今日もはれたり♪くもったりⅡ 

熟年再婚14年目にして、人生変えたはずが。
恥ずかしながら、出戻りました。

紫陽花忌

2015-06-21 21:41:37 | 悲しい事


  4年前の6月16日4歳下の弟が亡くなった。

  体調が悪いのはわかっていたものの、

  病院行きを進めていたが、仕事が忙しい、大丈夫だよ!

  そんな言葉に、子供じゃないのだから、

  引っ張って連れて行くわけにも行かず、

  今にして思うと、

  無理に連れて行かなかった事を後悔している、

  でも、その時期でも手遅れは確かのようだった。

  
  40歳半ば大腸がんで手術を受けた弟は、

  大人のこぶし大に大きくなったがんの根を2個取り出した、

  余命、6ヶ月から1年と診断を受けた、

  ところが、奇跡なのか手術だけで抗がん剤も受けず、

  13年間再発もせず元気に回復していた、

  そんな弟が体調を崩してきた、

  食欲がなく、顔色も悪く、仕事も出来なくなった、

  我慢できなくなった弟は

  病院に行く覚悟が出来たらしく、電話をしてきた、

  がんの再発は覚悟で診察を受け、即入院となった、

  不思議に体の何処にもがんの兆候はなく、

  「腸閉塞」と診断、11時間の大手術を受けたのだった、

  
    


   小腸がすべて癒着していて、全摘出するしかなかった、

   長くて余命6ヶ月の診断に

    私たちは2度目の奇跡を祈り、

   ドクターはそんな状態でも、最良の手を尽くし、

   そこまで命を区切られてしまっていると知らない本人は

   完治すると信じて辛い治療に耐えた。

   そんな治療以外に亡くなる4ヶ月間、

   食事はおろか、一滴の水も許可が下りなかった

   唯一許されたのは、飴玉と氷のかけらのみで、

   すべて点滴からの水分補給なのだった。

   亡くなる3日前コーンスープやオレンジジュース、

   そして麦茶などの食事?が出された、

   もちろん固形物はない、スプーンで口に運ぶが

   1~2口がやっとだった。

   あと4.5日と言われていたので、交代で泊り込んだ、

   私が泊り込んだが、狭い簡易ベットに弟のうわ言

   機械の音、人工呼吸器、眠れなかった。

   交代して、夕方家に戻りシャワーを浴びたが、眠れず、

   静かに寝ていると連絡を受けたが

   弟の様子を見に行くことにした、

   夜遅くかなり強い雨が降っていたので、

   それを聞いた姉からメールが入った、

   「こんな雨の中、やめて、寝ていないし、事故でも起こして、

    二人失ったら、私が一人になるのよ!」

    強い口調のメールを無視して出かけていった。

    
           

        病室に入ると昨夜のうわ言がうそのように、

        静かに眠っていた、

        「一時間だけいたら帰るからね」耳元で話してみるが

        何の反応もない、

        肝臓の機能は低下して、顔は黒い、

        食べていないから痩せたからだ、

        腎臓も働かないから下半身のむくみは酷い、

        時々ナースステーションから機械の警戒音がなる、

        「あと30分したら帰るね、また明日くるから!」

        30分経って帰り支度をしていると、

        激しい警戒音とともに看護師さんが駆けつけ、

        弟の名を呼んだ、ドクターもかけつけた。

        スーと息が止まり、浮腫んで腫れ上がった弟の手を握ると、

        3回喉が動き、フーと肺の中の息が抜けた、

        「もういい、もういい、治療はしなくていいよいいから」
       
        静かに眠らせてあげたい、何も食べられないなんて

        辛い、あまりにも残酷すぎる、

        弟の手がだんだん白く冷たくなっていく、

        来ないはずの私を

        「看取ってよ」と呼んでくれたのね、

         今でもそう思う、ありがとう、

        あの雨の夜、車のライトに浮かぶ紫陽花が今年も咲いている。