Bar Scotch Cat ~女性バーテンダー日記~

Bar Scotch Catへご来店ありがとうございます。
女性バーテンダーScotch Catの独り言&与太話です。

私のハートはパパのもの

2008-06-11 21:01:18 | short story



6月の日曜日。梅雨の雨は夕方あがり、電車の中は蒸し返すように暑かった。
男は、電車の窓に映る自分の疲れた顔を眺めていた。
日曜の出勤。最近は仕事ばかりで、唯一の楽しみといったら、仕事の帰りに
小さなバーで飲るモヒートくらいだった。
「俺も歳を取ったもんだな・・・」窓に映る顔を眺めながらため息をつく。

電車を降りると、足は自然といつものバーへ向かった。
こんな蒸し暑い夜はモヒートのミントの爽快感がいっそう恋しい。
男がネクタイを緩めながらカウンターの椅子に身体を投げ出すように座ると、
バーテンダーが黙ってミントをつぶし始める。

モヒートはヘミングウェイが愛した、ハバナ生まれのラムのカクテル。
パパヘミングウェイ、と呼ばれる、男らしさや父の象徴のようなヘミングウェイ。
そんなヘミングウェイに憧れて、モヒートを飲んでいた節もある。
「まあ、ヘミングウェイと俺とじゃかけ離れてるがな・・・」男は小さくつぶやいた。
最近、歳を取ったと感じていた。少々自信喪失気味だった。
この歳になって何を、とも思ったが、自分を仕事ばかりでつまらない男のような
気がして、妙な焦りを感じていたのだ。

出来上がったモヒートのグラスと一緒に、バーテンダーが小さなミントの鉢植えと
ゴールドラムのミニチュアボトルを男の前に差し出した。
「これは?」
「例の彼女からですよ。父の日のプレゼントだって。」
最近、このバーでよく会う若い女がいた。男より15ほど年下だろうか。
娘というには歳が近いが、女として意識するには少々年が離れすぎると思っていた。
「ちぇ、あいつ。何が父の日だよ。」男は苦笑いした。
男には娘が一人いた。妻も。かつては、の話だが。

ミントの鉢植えにメモ用紙が貼ってある。
「My heart belong to Daddy」と、一言書いてあった。
私のハートはパパのもの。コール・ポーターの名曲だ。
彼女にモヒートを教えたのも、この曲を教えたのも、男だった。
「My heart belong to Daddy」。群がる男たちに、「私のハートはパパのものだから
どんなに素敵なボーイフレンドでも勝ち目はないのよ」という内容の曲だ。

すっかり父親扱いかよ・・・愚痴をこぼそうとして、男はメモの一番下に小さく書いてある文字を見つけた。
「Call me, Daddy!」のメッセージと共に、携帯電話の番号。
思わず、慌ててメモをポケットに押し込んだ。
「やるじゃないですか」バーテンダーがウインクする。
メモのメッセージは、どんな意味なのだろう。
果たして自分は「群がるボーイフレンド」なのか、
「ボーイフレンドを断る口実のパパヘミングウェイ」なのか。

ミントの鉢植えとラムのボトルを抱えて男はバーを出た。
俺も、そうつまらない男でもないじゃないか・・・?
少々浮き足立つ自分の気持ちをたしなめつつ、家路を辿る。

雨上がりの湿った空気に、ミントの軽やかな香りが舞っていた。



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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
詩人ですな (蒼き炎)
2008-06-11 21:23:16
オジさんになっても "かっくいい男"
でいたいですね。
>蒼き炎さん (scotch_cat)
2008-06-11 21:41:58
懐かしいHN!
ブログ、見てくれているのですね。
懐かしい香りに出会えましたか?
 (callcharlie)
2008-06-11 22:47:08
最近疲れた顔、なんだか似ているな。でもメモはないな。素敵なバーに行かないから、どんどん老いていく。バーのいいところはそんな自分でも少しチョイ悪おやじにしてくれるところかな。今週末は行きませんが、近いうちに寄らせていただきます。
ネタ (夜の帝王)
2008-06-12 03:02:10
毎回感心させられるね!

マジで凄いよ〓

今回は父の日に絡めてるけど、今までのも含めモデルになってる人物がいるのかな?

バーテンダーって、仕事がらいろんな人と会話をする機会がある訳で、そんななかから材料を調達し、それをシェイクして作品が生まれてくるって感じがするんだよね。

思い出しました (コイチロー)
2008-06-12 03:02:35
はじめまして。
いつも楽しく拝見させて頂いてます。


今日のを読んで、我慢できずメッセージしてしまいました。ご容赦ください。


そう!思い出せたんです。勇気を振り絞って、生まれて初めてBARの扉を開けた時の事を。




大学を卒業して、故郷から離れ就職。
地元に彼女を残してきましたが、二年後に結婚する事を相手の家族にも承諾してもらっての遠距離恋愛でした。


毎月一度だけ、どちらかが飛行機に乗って相手に逢いに行く…
待ち遠しい、じれったい、けれども楽しい機上の時間。
その時に読んだ機内誌に、カクテルとバーに纏わるショートストーリーが連載されていたんです。
月刊誌だったので、彼女に逢うたびに増えていきました。




20冊目が貯まった日、彼女から突然の別れが…
しかも、一言もなく。


空港に迎えに来る途中の事故でした。




お酒は特に好きじゃなかったし、興味はあるけど勇気がなくて敬遠していたバーでしたが、どうしても行きたくて。


結婚するはずだった日に初めてバーの扉を開けました。
24冊の本と一緒に…




今ではすっかり酒飲みになっちゃいましたけどね。


長文乱筆失礼しました。
これからも美味しいお酒でお客様を癒してあげてくださいね。
>callcharlieさん (scotch_cat)
2008-06-12 08:21:14
疲れた顔も、その人の人生の現れ。
それが素敵だったりするのですよ~!
おしゃれなBarに行かなくても、ちょっとした
胸をときめかすサプライズはそこらに転がっているかもしれません。
scotch_catのバーはなにしろそちらからは遠いでしょうが、機会があったら是非お越しください。
お会いできることを楽しみにしています。
>夜の帝王さん (scotch_cat)
2008-06-12 08:24:06
たまにshort storyを書きますが、毎回モデルはおりません。
でも、日々の仕事の中で、お客様から聞いた話や
作ったお酒、感じたことの一つ一つが材料になっていることは間違いありません。
だから常に自分のアンテナを張り巡らせて、感性豊かでいるように心がけてはおりますが。
カクテル作りも、文章を書くことも、よく似てると
scotchは思います。
素敵な材料を集めてそれをシェイクする。
カクテルも文章も、美味しいものができればよいのですが。
>コイチローさん (scotch_cat)
2008-06-12 08:28:57
はじめまして、bar scotch catへようこそご来店くださいました!
リアルな世界ではお会いしたことない、かな?
どなただか見当がつきません。
何にしろ、コメントをいただいたことに感謝です。

とても切ない思い出ですね。
その彼女と結ばれなかったことは悲しいけれど、
コイチローさんの中で今は素敵な思い出になっているのでしょうか。
胸の中にしまってあった思い出を、scotch_catの
ブログを読んだことでいい形で呼び起こせたのなら
本当に嬉しく思います。
そして、それをここに書き留めてくださったことを
本当に嬉しく思います。

きっかけは悲しい思い出だったかもしれませんが、
それをきっかけに素敵なバーライフを送っていらっしゃるのでしょう。
ぜひまたお気が向きましたらコメントをお待ちしてます。ありがとうございました。
Unknown (与太楼)
2008-07-18 12:57:09
街の情景や、その他の登場人物像を簡略化することで、男を浮きたたせる手法はハードボイルドの神、大藪春彦に通じるものあり。一層の精進されたし
与太桜さん (scotch_cat)
2008-07-18 13:56:50
いらっしゃいませ。Bar scotch_catにようこそ。
コメントありがとうございます。
そのお姿だけでなく、読むものまでシブイのですね 笑。
大藪春彦は一度もちゃんと読んだことないのですが。
ショートストーリーだけにこういう書き方になりましたが、なるほど、周りの引き算で中心の人物の輪郭がはっきりする。そういう手法なのですね。
精進させていただきます。

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