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自己満足で色々かいてる独りよがりブログです。

3月11日というタイミングで岩手沿岸部へ 葛飾のありさんの報告

2012-03-29 01:35:11 | 自然災害
以前、山田町とのアクセスを教えてもらったり、
山元町での活動報告をしてくださったりした、
葛飾のありさんから、
3.11を東北で過ごされたときのレポートが届きました。



1つの通過点である3月11日と言うタイミングに、岩手県沿岸部へ行くことが
できましたので報告いたします。
(昨年10月に参加した、岩手へのボランティアツアーに再参加でした。)


1年前のあの日は帰宅難民になりかけたけど、夜遅くにメトロ半蔵門線などが復
旧も、自宅最寄りまで走る京成線は終日運休となったため、午前零時ジャストに
押上駅からスカイツリーをバックにテクテクと歩いて1時過ぎに帰宅。
その週末はガソリンや食料の買占めや不足が、
週明けは特別ダイヤで電車本数が少なく、乗れないことを覚悟し、2日連続
1時間以上掛けてのチャリ通勤。


国立劇場での1周年追悼式への業務応援の可能性があったため、
参加の可否がなかなか決められないことから、あきらめていましたが、
昨秋一緒に参加した仲間数人から、私と一緒に行きたい、と、ありがたい言葉を
いただき、滑り込み参加と相成りました。

今回は震災からちょうど1年と言う日があるからか、
リピーターが多く、消灯までのバス車内はにぎやかなもので、
カーテンも閉めず、さながら、「おとなの修学旅行」と言った様相でした。

今回の活動場所は陸前高田市の米崎地区。とあるお宅の土地の砂利などの除去。
大津波で流失した家の土地への再建を断念し、畑にすると言う。
敷地内に花が目立たぬよう手向けてあったのをたまたま気付いたが、
どうやらお住まいだった一部の方が犠牲になったようでした。

この日は寒く、小雨混じり。
作業中は体を動かしているので暖かいのだが、昼食中に外で弁当を食べていたら、
一気に体が冷えてしまったので、私は風邪を懸念して、早喰いし、暖かいバス車
内に戻って休憩したので大丈夫でしたが、体調を崩す人もいました。

4日間の行程なので、本来は中間の土・日2日間の活動ですが、
3月11日は、この陸前高田市内で岩手県と合同で追悼式を行うこともあり、
ボランティアセンターは臨時休業。
代替として、これまでこのツアー会社が県内で主に活動した場所や被災地をぐる
りと回る特別コースとなりました。

まずはあの、「奇跡の一本松」から。
この日は取材陣も多く、国内キー局はもちろん、ブラジルのTV局までもが取材
していました。
心優しい参加者が何と線香をお持ちいただき、みんなで追悼のお祈りをしました。
その、一本松の横は片付かない、がれきの山。

たまたまそこで、「朝ズバッ」の取材を受けていた、戸羽 陸前高田市長が。
もんたが去ったの隙に添乗員さんの計らいで、私達のために時間を割いてご挨拶
をいただきました。

戸羽氏は昨年、大激戦の末、陸前高田市長に初当選したものの、直後に大震災
が襲う。
妻は行方不明になるも激務を続行するが、4月に入ってご遺体が確認される。
まさに、「悲劇の市長」であります。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110406-OYT1T00907.htm?from=y10

これから合同追悼式と言う多忙のさ中、ご挨拶は5分に及んだ。
「これから、どんどん報道が減って行くでしょうけど、どうか、細く長くお付き
合いください。
私達は日本一美しいまちへと蘇らせます。
その際には皆様をご招待します。どうもありがとうございました。」


次は昨年10月に行った、庭園プロジェクトに再訪。
様々なボランティアの手により、無残な住宅跡地が陸前高田の一名所になろうと
しています。
私たちがアプローチに植えた球根が芽を出していました。

バスは国道45号線を北上し、大槌町へ。
菜の花プロジェクトを立ち上げた、地元の金山さんを激励。
この河川敷は震災対策として拡張されることとなり、この地で花が咲くのは1回
限りとなりそうですが、新たに造成される「(仮)メモリアルパーク」に移植さ
れるそうです。

更に北上し、宮古市の浄土ヶ浜へ。
添乗員は震災前、ここにあるレストハウスで勤務していた。
大きな揺れの後、大津波警報が発令され、防災無線からサイレンが鳴る。
観光客と共に高台の駐車場へと避難。
ところがここで、もうひとつ大事なものを、と、店の預金通帳と印鑑を取りに
戻ったのが仇に。
大津波が押し寄せ、必死になってレストハウス前の坂を上るも、足元をすくわれ
そうになり、
瞬間、「死」を覚悟したそうだが、同時に家族のことが頭をよぎり、何とか逃げ
切ったとのこと。
その後、家族を探し、町中を彷徨い、やっとのことで再会できた時の安堵。

この話は涙なしには聞いていられませんでした。
運命の14:46は過ぎていたが、大津波が押し寄せて来たであろう時に、海に向
かってみんなで黙祷。

四国並みの面積を持つ広大な岩手県をぐるりと回るツアーは、これにて一通り終
え、花巻の温泉旅館で入浴と夕食をとり、また夜行で東京へと戻ったのでした。

私が今回利用したツアーです。
http://www.kenpokukanko.co.jp/knp/?cat=14
(実は3/9発のブログ内にちゃっかり私が載ってしまっています…)


修学旅行の行き先を敢えて被災地に変更した、トカゲさんの地元である福岡の高
校がありましたが、
物見遊山の修学旅行をするくらいなら、躊躇せず是非行ってもらいたいものです。

遠く離れた都会と言う外野で対岸の火事の如く、あれこれ言う人が多いが、まず
は足を運んで欲しい。
初めは軽い気持ちでもいい。足を運び、現地を見ればわかる。
そんな気持ちはすぐに消える。そしてその惨状を全身で受け止めた私達は
「これでは。」と再度行かざるを得なくなるだろう。また行かねば、と。


それから、トカゲ様が昨年末訪れた岩手県山田町、
あのJR陸中山田駅は大津波と大火で破壊され、周辺の建物と共に解体されてし
まいましたが、
屋根にあった大時計のみは保管され、ロータリークラブの手によって
旧町立図書館跡地に設置された、「鎮魂の鐘」と共に、
震災のシンボルとして、第二の余生を送ることになったそうです。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120312_6



ありがとうございました。
今年の3.11は日曜日だったこともあって、
みんなそれぞれ去年のあの時間のことを思ったようですね。
私もあまりに平和で、何も知らなかったことを思い出しました。

同じツアーが出るというのはいいですね。
同窓会のような感じですね。
その中で心のシェアができますね。
以前の活動の成果をみんなで見られるのもいいですね。

寒い中の活動お疲れさまでした。
あの地に行くと、
流された方を避けてかえって来られないのだとつくづく思います。

陸前高田市の「これから、どんどん報道が減って行くでしょうけど」という言葉に、
ドキッとします。
報道する必要がなくなるという意味ならいいですが。

大槌町では、
川に沿って恐ろしいほど津波が上っていきましたから、
なんからの対策が必要となるでしょうね。
でも、
あの真っ黒だった川岸に花が咲いているのだと思うとなんだか嬉しいです。

浄土ヶ浜は経由しました。
なんという地名だと辛くなりました。
そして、
危機一髪助かった方の話、
その逆の話…、
いつもいつも対照的にそのような話を聞きます。
人は偶然の上に生きているような気がします。

震災の時間と津波の時間は違いますよね。
節目節目で黙祷しながら、
しばらくしてあの恐ろしい波がやってくるのだとゾッとします。
そのときを刻んだ時計をまた見に行きたいと思います。

あの福岡の高校はとても優秀な高校です。
「なにができるか」考えてたら二の足を踏んでしまわれる方も多いと思います。
「まず見る」だけでも意味があると思います。
早く復興が進んで町の力を取り戻していって欲しいですが、
あの絶望的な空気感をまだ体験できてしまいますね。


記事に織り込もうと思いましたが、
上手に編集できそうもないので、
ありさんからいただいた画像をご紹介します。


リクエストにお応えして、撮影した写真の一部を送信いたします。(3月10・11日撮影)
   
○陸前高田市の米崎地区のとあるお宅の土地の砂利などの除去
○「奇跡の一本松」
○一本松の横の、未だ片付かない、がれきの山。
○同じ、陸前高田市の庭園プロジェクト
○大槌町の河川敷の菜の花プロジェクト
○瓦礫の山
○庭園プロジェクト
○大槌町
○おまけ…花巻へ戻る途中、休憩で寄った、国道106号線、道の駅区界高原そばのJR区界駅
(この駅はJR東日本管内の有人かつ正社員配置駅の中で、乗降客
数最下位なのです。
http://www.jreast.co.jp/passenger/index.html
リンク、1位の新宿駅と最下位の区界駅をご覧いただければブッたまげると思います。
他の皆さんがお土産などを買っている隙にわざわざ撮影しに行ったのです。)








































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