さきごろ89歳で亡くなられ、「知の巨人」ともいわれたという、加藤周一さんのこと。『ちくま』(筑摩書房)の3月号に、鷲巣 力さんが「希望の人」と書かれています。
「有名無名を問わずに身近な友に深い愛を注ぎ、ソロモンの栄華によりも野辺に咲く百合の花に強く心を動かされる人だった」
「人との交わりを好んだからでもあるが、世の中は変わり得るという認識をもっていたからに違いない。世の中が悪い方向に変わりつつあるという『絶望』も抱いていたが、それ以上に、望ましい方向にも変わり得るという『希望』を信じ『希望』に賭けていた。『希望』を捨てないかぎり『敗北』はない。加藤さんから私たちが引き継ぐべきは、まさにこの『希望の精神』に違いない」
「新聞、出版、放送というマスメディアだけではなく、加藤さんは、あるいは講演会に、あるいは研究会に、あるいは市民の小さな読書会に出席しては、自らの考えを述べ、出席者たちと意見を交わした。そういう交わりを大いに愉しんでもいた」
なるほど、ここにこのまえ書いていましたか、カフェ・フィロ(つまり哲学喫茶店)のマルク・ソーテを思いだしました。歌うのも、踊るのもいい、そして読むのも書くのも、話しあうのもいい。さて、これから、雨ですか雪ですか。
「有名無名を問わずに身近な友に深い愛を注ぎ、ソロモンの栄華によりも野辺に咲く百合の花に強く心を動かされる人だった」
「人との交わりを好んだからでもあるが、世の中は変わり得るという認識をもっていたからに違いない。世の中が悪い方向に変わりつつあるという『絶望』も抱いていたが、それ以上に、望ましい方向にも変わり得るという『希望』を信じ『希望』に賭けていた。『希望』を捨てないかぎり『敗北』はない。加藤さんから私たちが引き継ぐべきは、まさにこの『希望の精神』に違いない」
「新聞、出版、放送というマスメディアだけではなく、加藤さんは、あるいは講演会に、あるいは研究会に、あるいは市民の小さな読書会に出席しては、自らの考えを述べ、出席者たちと意見を交わした。そういう交わりを大いに愉しんでもいた」
なるほど、ここにこのまえ書いていましたか、カフェ・フィロ(つまり哲学喫茶店)のマルク・ソーテを思いだしました。歌うのも、踊るのもいい、そして読むのも書くのも、話しあうのもいい。さて、これから、雨ですか雪ですか。
ゆけたらどんなに幸せだろうと考えます。
ついつい人間は、有名な方に権力のあるほうになびき
ます。情けないですが・・・
なんとうれしい言葉でしょう。
『時は春・・・』ですものね。温まった土をにぎってみよう。
希望も一緒に捨ててしまうから、
大事にしていた思いまで捨ててしまうから
敗北につながるのですね。
いつかまた、きっとと思えることが大事なのですね。