教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

挫折は栄光でしか覆せない

2015-05-20 23:52:13 | 経済/経済/社会
とある男の話をしよう。

男は、幼少のころ神童と呼ばれ、新聞にも載るようなヤツだったという。
小学校のころになると、何も勉強しなくとも学年トップクラスの成績だったという。
中学校ではそれなりに勉強したといい、模試で地方10~20位の常連として名を連ねたらしい。

話は高校にうつる。

高校はもちろん地方ナンバーワンのところへ楽々と入学した。
かの恐るべき優秀な男はそんな進学校にあっても勉強しなくともとても成績が良かった。

高校は家から通える距離にあり、かつ某旧帝大のすぐ近くでもあった。
自由な校風だったこともあり、昼は高校を抜け出して某旧帝大の学食を食べて過ごすことも多かったという。
ヤツにかぎらず人々は
「ああ俺もこんな大学生活を送るんだろうな・・・」
と思うことも多かったらしい。

話はこれでは終わらない。

かの男は勉強しなくともとても成績が良かったがゆえ、
「ああこれなら○○(某旧帝大)くらいなら楽勝だな・・・」
と思いはじめた。

運命はそのときから狂い始めた。

ヤツは勉強しなくなった。
現役では某旧帝大にはまかり間違っても受からない程度に落ちぶれた。
浪人してもその夢はかなわなかった。
失意を胸に地方へと旅立ったという。






・・・ということをよく話すのだ、この男は。

本人にしてみればたまったものではないかもしれないが、
なんというドラマチックな栄光と挫折に満ちた人生だろうと感嘆せざるを得ない。

ただ、この話を聞くに、人間の持ち合わせるすごく不都合な精神構造を垣間見ることができたと感じる。

それはだな。
どんなに時間がたとうと挫折は克服できないということだ。



「時間がいずれ解決してくれるはずさ」

それはある意味正しい。
人の精神構造は高ぶった感情を長時間維持できないようになっているからだ。
たとえば激昂してもせいぜい30分が持続の限度だろう。

しかし挫折はそういうものではない。
精神構造的にいって挫折をどう解釈したものかというのを答えるのは難しい。
とりあえずいま言えるのは、挫折とは精神を束縛する過去の負の結果であるということだ。
極論すれば本人が精神を束縛されなければ過去にどんな辛酸をなめたところで挫折とはいわない。
さらにいえば、意識して忘れたフリをするのは挫折が発する精神的な実質被害を遠ざける最も安直ではあるが比較的有効な方法ですらあるかもしれない。



では。
挫折にはどうやれば打ち勝てる?

それはだな・・・
挫折で受けたダメージに見合う以上の栄光が得られたという充実感以外には難しいのではなかろうか。

挫折は栄光でしか覆せない。
ヤツは我輩と同様に学歴をロンダリングして大学院で某旧帝大に入りなおすことに最も意味のある男だった。
そしてこの挫折のカンタンな克服方法はそれくらいしか思いつかない。

なぜヤツがそれをしなかったかというと
「そんな方法があるとは知らんかった」
からだとか。



現代において戦争とは情報戦である。
人と同じようにしていると、人と同じように苦労し、人と同じように栄光と挫折に苛まれる。