Bar Scotch Cat ~女性バーテンダー日記~

Bar Scotch Catへご来店ありがとうございます。
女性バーテンダーScotch Catの独り言&与太話です。

真夏の夜に

2008-08-05 11:59:53 | short story



8月。真夏の夜。
よく晴れた昼間の火照った空気を、夜風はまだしっかりと抱え込んでいた。

その火照った空気と共に、女が勢い良くバーの扉を開けて入ってきた。
早足にカウンターのいつもの席に着く。イライラした様子でバッグから煙草を取り出した。
「いつもの。ネグローニ。」
言葉少なくバーテンダーに伝えると、彼女は頬杖をついて窓の外を眺めた。
機嫌の悪そうな彼女の横顔を、初老のバーテンダーが上目遣いにチラリと盗み見て首をすくめる。

気が強そうだが、目鼻立ちのはっきりした、なかなかの美人だ。
男顔負けに仕事もこなす。当然、彼女に声をかける男は多かった。
仕事が一番、という言い訳。つい肩肘を張ってしまう。男の前でも素直になれないのが、彼女の気の強さゆえの悪い癖だった。

しかし、最近彼女には会社の同僚に、気になっている彼がいた。
男たちが一生懸命彼女に声をかけ、ご機嫌をとる中、その彼は自分から彼女を誘うことはなかった。
彼女の方から誘って、何度かこのバーで二人で飲んだことがあったが。
好意を寄せつつも、自分にあまり興味を示さないその彼に、彼女は悔しさを感じていた。

「お待たせしました。」
彼女の前にネグローニのグラスが置かれる。
ネグローニはジンとカンパリ、スイートベルモットの、甘苦いカクテル。
グラマーなカンパリの甘味、苦味。しかしそこに潜むアルコールの強さ。
気の強いイタリア美人のようなこのカクテルは、彼女によく似ているかもしれない。

ネグローニのグラスに口を付け、わずかに眉根を寄せてまた窓の外を眺めた。
いつものカンパリの苦味が、今日は一段ときつく感じる。
彼女の苛立った神経には、少々刺激が強すぎたのか。
「あいつ、本当に腹が立つ」
グラスの中の赤い液体を舐めつつ、彼女はつぶやいた。

本当は今夜、彼と食事をしているはずだった。今回も彼女の方から彼を誘った。
それが、突然のキャンセル。
今夜は、彼女の誕生日なのだ。
誕生日であることは彼には言っていない。彼女のプライドがそうさせた。
誕生日をあなたと二人で過ごしたい、とは言えなかったのだ。
でも、今日会えたら。勇気を出して自分の気持ちを伝えてみるつもりだった。

苛ついた様子の彼女に、バーテンダーが声をかけた。
「今日のネグローニには、オレンジスライスを入れてみませんか?」
「オレンジスライス?なんで?」彼女が怪訝そうな顔を向ける。
「ネグローニは、そのままでも十分美味しいですが。
 オレンジスライスを入れるだけで、ずいぶん優しい味と香りになります。
 今日はその方がいいのでは?」

彼女は、オレンジスライスの加わったネグローニのグラスに唇を付けた。
ふんわりとオレンジの香りがする。カンパリの攻撃的な苦味もほんのり和らぐ。
芯の強さはそのままに、少しだけ素直な味になるのだ。
そのネグローニを舐めるうち、彼女は苛立った気持ちが落ち着いてゆくのを感じていた。

そこへ、バーの扉が開き、男が入ってきた。
彼女が振り返ると、そこにいたのは花束を抱えた彼だった。
「やっぱりここにいた。携帯電話、つながらないんだもんなあ。」額に汗を浮かべて、彼が笑った。
「どうしても終わらせなくちゃいけない仕事があって。仕事を放り出してくると、
男の癖に情けない、って君に叱られるからさ。一旦はキャンセルしたけど。
大急ぎで片付けて、なんとか花屋の閉まる時間に間に合った。
誕生日、おめでとう。」
彼が花束を差し出す。
「何で・・・知ってたの?誕生日だって。そうならそうって・・・!」
いつものようにきつい口調で言いかけて、彼女の言葉が止まった。
「・・・ありがとう・・・。」
彼女の頬を涙が伝っていた。子供のように肩を上下させて泣く彼女を、
彼は驚いた顔で眺めた。いつものように叱られると思っていたのだ。
泣きながら小さく、ありがとう、と繰り返す彼女の頬を、彼は微笑んで指で拭った。

初老のバーテンダーは、背中を向けて、見習いの若いバーテンダーにこっそり呟いた。
「ネグローニのオレンジスライスにはね、気の強い女をほんの少し素直にさせる
魔法がかかってるんだよ。どんなに強い女もずっと強いままじゃ疲れてしまう。
太陽をいっぱい浴びたオレンジスライスを入れれば、カンパリの苦味も少し素直になるんだ。」
「まあ、僕たちバーテンダーが出来るのは、その魔法のかかったネグローニを
作ることだけだがね。最後にその魔法にかかる勇気を出すのは、お客様本人さ。」

やっと泣き止んだ彼女の前で、ネグローニのグラスの氷がカランと小気味の良い音を立てた。

今夜からは、ちょっぴり優しい味のネグローニが飲めそうだ。



最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ハナマル (ジンベエザメ)
2008-08-05 19:54:59
なかなかいいストーリーですなぁ。
都会の風景ですなぁ。
ぼくにはできないキザな行動ですけどね^^;。
魔法 (callcharlie)
2008-08-06 05:58:08
なかなかすばらしいストーリーですね。

魔法。男を少しだけ危険にさせる魔法がほしい。

今度はこれを紹介してください。
夏女より (scotch cat)
2008-08-06 16:24:48
>ジンベエザメさん
今回は何だか自信が無くて、書いたものの、消しちゃおうかと悩んでおりましたのでお褒めに与り光栄です。
女性に花束贈るのはやっぱり恥ずかしいものですかね?
scotchも8月生まれの夏女!もうすぐ誕生日です。気障にご来店お待ちしてます。

>callcharlieさん
男性が危険になれる魔法…普段、いくらでもその魔法使ってる気がするのですが、いざとなると思い出せないものですね。
次のショートストーリーの時にチャレンジしてみます!
Unknown (Unknown)
2008-08-08 08:18:09
甘くて苦い思い出の、ネグローニ。
出会いと別れの交差する思い出が自分にはあります。
本当の意味なんか知らないで、大人ぶってたあの頃。
あの頃は、確かに、ギラギラしてたな。
つい先日のような、遠い昔のあの頃。
素敵なショートストーリーですね。
>Unknownさん (scotch_cat)
2008-08-08 14:54:26
どんな甘苦い思い出だったのか。詳しく聞いたことはありませんね。
今度、ネグローニを飲んだ時にでもふと思い出したら教えてください。
そうやって集めたかけらにヒントを得て私は文章を書いているのかもしれません。

いくつになったって、ギラギラはできるんですよ。
自分がその気になりさえすれば。ほんのちょっとの
勇気と手間です。
恋は遠い日の花火じゃない。

もう真夏です。
素敵です (あくあ)
2008-08-24 15:42:46
ちょっと感動。
私もそんな風にネグローニ頼みたいものです。(笑)
>あくあさん (scotch_cat)
2008-08-26 14:51:55
えーと、はじめまして、かな?
bar scotch catへようこそいらっしゃいました!

ネグローニはscotch_cat自身も好きなカクテルです。
とかく最近の「強い女」を演り続けるのも疲れます。
たまにはちょっぴり甘えたいものです。

今度、オレンジスライス入りのネグローニ飲んでみてくださいね。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。