受けるとどのようなところに到達するか」というテーマを元に、三つの特徴のうちの第1番目が担当部分。
その特徴とは「自分の経験に開かれている」ということですが、これだとわかりづらい。
そこでその対極にある「防衛している(閉じている)」というのはどういうことか、というところから論じられていきます。

で、結局、自分の身体的感覚や感情が知覚されるときに、それを「ありのまま」受け止めることが出来ているのが開かれた状態。
その感覚が「疲れている」とか「怖い」だとか、ネガティブなものであってら、それを「疲れてるなんていえないから頑張ろう」とか、「怖がらずにいよう」というふうに、その感覚を捻じ曲げて虚勢を張っている状態は、事実を歪曲して防衛している姿=開かれていないってこと。

私自身、コミュニケーションの話題のときに、「出来ないことがあっても責めずに、出来ていないってことを受け止めてあげてください」と言っていることがこのことになると思う。
「出来ていない」という感情が出てきたときに、「それじゃ駄目」とかいう風に責めたり、「出来なくても仕方ない」と慰めたりするのじゃなく、まず「出来ていない私なんだ」とそのまま受け止める。
そういうふうに受け止めても良いんだっていう、「自由に生きる」状態にさせてもらえるのが、最善のセラピィを受けたときに現れるクライエントの特徴だということ。


これはまさに、「いま・ここ・わたし」でいられる状態だと思うし、それを許されるセラピィって仏様の願いそのままだなぁと。
まぁ、仏法の場合は、いくら自分で閉じたつもりでも「見透かされている」という面もありますが。


今回、レジュメ担当したことで、いつも以上に内容をじっくり味わえた感じがありますね。
(逆に、普段は事前学習もなしに、その場の場の流れに任せているってことですが)

良い時間を過ごさせていただけました。