たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

誠実と謙虚と <雪割草の花言葉><作家が作家を語るのを読みながら>

2019-04-06 | 心のやすらぎ・豊かさ

190406 誠実と謙虚と <雪割草の花言葉><作家が作家を語るのを読みながら>

 

雪割草という花を自然界で見た記憶はありません。どんな場所に咲くのでしょう。そんな様子を観察することは花同様に、忍耐が必要でしょうね。まあ、私には無理な相談でしょうね。写真も時間をかけずにさっと撮るタイプですし。写真家の友人がいますが、繊細な神経と根気、センスなかなかいろんな要素が不可欠ですね。

 

まあ、私の場合40年くらい前、趣味でそういう写真仲間と京都のあちこちで撮影会みたいなことをしていましたが、京都を離れるとすぐ止めてしまいました。向いていないようです。

 

花の詩「雪割草」>では、花言葉は<「はにかみや」「高貴」「自信」「内緒」「信頼」「忍耐」「優雅」「期待」「和解」など多く表現されている。>と結構盛りだくさんです。イメージ的には清楚な印象ですが、私が撮影したのも多様な種類の一つのようです。花言葉というのがどういう経緯で生まれるのか知りませんが、それぞれの思いが反映して時代を経て定着するのでしょうか。

 

それにしても「忍耐」というのは凍結したような厳しい環境の中で芽を出し、花を咲かせるのですから、ぴったりですね。それに「自信」というのも厳しさに耐え抜いて花を咲かせたという点ではそうだね(去年の流行語?)です。「高貴」や「優雅」もこの写真の花弁を最初逆光で見たとき、そんなイメージもありましたか。とっても可憐ですし、小さい花ですので、こういうことばが適切かというと、微妙ですが、岩場などに咲いている高山植物の多くはとても可愛いですし、それを優雅と見てもおかしくはないでしょうか。

 

「内緒」とか、「期待」「和解」となると、雪割草に出会ったときのその人の体験がものをいったのかな、なんて勝手な解釈をしてしまいそうです。

 

ところで、今朝の毎日記事(どうやらウェブ上にはアップされていないようです)の文学逍遙では、作家・翻訳家の松田青子さんが(実のところ、初めて知った方です)、イタリアの作家、イタロ・カルヴィーノの小説『パロマー』を紹介するエッセイが掲載されていました。

 

そこで興味をひいたのが最初の一文、「見るという行為にも技術がいる。」当たり前とは言え、作家が書くとどんな風になるのか、気になりました。「対象を理解する、感じる、という能力でもある」としつつ、この能力は「時に重要になる。」としています。

 

小説の主人公パロマー氏の観察について、「パロマー氏を信用できるのは、観察している自分自身の目を信じていないところである。」という点は、私も同感できます。

 

私自身、私の観察や見方をなかなか信用できるとは言いがたいところがあります。それでは仕事ができないではと心配になりますが、そこは少しでも裏付け資料を集めて、自分の認識の危うさを補うよう努力しているのです。他方で、高齢による認知機能の低下への心配も忘れません。そのため、資料の補強は欠かせません。あるいは人の見方も大事です。

 

むろん松田さんが指摘する意味合いはより深いところにありますね。またこんな風にパロマー氏を評価しています。「様々な可能性に思考を巡らし、日常のワンダーを見つめるパロマー氏の態度には、対象への経緯が感じられる。」と。

 

そしてそこからさらに「人は経緯を払う対象には謙虚になる。彼のように世界に対して謙虚であることは、最も高度な見る技術に違いない。」と。

 

松田さんは、対象への敬意と、謙虚さを強調しています。自分自身への奢りを恐れ、他への敬意と謙虚さを大切にする心は、私たち日本人が長い間培ってきた精神かもしれません。私もつい置いてきぼりしてしまうことがあります。心したいものです。昨今のニュースで取り上げられる人たちにも心に刻んで欲しいと思うのです。

 

ところで、先のブログで紹介した作家・津村記久子さんは、アメリカの詩人・作家メイ・サートンによる『独り居の日記』について、「生活を語る人」の誠実さ、と述べてその魅力の一端を語っていました。

 

ここでは一人で生活する中でエピソードを語る内容に誠実さを、そして信頼できるかを明解に述べられています。

 

彼女の言葉を借りてみましょう。

 

「サートンの語りには、気取りも虚勢のない。暮らしの中の孤独と怒りを認めながらも、ひとりの生活の興味深さと満足についての実感を話してくれる。」というのです。

 

また「ちょっと間抜けなエピソード」とか、「普通の苦しみや反省が誠実に書かれることには価値がある。」とも指摘されています。

 

人は生きていく限り悩みや煩悩はなくなりませんね。それを楽しむことはできないとしても、考え方次第でうまくつきあっていけるのかもしれません。謙虚な心持ちで忍耐強くもろもろに対処することで。誠実さとユーモアの心持ちを忘れなければなんとかなるのかなと、ふと思ってしまいました。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿