LUCERNA PEDIBUS MEIS (Omelie varie)

足のともしび(詩編119)
Luce ai miei passi (Salmo 118)

年間31主日 C

2010-10-31 14:32:58 | Weblog
年間31主日 C
「今日、救いがこの家を訪れた」
【ルカ19:1-10 】

(1)ザアカイは徴税人の頭でした。当時のユダヤでは国内の神殿のために使われる神殿税と、そしてユダヤを支配するローマに納める人頭税・関税がありました。徴税人はこのローマに納める関税を担当していました。徴税人は、たとえばこんなふうにして徴税人の役職を手に入れたのです。
 ローマに集まり、たとえば尼崎市(武庫之荘)地区から集める税金を競争入札します。「私は尼崎から1億集める」「私は2億集められる」。こうして一番高い金額を提示した人が徴税人の頭という地位を得ます。2億を提示した人は、あらかじめローマに2億円を差し出します。こうして税金を取り立てる権利を得ますが、その後は、いくら税を取り立ててもかわまない。2億円で徴税人の頭の地位を得たのですから、4億円を集めれば2億円もの儲け。その代わり1億5千万しか集めることができなければ、5千万の損失です。当然一所懸命税を取り立てることになります。
 祖国を裏切りローマに仕える者、さらに金に執着し、自分の民からだまし取って私服を肥やそうとする。そのために罪人と扱われていたわけです。
 税金をめぐってトラブルが起こるということは、歴史の中でしばしば見られるのです。日本でも、江戸時代に「百姓一揆」ということは何回も起こっています。その時代から現代にまで、「年貢米」とか、「年貢の納め時」ということばがあります。

(2)さて、 ザアカイは「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群集にさえぎられて見ることができなかった。それで・・・、いちじく桑の木に登った」(3-4節) とあります。ザアカイはなぜイエスを見ようとしたのでしょうか。単なる好奇心でしょうか。しかし、木に登ってまでイエスを見たいというザアカイの姿には、何かしらもっと切実な思いも感じられます。また、背が低くて見えなければ、群集をかきわけて前に出ればよいはずですが、彼はそうしませんでした。ザアカイは周囲の人々の目を気にしていたのかもしれません。それ以上に、自分のような罪びとがイエスに近づいて行く資格はない、と感じていたのかもしれません。
 それでもザアカイはイエスを一目見たいと思って木に登るのです。彼はイエスという方が「罪びとを招いて、一緒に食事までしている」(ルカ15章2節)といううわさを聞いていたのかもしれません。そして、この人だったら、自分のどうにもならない思いを受け止め、理解してくれて、自分をこの行き詰まりから解放してくれるのではないか、という期待を持ったのかもしれません。

  (3) 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」この言葉を聞いてザアカイはどう感じたでしょうか。周囲にはおおぜいの人がいます。その中でイエスは自分にだけ声をかけてくれたのです。しかも「一緒に食事をする」だけでなく「あなたの家に泊まる」と言うのです。どれほど大きな喜びを彼は感じたでしょうか。
 なお、この「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(5節)は、「今日、わたしはどうしてもあなたの家に泊まらなければならない」とか「今日、わたしはあなたの家に泊まることになっている」とも訳せる箇所です。これは、そのことが神の救いの計画の中にあることだから必ず実現するはずだということを示す表現です。

  (4) ヨハネ福音書4章7節で、イエスはサマリアの女に「水を飲ませてください」と声をかけました。ここでもイエスはザアカイに対して「わたしがあなたに何かをしてあげよう」というのではなく「あなたの家に泊めてくれ」、つまり「あなたにはわたしのためにできることがある」と言ってザアカイに近づきます。どんなに罪びとのレッテルを貼られた人であっても、あなたの中に素晴らしいものがある、あなたにはよいことをする力がある、とイエスは見ているのです。そういう眼差しに出会ったとき、人は本当に新たに生きる力を与えられるのではないでしょうか。イエスのいう「この人もアブラハムの子なのだ」(9節)という言葉は、「この人も神が祝福を約束してくださった人間なのだ」ということです。ザアカイはイエスとの出会いによって、自分が生きるに値しない呪われた罪びとではなく、自分もアブラハムの子なのだ、ということに気づいていきます。そして、新しい神とのつながり、人とのつながりに生き始めようとするのです。イエスに出会ったことは、ザアカイの人生を根本から変えてしまいました。もちろん、彼はこれからも罪びとのレッテルを貼られたまま生きていかなくてはならないでしょう。でも彼はもはや「神に見捨てられた罪びと」ではなく、「神に愛された罪びと」なのです。

  (5) 別の徴税人の物語を思い出してみましょう。マルコ2章14節にはこういう話がありました。「(イエスは)通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」
 イエスは、ザアカイには「わたしに従え」と要求しませんでした。ザアカイもすべてを捨ててイエスに従うとは言いません。ザアカイは徴税人をやめないのです。ただ自分の置かれた場で精一杯、正しいことを行い、貧しい人を大切にして生きようと決意するのです。イエスはその決意を受け入れ、「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言しています。
 きょうの福音の箇所には「今日」という言葉が2回出てきます(5,9節)。この「今日」という言葉は、ルカ福音書の中では特別な重みのあることばです(ルカ2章11節、4章21節、23章43節など参照)。「今日」とは、今まさに人が神の愛とゆるしに出会うその時であり、今まさに神の救いが実現しているその時なのです! わたしたちも、神の救いが実現している「今日」を感じることがあるでしょうか?


年間30主日 C

2010-10-22 09:24:28 | Weblog
年間30主日 C  
「神に義とされて自分の家に帰ったのは、この徴税人であった」
【ルカ18:9-14】


 
 私たちが今日の福音書を聞いて感動し、また慰められるのは、おそらく、自分を徴税人のひとりになぞらえるからではないかと思います。自分もまた神の前に出たら、徴税人と同じだ、ただ神の前に頭を垂れる以外にないと思う、しかしこういう徴税人を神は喜んでくださる、義としてくださるのだ、そう思って私たちは慰められるのです。

 しかし私たちはこの徴税人の祈りを本当に祈ることができるだろうか。私たちはもうこの徴税人の祈りは祈れなくなってしまっているのではないか。

 というのは、この聖書の箇所について、キルケゴールという思想家の有名な言葉があります。それは、われわれはこの徴税人の祈りをするときに心のどこかに、「神よ、わたしはこのファリサイ派の人のような人物でないことをあなたに感謝します」と祈っているのだというわけです。ファリサイ派の人が「わたしがこの徴税人のような人間でないことを感謝します」と祈っているように、私たちは「わたしはこのファリサイ派の人のように傲慢でないことを感謝します」と祈っているのではないかというのです。そして私たちがイエスのいわれた通りに末席(まっせき)につこうとするのは、本当の謙遜からではなく、傲慢からでたことなのだというのです。

私はもうファリサイ派の人のような祈りをする人はおそらくいないと思います。この主イエスの話は、もともとはファリサイ派の人が主題で、徴税人はこのファリサイ派の人を批判するために持ち出された話です。主イエスの言いたいことは、もともとは「自分を義人だと自任して、他人を見下げている人たちに対して」語ろうとしているのですが、今の私たちは、この徴税人の祈りを真似しながら、自分はファリサイ派の人でないことを感謝しますと祈ることによって、もっとファリサイ派的な傲慢さに陥ってしまっている者に向けられたみことばとしてここを読まなくてはならないと思うのです。
 
 ですから、もうこの徴税人の祈りを私たちはできなくなっているのではないか。
 そして本当は今の私たちができなくなっているだけでなく、イエスの時代の時からこういう祈りをした人はいないのではないか。なぜなら、この徴税人は実際に存在した徴税人ではなく、主イエスが話された中に登場してくる人物ではないかと。そう考えますと、聖書の中で私たちが感銘を受ける人物、この徴税人にせよ、あの強盗に襲われた者を親切に介抱したよきサマリヤ人にせよ、それらの人は実際に存在した人物ではなく、みなイエスが話された人物、イエスがこういう人がいたらいいなと想像した人物なのだということは、かんがえられないでしょうか。

 パウロは、「わたしたちはどう祈ったらいいかわからないが、聖霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなしをしてくださる」と言っております。そのようにして聖霊は弱いわたしたちを助けてくださるというのです。
 
「どう祈ったらよいかわからない」ということは、もう祈ることがができなくなったということです。その時に聖霊がいっしょになって言葉にならないうめきをもってとりなしてくださって、そしてはじめて祈れるようになるというのです。
 
  ある人の話に、自分がなにか大変悪いことをして、人を傷つけて、電車に乗った。すし詰め電車だった。途中で誰かに思い切り足を踏まれた。その時に、ひとつも怒る気にはなれなかったというのです。自分はこのようにして足を踏まれても何にも文句が言えない罪人だと思いながら、その電車に乗っていたというのです。

 この時の徴税人はまさにそのような心境だったのではないか。だから、彼は祈るために神殿に上りながら、神の前に立たされた時に、もう祈れなくなった。ただ、遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸をうちながら、それでも神に向かって、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と言ったのです。聖書はファリサイ派の人のほうは「こう祈った」と記しておりますが、徴税人については、祈ったという言葉はなく、「胸を打ちながら言った」と記すのです。もう自分は祈れないと思った、だからただ「言った」だけなのです。

 わたしは祈りについ書かれた文章で印象に残っているのが二つあります。一つは小塩節(おしお たかし)という人が書いている文章です。自分の子が重い病気になった。必死に祈ったというのです。しかしそのうちに祈れなくなった。祈っても祈っても子どもの病はよくなってこなかったからです。だから、夫婦で食事の前に祈る時には、「主の祈り」をふたりして唱えた。そのうちにその主の祈りも祈れなくてなったというのです。なぜなら、「主の祈り」のなかには、「みこころの天になるごとく、地になさせたまえ」とあるからです。なんとしてでも子どもの病気をいやしてもらいたい、そういう時に神のみこころのままになさってくださいなどとはとても祈れなくなってしまったというのです。だから、もう「主の祈り」も祈れなくなって、食事の前に夫婦で黙祷しようと言って、しばらく黙祷して食事をしたというのです。
 
 もう一つの文章は、これも主の祈りと関係してくる文章ですが、竹森満佐一(たけもりまさいち)の書いた「主の祈り」の文章で、「われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」という祈りをめぐってのところですが、第一次世界大戦の時、ドイツ軍がベルギーに攻め入って、多くの町を破壊した。その次の日曜日にある町で、こわれた会堂の中で礼拝が行われた。

しかしいつものように、「主の祈り」を祈る時になって、この句のところにきた時に、みんな黙ってしまった。その時に、みんながドイツ人が自分達に対してしたことを思い出して、それを考えるととてもゆるす気にはなれなかった。だからだれも「われらがゆるすごとく」とは祈れなかった。そして少し時がたって、だれからともなく、「われらの罪をゆりしたまえ」と祈りつづけたというのです。
 
自分の罪を考えたら、とても祈れなくなってしまった徴税人。 
 祈りというものは、そのようにして一度祈れなくなってしまって、どう祈ったらよいかわからなくなってしまって、言葉にならないうめきのようになってしまって、それでも神にしか助けを求めざるをえなくなって、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と小さな声でうめく、それが祈りなのではないか。
 
それが、というよりは、それも、祈りなのではないか。
 しかしあのファリサイ派の人の祈りは、決して祈りなんかではないのです。ど自分の義を神に主張しているだけです。

しかしあの徴税人も、本当は祈っているとはいえないのです。なぜなら、彼は遠く離れて立ち、目を天に向けようともしていないからです。つぶやくように、「神様」と呼びかけているだけです。彼のこのつぶやきを祈りに導いてくれたのは、主イエスです。「あなたがたに言っておく、神に義とされて自分の家に帰ったのは、この徴税人であった」という主イエスの言葉です。
 
私たちは神に義とされようとして、この徴税人の祈りを真似ることはもうゆるされないのです。この時徴税人は、神に義とされるなんてことは、夢にも思わなかったのです。ただ「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と、つぶやくように言っただけでなのです。イエスがその徴税人を神に義とされた者として私たちに紹介してくださった。だから私たちは、このような祈りしかできない者を神が義としてくださる、神がゆるしてくださる、だから私たちはこのような祈りをすることができるようになるのです。
 
義とされようとして、このような祈りをするのではなく、義とされた者として、もう赦された者としてこのような祈りをすることができるということなのです。そして、今度はしっかりと目を天に向けて祈れるようにならなければならないのです。
 
 主イエスはこのたとえ話をする前に、「人の子が来るとき、地上に信仰がみられるであろうか」と、嘆いているのです。あのファリサイ派の人の祈りはもちろん信仰ではないのです。そしてこのように祈る徴税人もまたまだ信仰をもっているとはいえないのです。彼が信仰をもてるようになるのは、「あなたがたに言っておく、神に義とされて自分の家に帰ったのは、この徴税人であって」というイエスの言葉を聞いてから、彼の信仰が始まるのです。目を天に向けられないで、うなだれたままでは決して信仰とはいえないのです。

私たちが義とされるために教えていただいた祈りといえば、それは「私たちに負い目のある人をゆるします(ように)から、私たちの負い目をもおゆるしください」(マタイ6・12)なのです。アウグスティヌスが言うように(「神の国」XIX・27)この世においては、正しさは完全な徳よりもむしろ罪のゆるしにあるのです。
「この祈りは、その信仰が業(行い)をともなわないで死んでいる人にとっては効果が無く、その信仰が愛によって働いている人にとってに効果がある。」「このような祈りは正しい人にとって必要なのである。」
なぜなら、「神は高ぶる者を(敵とし)退け、へりくだる(謙遜な)者に恵みを与える」(ヤコブ4・6;1ペトロ5・5;箴言3・24)。
「福音的勧告に従って完全な愛徳(perfectae caritatis)を追求することは、神なる師の教えと模範にその起源を持ち、天の王国の輝かしいしるしである」(第二ヴァティカン公会議、「修道生活に関する教令」冒頭)



覚え書き  (教会に罪人がたくさんいるということに関して)

2010-10-22 09:03:42 | Weblog

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マタイ13:25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。

13:26 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。

13:27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』

13:28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、

13:29 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。

13:30 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

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「神は、どんな悪をも行われ得ないようにするよりも、むしろ悪からも善を生ぜしめるようにするほうがよいと考えられたのである」(アウグスティヌス)

“Melius enim judicavit de malis bene facere, quam mala nulla esse permittere”

(Augustinus, Enchiridion ad Laurentium, 27 (PL 40, 245)

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自分なら、問題だらけのこの世界よりも、よりよい(悪はより少ない)世界を考え出せると思うときがあるでしょう。けれども、ちょっと待ってよ、この世界を造って今も支えておられるのは神様じゃないですか。ということは、自分は神様よりも賢い、ということになってしまうんです。これこそ、傲慢ということじゃないでしょうか。

年間29主日C

2010-10-17 15:28:10 | Weblog
年間29主日C
【やもめと裁判官の譬え】
ルカ18:1ー8


「失望しないで祈るように」と、今日の福音書でイエスは希望について語っています。人生
は、希望によって支えられています。

希望の学びやとしての祈り


(教皇ベネディクト16世 回勅 『希望による救い』、カトリック中央協議会訳)

32 希望を学ぶための第一の根本的な場は祈りです。だれもわたしに耳を貸さないときにも
、神はわたしに耳を傾けてくださいます。だれと話すこともできず、だれに呼びかけること
もできないときにも、わたしはいつも神に語りかけることができます。人間が希望できるこ
とを超えた必要や望みに関して、だれもわたしを助けてくれないときも、神はわたしを助け
てくださいます。わたしが徹底的な孤独のうちに追いやられても:::、もし祈るならば、わ
たしは完全に独りではありません。故グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿(一九二八-二〇〇
二年)は、十三年間投獄され、そのうち九年問は独房で過ごしました。ヴァン.トゥアン枢
機卿は『希望の祈り』という、小さいながら貴重な本を残してくださいました。獄中での十
三年間、まったく絶望的に思われる状況の中で、神に耳を傾け、神と語ることができること
が、ヴァン・トゥアン枢機卿の希望の力を強めました。この希望の力によって、ヴァン.ト
ゥアン枢機卿は、釈放後、世界中の人々に対して希望の証人となることができました。この
偉大な希望は、孤独の夜の中でも消えることがないからです。

33 聖アウグスチヌスは、ヨハネの手紙一についての説教の中で、祈りと希望の密接な関係を
みごとな形で明らかにしています。聖アウグスチヌスは、祈りとは望みの実践だといいます。
人問は偉大な存在である神ご白身のために創造されました。それは、神に満たされるた
めです。しかし、人問の心はあまりに狭く、人間が目指している偉大なものを受け入れるこ
とができません。ですから、心を広げなければなりません。「神は(ご自分のたまものを)
遅らせることによって、一わたしたちの一望みを強めます。神は望みによって魂を広げ、魂
を広げることによって一神を受け入れる一力を与えます」。アウグスチヌスは聖パウロを例
に挙げます。聖パウロは来るべきものに全身を向けるといっているからです(フィリピ3.13参照)。
次いでアウグスチヌスはたいへん美しいたとえを用いて、人問の心が広げられ、整えられる、
この過程について述べます。「神があなたを蜜[みつ](蜜は神の優しさといつくしみの象徴です)
で満たそうと望んでいると考えてください。しかし、もしあなたが酢で満たされていたら、
どこに蜜を入れることができるでしょうか」。あなたの心という器をまず大きくし、次に
清めなければなりません。すなわち、酢とその味がなくなるようにしなければなりません。
これは辛い労苦を必要とします。けれども、このようにして初めて、わたしたちは自分たち
が目指すものにふさわしいものとなることができるのです{26}。アウグスチヌスは直接には
、神を受け入れる能力についてのみ述べています。とはいえ、このことは明らかです。すな
わち、わたしたちは、酢とその味をなくす努力を通じて、神に対して開かれた者となるだけ
でなく、他の人に対しても開かれた者となります。実際わたしたちは、神の子となることに
よって初めて、共通の父をもつことができます。祈るとは、歴史を離れ、私的な空間に引き
こもり、自分の幸せを求めることではありません。祈りの正しい方法は、内的な清めを行う
ことです。内的な清めを行うことによって、わたしたちは神を受け入れることができ、そこ
から、人々をも受け入れることができるようになります。わたしたちは祈りの中で、何を本
当に神に求めることができるか、すなわち、何が神にふさわしいことかを学ばなければなり
ません。わたしたちは、他人に敵対しながら祈ることができないことを学ばなければなりま
せん。わたしたちは、今このときに欲しい、表面的な快適さを祈り求めることができないこ
とを学ばなければなりません。このような誤った小さな望みは、わたしたちを補から遠ざけ
るからです。わたしたちは自分の望みと希望を清めなければなりません。わたしたちは、自
分白身を偽るような隠れた嘘から自由にならなければなりません。神はこのような嘘を見通
されます。また、神の前に出れば、わたしたちもこの嘘を認めざるをえません。詩編作者は
祈ります。「知らずに犯した過ち、隠れた罪からどうかわたしを清めてください」(詩編
19.13)。自分の罪を認めることができなかったり、自分が無実であると錯覚していたとし
ても、それで自分を正当化することはできませんし、それが自分を救うことはありません。
なぜなら、良心が麻痺したり、自分をありのままに認めることができないことは、わたしの
責任だからです。神が存在しなければ、わたしはこれらの嘘に逃れ場を求めなければなりま
せん。わたしをゆるすことができる者がだれもいないからです。だれも真の基準となってく
れないからです。しかし、神との出会いは、わたしの良心を呼び覚まします。こうして良心
は自分を正当化しようとしなくなります。また、良心は、自分や、自分の意見を左右する同
時代の人間の反映ではなくなります。良心は善であるかた白身に耳を傾けることのできる力
となるのです。

34 このような清めの力を深めるために、祈りはまず個人的なものとならな
ければなりません。わたしの内面と、神との、それも生きた神との出会いとならなければな
りません。同時に、教会と聖人の優れた祈り、また典礼の祈りがこの祈りをつねに導き、照
らさなければなりません。こうした祈りの中で、主は正しく祈ることを教え続けてくださる
からです。グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿は、黙想の書の中でいいます。その人生の中で
、枢機卿は長い問祈ることができませんでした。そして枢機卿は、教会の祈りのことばを唱
え続けました。すなわち、主の祈り、聖母マリアヘの祈り、典礼の祈りです(27)。祈りは
つねにこうして公的な祈りと個人的な祈りを組み合わせて行わなければなりません。このよ
うにしてわたしたちは神に語りかけることができます。また、このようにして神はわたした
ちに語りかけることができます。こうしてわたしたちは清めを行います。清めを通してわた
したちの心は神に開かれたものとなり、人々に奉仕するよう整えられます。こうしてわたし
たちは偉大な希望を受け入れることができるようになり、そこから、他の人のために希望に
奉仕する者となります。キリスト教的な意味での希望は必ず、他の人のための希望です。そ
れは生き生きとした希望です。わたしたちはこの希望によって、すべてが「誤った終わり」
に向かうことがないよう戦うからです。それは生き生きとした希望です。なぜなら、わたし
たちは世をいつまでも神に開かれたものとするからです。このようにして初めて、希望は真
の意味で人間らしいものとなることができるのです。

(26) 聖アウグスティヌス『ヨハネの手紙一講解』(S. Augustinus, In Ioannis epistulam ad Parthos tractatus 4, 6: PL 35, 2008s) 参照。
(27) グェン・ヴァン・トゥアン『希望のあかし』(Nguyen Van Thuan, Testimono della speranza, Citta’ Nuova 2000, 156s)。

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「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ルカ18・1-8 私たちの現実の中で、
神の言葉は必ず成就するのだと信じて、生きていくために、どうしても必要なことは祈りであ
る。祈りとは、私たちが神に求めていくものだと考えがちである。もちろんその祈りも大事
であるが、祈りの根本は、願いや求めではなく、神の言葉に従って生きていこうとする者の
、直面する困憊(こんぱい)や、不安の中から生まれる叫びだと想う。これでよいのですか
、こんなことをしていてだいじょうぶですかという叫びだと思う。パウロも次のように証言
している。「十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまい
と、決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく
不安であった」(コリントI.2.2ー3)。イエスの十字架だけで生きようとしたとき、彼もまた
非常に不安を感じたのである。そのように神に信頼をおけばおくほど、私たちは不安を感じ
、その中から叫びが出てくる。私たちが信仰生活をしていくとき、不安を感じてこないのは
、神の言葉をまともに聞いていないからである。イエスの祈りはどうであったろうか。「キ
リストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあ
るかたに、祈りと願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである
」(ヘブル・5・7)とあるが、それは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」-すなわち「わが神
、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ・27・46)に見られる。こ
のときだけ、ただ祈ったというのでなく叫んだと書かれてある。神に祈っているのか、人に
聞いてもらっているのか、神様感謝いたしますという最後の言葉がなければ、祈りかなにか
わからないあいさつのような祈りをする人がいます。祈りは、祈る言葉とか、祈る時が問題
ではなく、私たちが神に対してどのような生き方をしているかが問われるのである。神への
深い信頼と真実の生き方からだけ叫びの祈りは生まれてくる。(榎本)

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イエスの祈りはどうだったでしょうか。オリーブの山で、「父よ、み旨なら、この杯を私から
取り去って下さい。しかし、私の思いではなく、み心が行われますように」といのりました。
イエスの祈りは聞き入れられました。しかし、その場ですぐに苦しみが取り除かれたのではなく、
その苦しみを通して、イエスが本当に望んでおられたことが実現したのです。私たちが人間の
小さな頭で考えて望んだことよりも、もっとすばらしい方法で、私たちの望みが実現すると
保証されています。(ネメシュ)



年間28主日 C

2010-10-10 14:55:51 | Weblog
年間28主日 C
【重い皮膚病を患っている十人の人をいやす】
ルカ17:11-19


「重い皮膚病」は聖書の中で以前は「らい病」と訳されていましたが、1996年の「らい予防法」廃止を契機に新約聖書・新共同訳で「重い皮膚病」と訳されることになりました。差別的なニュアンスのある「らい病」という言葉を避けるためであり、また、聖書の中のこの病気が現代医学の「ハンセン病」と同じだとは言い切れないからです。しかし、「重い皮膚病」と言ってしまうとあまりに漠然としていて、古代から続くハンセン病の患者たちの大きな苦しみを感じることができなくなってしまうかもしれません。
ハンセン病の国家賠償請求訴訟の報道で、元患者さんたちがマスコミの前に堂々とお出になるようになりました。比較的後遺症の軽い方々がテレビに登場されたのですが、それでも、顔の表情が変わってしまわれたり、手の指が失われていたり、関節が曲がったままになっていらしたり、歩けなくなる方もいる。症状が進むと、失明もするのです。そうするとここを「重い皮膚病」と訳すのは、やはりこれもまた十分ではない。だいたい現代では、「重い皮膚病」と言えば、ハンセン病のことを連想する人はまずいないでしょう。むしろほとんどの人は、「アトピー性皮膚炎」を連想することでしょう。  しかしいずれにしても、十分な訳語が見つからないこともまた事実でありまして、それがまたこの問題の歴史を表しているようなものなのです。
さて「らい病」と判定された者は一般社会から隔離された所に住み、普通の人と交わることはもちろん、近づくことさえ許されていなかった。人が近くに来ると、「汚れた者、汚れた者」と叫んで、その存在を知らせなければならなかった。ただ神だけがらい病を清めることができるとされ、らい病人の清めはメシヤがもたらす終末的な祝福の一つとされたいた。
洗礼者ヨハネが弟子を遣わして、「『来るべきかた』はあなたですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と訊ねた時、イエスはこう答えておられる。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」また、イエスは十二弟子を宣教に派遣するにあたって、こう言っておられる。「 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。 10:8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」(マタイ一〇・七~八)。これらの箇所で「らい病人の清め」が他の病気の癒しとは別の種類の業として扱われていることが注目される。それは「清める」という動詞が示唆しているように、単なる身体の病気の治癒ではなく、「汚れた者」として神の民の交わりから断たれていた者が「清い者」として再び神の民の交わりに迎え入れられることを意味している。「らい病人を清める」ことは、「死人を生き返らせる」ことと並んで、終末時の神の業として特別の意義を持っているので、マルコは一人のらい病人の癒しを他の多くの癒しの業の中に埋没させることなく、詳しく伝えるのである。
やはり、ここでらい病は罪を背負っている人間の状態を描くシンボルだと思われます。神も隣人も愛せない人間がらい病患者のようなものだ、そのような恐ろしい難病にかかっているようだ、というわけです。
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となると、このように考えることができます。つまり、わたしが患っている重い皮膚病は何か。わたしを他者から隔ててしまう心の傷、エゴイズム、偏見、プライド・・・。その重さにわたしは気付いているだろうか。声を張り上げて、「イエスさま、憐れんでください」と叫ぶことができるだろうか。実際に私たちは既に、イエスの血と水によって清くされた。その事実を見ようとしているだろうか。主よ、敏感な心をお与えください。日々あなたに癒して頂いていることに気付き、感謝のうちに生きていけますように。
聖書では救われるということは、ただ自分の問題が解決されることではなく、その自分の問題を解決してくださったかたが誰であるかを知って、そのかたを信じるようになること、そのかたと交わるようになることだというのです。
自分が本当に救われるためには、ただ自分が幸福になることではなく、自分を幸せにしてくれるかたと交わること、自分以外の人に目を向けることなのではないか。自分だけに向けられていた目を、他の人にも向けるということです。
ナアマンは預言者エリシャのところに彼のほうから出かけていって、「わたしは今、イスラエルのほか、全地のどこにも神のおられないことを知りました。これからはただイスラエルの神、ヤハウェだけにひれ伏します」と言って、預言者エリシャに感謝をするのです。
この記事は、われわれが本当に救われるためには、あまりきれいでもないヨルダン川に七度自分の身を清める、そういうへりくだるという行為をしないとわれわれは救われないのだということをよく示している記事であります。彼は将軍ですから、英雄的なかっこうのいいことなら、喜んですることができるのです。
しかし神を信じるというこは、そういうことではなく、神の前に身を低くすることであります。神の前にひれ伏して、砕けた魂を捧げることなのです。そういう信仰をわれわれがもてないならば、われわれの病は一時的にはいやされても、われわれの体の根源にあるわれわれの罪は清められることはない、救われることはないのです。

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さらに考えると、つまりどんなに大きな奇跡を経験していても、それがイエス・キリストが「神から遣わされた者」であることを読み取るしるしにはなるとは限らないのです。見ることと、見抜くことは違う、あるいは見ることと見分けることは違うということです。見てはいても見抜くことができない。あるいは見分けることができない。イエス・キリストは別のところでイザヤの言葉を引いて「あなたたちは聞くには聞くが決して理解せず、見るには見るが、決して認めない」(マタイ13:14、イザヤ6:5)とも言われました。これは今日の私たちにもあてはまることではないでしょうか。私たちも、時々不思議な出来事に遭遇いたします。その時に、同じ経験をしていても、ある人はそれを単なる偶然と見ますし、ある人はそこに何らかの神様の働きを見ます。いい出来事があった時に、ある人はそれを単にラッキーと喜ぶだけですが、ある人はそこに神様の恵みを覚えて、感謝をします。逆に悪いことが起こった時にも、それをただ不運と見るのか、あるいはそこに神様の何かしらの警告を見るのか。「神も仏もあるものか」と思うか、あるいは「どうして神様はこのようなことをなさるのか」と深く考えるか。そこに違いが出てくるのではないでしょうか。


「健康さえあれば恐いものなし」と思っている人々はたくさんいますが、しかし体の健康よりも心の健康の方が大切であることを改めて学ぶ必要があると思います。らい病を患っていた人々は病気のときにグループとして行動し、助け合っていたが、元気になったとたん、ばらばらになりました。自分たちの心の病気に目を止めていなかったからでしょう。イエス様はこの人々のいのちを助けて上げたけれども、決して恩きせはしません。完全に彼らの自由にまかせます。困った時に、助けを求めますが、よくなりますと、(のどもとを過ぎれば熱さわすれる)恩を忘れて平気な顔をします。信仰生活の場合もそうですが、困っているとき神の助けを求めますが、一応問題が解決しますとイエスの言うことを聞かなくなります。恩着せがましい神様に従った方がいいなのでしょうか?自由にしてくださる神様に従うことにどのような意味があるのでしょうか?
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年間27主日 C

2010-10-03 15:07:36 | Weblog
年間27主日 C
【ルカ17:5-10 取るに足りない僕】


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正直言って、今日の話を聞いて、途惑いを感じますす。
畑を耕し羊を買う僕がいます。やっと仕事が終わり疲れて帰って来ます。その僕に主人は言います。「さあ、今度は夕食を作れ」。僕は主人のために、疲れた体で、やっと食事を作り終えました。それに対して主人の返す言葉はこうです。「お前は当たり前のことをしただけだ。取るに足りない僕だと言え」。
この譬え話で僕とは人間です。主人とは神様です。これはおかしな話ではないですか。人間はこのように神様にひたすら仕えろというのです。聞きなれているから当たり前と聞き流すのでなく、どうして神様はこんなひどいことを言うのか。この譬えには神様の愛の一かけらも感じられないと、視点を変えなければなりません。それがあって初めて、聖書を深く読み、理解し、行動することが可能になるのです。

キリスト教は一人ひとりを大切にしてくださる神様の愛を教える宗教だったのではないですか。そしてイエス様はこの私の愛のゆえに、私を救おうと、十字架にかかったはずです。それなのにどうしてこんな話が出てきたのでしょう。
私は確かに神様からかけがえのない人間として選ばれたものです。ある意味で主人公です。しかしそのことは、すべて自分の思う通りになることではないことも、はっきりと知らなければなりません。神様はけっして人間の都合どおりには動かない。神様が人間に仕えるのではありません。人間が神様に仕えるのです。
それなのに私たちはとかく神様を自分の僕にしてしまいがちです。困ったとき、神様に何とかしてもらおうと願います。うまくいかないと腹をたて、「神などいない。神がいるならどうして」と言ってしまいがちです。つまり自分が大切で主人公と言う気持ちは大切ですが、しかし間違うと神様を自分に仕える僕にしてしまう傾向があるのです。
面白い一例をとりあげてみましょう。たとえば「てるてる坊主」という歌があります。皆さんも一度ぐらい聞いたことがあるでしょう、何気なく歌われる歌ですが、けっこうこわい歌詞です。

てるてる坊主てる坊主、明日天気にしておくれ     
いつかの夢の空のよに、晴れたら金の鈴あげよう
私の願いを聞いたなら 甘いお酒をたんと飲ましょう
それでも曇って泣いたなら そなたの首をちょんと切るぞ

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てるてる坊主を正立させた状態で軒先などに飾ると、明日の天気が晴れになるという。

一部の地域などでは逆に倒立させた状態(いわゆる逆さ吊)で飾ると、明日の天気が雨になるとされている。

いわゆる人類の原始的な歴史より行われてきた、呪術信仰に基調がある。具体的事例をあげるとするならば、縄文時代の土偶(どぐう)の原理と同じである。つまり、ある主体を犠牲にすることで、別の主体を改善するという等価交換の原則に基づいた風習であるといえる。

てるてる坊主の起源は中国にある。長雨などで河川の氾濫が起こったり作物に甚大な被害が発生したりする場合に、古来中国の人々は、幼い児童を集団で痛めつけ無理やり涙を流させた。そして最終的に彼らを軒下などに吊るし上げて殺害した。このとき「生贄」になった児童の涙や、暴力によって欝血した体より流れ出たおびただしい量の血液、もしくは殺害の方法が絞殺であるがゆえに生じる流れ出る唾液や糞尿が、「雨」の代わりであるとして、晴天への希望を託したのが、てるてる坊主の起源である。ちなみにこの行動を行えど晴天にならない際には、複数の児童を「てるてる坊主」にしたという記述もある。

後にこの風習は日本にも伝えられ、同様のことが行われた。しかし、中国にしろ日本にしろ、てるてる坊主の内容は「人の代わりに人形を吊るす」といったものに移行していった。しかしながら、人形は何も流さないため、壊滅的な雨量がもたらされる場合はやはり人間の子供を「てるてる坊主」にすることがあった。

日本では、江戸時代中期ごろに既に飾られていたようで、『嬉遊笑覧』という本には、晴天になった後は、瞳を書き入れて、川に流すと記されている。これは、かつての風習により生じた死体の処理方法が、雨の後の水かさが増した川に投げ入れたという合理的な行動に起因するものとされる。
[編集] 童謡

作詞浅原鏡村(浅原六朗)、作曲中山晋平による同名の童謡は有名である。1921年(大正10年)に発表され、教科書にも掲載されていた。3番の歌詞は、「晴れにならなければ首をちょん切る」といった内容が記されている。これは大量の児童を生贄にささげ、それでも雨が止まらない場合、児童の死体の首を切り落として、流れ出た児童の血液を雨の代わりとしたという行動に基づいたものであるとされる。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%9D%8A%E4%B8%BB

3番の歌詞は、「晴れにならなければ首をちょん切る」といった残酷な内容であるため、現在放送する際はカットすることが多い[要出典](「おばけなんてないさ」の影響である)。

「てるてる坊主」
浅原鏡村(あさはら・きょうそん)作詞・中山晋平(なかやま・しんぺい)作曲



てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
いつかの夢の 空のよに(注)
晴れたら金の鈴(すず)あげよ

てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
私の願(ねがい)を 聞いたなら(注)
あまいお酒を たんと飲ましょ

てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
それでも曇(くも)って 泣いたなら(注)
そなたの首を チョンと切るぞ


http://www.youtube.com/watch?v=reLSYByhJ7c&list=QL&feature=BF


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要するに、私の願いを叶えたら、金の鈴をあげ、大切にお祭りするけれど、そうでなければ、打ち首だというわけです。
人間の気まぐれ。自分の都合によって、神様を評価し、価値を決める。神様を自分の奴隷にする傾向。こうした日本的な考え方に対し、そうではないと神様は語ります。
だから「困って神様に何とかしてもらいたいと叫ぶ。しかし自分の願いがかなわない」。そんな時、ただ腹をたて「神はどうして何もしてくれないのだ。神などいない。自分は見捨てられた」。そう言って、せっかくもらった信仰を捨て、神様から離れることのないようにしましょう。
そのために、神の計らいを辛抱して待ち続ける忍耐を、神様への絶対的な信頼を持ちましょう。十字架にかかったイエス様と共に留まりましょう。すぐに「神の子なら十字架から降りてみよ」と奇跡を要求することのないようにしましょう。
「この世の人間的な幸福」。そのようなものは、イエス様もマリアも、他のすべての聖人も、必ずしも与えられてはいないのです。悲惨な死、別れ、この世の不幸といつも一緒でした。そんな中で、いつも神様のみ旨は何なのか、思いめぐらしながら歩んでいました。こうして苦しみをも神様のみ旨として受け止めながら、聖人たちも歩んだのでした。神様から愛された人間だから、この世で楽に過ごせる。そんな約束は、最初からなかったのです。イエス様もマリアもどんなにこの世の苦しみと立ち向かいつつ歩んだことでしょうか。
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9月15日「悲しみの聖母」 記念日、参照
聖母の苦しみ、ルカ2・33-35


人間的な目で見ますと、マリア様はこの言葉のとおり、本当に不幸な人間としてこの世に来て、不幸そのままに帰られた方かもしれません。しかし、彼女が示してくださったことは、彼女はあせったこともなければ、自分が呪われたと思ったこともありませんでした。み旨を伝えられた時、ただ心に留めて黙想する姿だけを見せてくださいました。母親にとって一番辛いことは、自分より先に息子を逝かせることだそうです。その痛みさえ、受け入れなければならなかったマリア様の心を考えてみますと、やはり私たちが感じている痛みは贅沢なものなのだ、という気がします。
今日の福音(ルカ2・ 33‐35)で、シメオン預言者によって「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」と預言されています。それは、刺し貫かれるくらいの痛みを感じます、という意味です。そしてイエス様には「この子は、反対を受けるしるしとして定められています。」と預言しています。この預言者から聞かされた話では、マリア様は最後まで、人間的に不幸に生きるしか方法がない、となります。「反対を受けるしるし」とは、どういう意味でしょうか。死ぬ時まで、敵として反対される人生を過ごさなければならない、ということです。そのような息子を見る母の心は、剣で心を刺し貫かれるような痛みをいただくだろう、ということです。

皆様、イエス様が見せてくださった真理はただ一つです。「あなたが本当に救われるためには、あなたに与えられたその痛みを抱きしめて乗り越えなさい。」という言葉です。誰でも嫌なことを抱きしめたくはありません。できるだけ自分にはよいことをしながら、人からは、「よい人だ」と言われたいのが、私たちの一番本能的な傾きかもしれません。しかし、本当にまじめで真実な生き方をした人々の人生は、いつも苦痛との戦いでした。乗り越えようとしても乗り越えられないかもしれないし、そのまま終わるかもしれません。しかし、クリスチャンである私たちにとっては、必ず乗り越えようとする自分との戦いがなければ、今日の福音の意味、そしてマリア様の痛みや悲しみの意味を理解するのが出来なくなると思います。
皆様、いろいろ疲れることもあるのでしょう。しかし、それを恵みだと思ってください。罪がたくさんあるところに恵みがある、という使徒パウロの言葉は、ただ言葉だけのものではありません。痛みを意識しながら、痛みを乗り越えられる希望を持つこと、それがよい方法であることを覚えましょう。 


私たちはだからこそ祈る必要があります。「信仰を増してください」。この信仰とは、自分の思う通りにしてくれる神様を信じるのではありません。自分の思い通りにならないときにも、神様がいながらなぜと思えるときにも、神様を信じられる、そのような信仰を下さい。そういう意味です。
第二朗読にもだからはっきり書かれています。「神の力に支えられて、福音のために私と共に苦しみを忍んでください(Iテモ1:12)」。神様の重要な使徒であるパウロも、主のためには喜びと共に、苦しみにもたくさん遭いました。そのパウロが自分と一緒に、苦しみを忍んでくださいと願うのです。信じることの基準を目前の自分に都合のいい奇跡にばかり置き、それを約束しないからキリスト教は信じるに値しない。そうした考えも間違いです。
神様は私を愛し抜かれ、大切にしてくださった。だからといってこの世は楽に過ごせるわけではない。神様は道具ではありません。神様の愛は、自分の思いのままにならないときにも、しっかり潜んでいる。そのようなときも、神様の愛を信じ、賛美する必要があります。神様が主人だからこそ、私は苦しみの中でも、神様のみ旨を捜しつつ、忍耐することも可能です。アウグスティヌスが言うように、神様は私たちに耐えられないほどの試練を与えません。