LUCERNA PEDIBUS MEIS (Omelie varie)

足のともしび(詩編119)
Luce ai miei passi (Salmo 118)

年間第8週  マルコ11・27-33 札幌

2007-06-05 16:53:47 | Weblog
年間第8週 

マルコ11・27-33

最近のニュースの中で、5000万件の厚生年金はどうなったのか、分からないということでマスコミ、国会などでちょっとした騒ぎが起こりました。国民の二人に一人の年金といこととで、疑問に思う人は多いと思います。さて、キリスト様は当時の社会で生々しい問題であったことに関する論争に参加して、疑問を投げかけました。キリストの弟子になりたい私たちはこれをまねすべきということになるでしょうか。カトリック大学として、あるいはキリスト教文化研究所として世間に対して発言をして、いろいろと疑問を投げかけてもしかあるべきだと。パウロの書簡の原文ギリシア語の中で「parresia」ということばが出てきますが、それは「勇気をもって真理を語る」、「憚らずに真理を語る」よいう意味であり、今日の箇所と重なります。
今ごろ宗教を語っても学生はついてこないということが、昨日の会議で出てきました。これは決して新しい問題ではないと思われます。キリストの時代にも「天からのもの」をわきまえることの出来ない人はいっぱいいました。肝心なのは、私たちは、福音を語る私たちは、単なる「人からのもの」ではなく、「天からのもの」を語っている確信があるかどうかだと思います。こうした確信さえあれば、何とかなると思います。

年金のような、この世の問題に関する議論に参加してもよいとおもいますが、ほかにも人間として大事な事柄がたくさんあると思います。私たちは、それらの事柄について語る際、人間的な知恵だけではなく、「天からの」知恵、キリストの知恵、キリストの権威を借りて語ること学びたいと思います。そう願って今日のミサ聖祭をささげることといたしましょう。


日本カトリック大学キリスト教文化研究所連絡協議会会議におけるミサの中でおこなった説教。2007年6月2日、札幌、藤女子大学、マリア院の聖堂にて