M~ちゃん帰ってしまったけど。
「日本で働くなんて考えられへん」と言っていたけど。
これが美味しいのだ。
寿司味なんだけど、
サワー風味ののり塩味で。
ほんで、
どういうわけか、
毎日チキンラーメンタイムがあるとです。
モモが食べたがるとです。
ハヌマン通り通ってたら、
集会所で子どもたちがガムラン練習してた。
そして、
モモのお腹さしこんで、
見知らぬワルンのトイレ借りた。
夜は彷徨って、
チュチュマッで晩御飯。
M〜ちゃんとモモはポテト仲間。
気になるお菓子を買ってみた。
KOJIも。
グスティからマンゴーもらう。
この日はもう一回、泉に行った。
フラカンのTシャツにサロンつけていったけど、
寺のドレスコードチェックの人から、
大丈夫だと言われた。
リンリンちゃんには毎年モモの服を持って行っていて、
着てくれている。
でも、
もうリンリンちゃんの方が大きいかもしれない。
帰りにリンリンちゃんのお父さんに美味しいワルンに連れていってもらった。
昔よく行っていたワルンだった。
M~ちゃんにとっての最後のランチだったので、
なんでも食べます。
モモ大好きなバビのサテあったので食べた。
いいこと書いてあった。
帽子忘れたので手ぬぐいスタイル。
モモは一応毎日宿題をしています。
夜はグスティとミヤちゃんとごはん。
もうオーナー公認で個人的に会っている。
ミヤちゃん……また大きくなっていて、
身長はモモと変わらないけど40キロあるそうです。
ミヤちゃんが好きだろうとピザ屋にしたら、ミヤちゃん、ピザだめやった。
ピザ嫌いな子どもがいるとは思わなかったよ!
トラディショナルな料理があってよかった。
ミヤちゃん、将来はシェフになりたいと言ってたけど、
聞いてたら、チーズとかトマトとか、
ものすごく好き嫌いあるけど大丈夫かなー?
グスティが地震のことをとても心配していた。
私のところが揺れたんじゃないか?と思って、
テレビを見ていたと。
あの2夜はとても怖かったし、
たくさん家が壊れたという話をした。
バリも火山の島で、地震が多いから、身につまされると言っていた。
他人事と思えないと。
ジャワの津波のこととか、
50年前にひどい地震があったという話を聞いた。
先日もグスティが2階で作業してたら、ユラユラしていて、地震だと気付いたとのこと。
バリは昔から地震が多いから、
トラディショナルな建築様式はしなるようになっており、揺れを逃すので、
比較的大丈夫だと言っていた。
最近の建築の方が脆いとのこと。
グスティとはもう20年以上の付き合いで、
これまであったいろいろな話をあらためてした。
なかなか詳しく聴けなくて、
アンタッチャブルだった、1回だけ今の宿を辞めた話を詳しく聞いた。
今の宿に不満があって、辞めてエビの養殖をはじめたけど、
失敗したとだけ聞いていたのだけど。
次の年行ったら、
バツが悪そうにまた今の宿で働いていた。
エビの養殖は、
川の水を循環させるのが難しくて、
つきっきりで見てたのに、ある朝起きたら、全部エビが死んでたらしい。
今は笑えるけどねーと言っていた。
あのときグスティは混乱していたよね、と言うと、
笑っていた。
年取ったらナシチャンプルーの小さいワルンやりたいなーとか言ってた。
私もそういう老後がいいな。
グスティが「この人たち知ってる?よく宿に泊まっているんだけど」と、
写真を見せてきた。
知らない人だった。
ドイツ人の夫婦で、
つい8ケ月前にも来ていたのだけど、
つい最近電話したら亡くなってたそうだ。
奥さんが泣いていたと。
なにがあるかわからないけど、
私たちはちゃんと生きて、
来年また会おうね。
私は元気でいて、
きっと会うからと言った。
※全般、私の英語があっていたらの話です。
過去のことを振りかえったり、
老後の話をしたり、
私らは年を取ったな。
初めて会ったときは私は20代で、グスティは20歳そこそこで、
バカなことを言い合っていたのに。
M~ちゃんから遅くなったと誕生日プレゼントをもらった。
店で私が悩んでいたバッグ。
「どうせフラカンバッグばっかり使てるんやろうし」と言われた。
そのM~ちゃんをリンリンちゃんとお父さんと一緒に空港に送った。
ちょっと寂しくなったけど、
リンリンちゃんとモモは仲良く遊んでいた。
でも、
もうフージャン降り始めた。
時々降る。
アグンさんが有名な店でバビグリン買ってきてくれた。
たまらんほど美味しかった。
そういうわけで、
少し寂しくなったけど、
まだバリにおるとです。