たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

日本橋高島屋 <森まゆみ てくてくまち再見>を読みながら

2019-04-29 | 心のやすらぎ・豊かさ

190429 日本橋高島屋 <森まゆみ てくてくまち再見>を読みながら

 

今朝はある事件の医療記録の整理をしていて、少し煩雑だったことから、気分転換に小田井堰を歩きました。大畑才蔵考などとブログに書きながら、遠目では見ていましたが、近くまで行ったのは初めてでした。ただ、立入禁止の表示とチェーンが張られていて、間近に近く付くことはできませんでした。

 

代わりに、紀ノ川の河川敷に降りて、砂利が滞積する大きな河原、さらに小さな流れに残った石伝いにちっちゃな中州までいって、正面から小田井堰を見ました。今年の大畑才蔵ネットワーク和歌山の歴史ウォークは小田井堰からのコースになりそうです。そのときは小田井土地改良区のYさんに解説してもらおうかと思っています。

 

その河原にもいくつかのきれいな野草が咲いていて、今日の花言葉に選ぼうかと思いましたが、まだ事務所の花シリーズ?が始まったばかりなので、もう少し続けることにしました。

今日はヘリオトロープです。小さな花弁ですが、元気で長く咲いていて、結構いいです。さっと枯れてしまうのも可憐かもしれませんが、長く咲き続ける元気印もいいです。さて<ヘリオトロープの花言葉>によると、<「献身的な愛」「夢中」「熱望」>が花言葉だそうです。名前の由来も<花言葉の「献身的な愛」は、太陽神アポロンに恋をした水の精クリティが、ヘリオトロープに姿を変えたというギリシア神話>からきているそうです。太陽神アポロンを仰ぎ見続けたとのことですが、それくらい強靱なのかもしれません。

 

さて今日のお題ですが、簡単にまとめようかと思います。毎日朝刊<週刊サラダぼうる・森まゆみてくてくまち再見 日本橋高島屋 増改築で風格高く>で、日本橋高島屋が2009年に日本の百貨店で初めて重要文化財に指定されたと紹介されています。

 

その理由は<重文指定に関わった後藤治・工学院大理事長が高島屋史料館TOKYOでのセミナーで語った。

 「各地のデパートを見て歩きました。デパートは営業し、客が入る場所ですから増築が多い。それもどんどん雑になるのが通例。高島屋の場合、当初の建築も優れているが、増改築もレベルが高く、元の建物と一体となって品格を保ち、価値を増しているというのが、指定の決め手になりました」>

 

当初は<33年に新築した時はコンペで当選した高橋貞太郎(1892~1970年)の設計>で、<戦後、改修をしたのが村野藤吾(1891~1984年)>で、<2人の仕事が不可分なものとして価値>があることが指定理由とのこと。

 

でもこれでは中身がよくわかりませんね。森さんは建築が専門ではなかったのではないかと思いますので、<京都工芸繊維大の松隈洋教授>の話でしょうか<7、8階の増築は高橋案を生かして黄土色の古典的なスタイルにし、その下3階から6階までガラスブロックを積み重ね、明るさとモダンさを出している。あそこに蛇みたいな愉快な意匠が挟まっているでしょう。あれも面白い>というところに多少、意匠面でのユニークさと価値が認められたのでしょうか。

 

これでは日本橋高島屋のよさがやはり分からない。私は日本の百貨店の中で最も好きなのがこの店です。といってもそんなに多くの百貨店を行脚したわけではないですし、ここ20年くらいはたぶん行ったことがないと思います(難波とかでちょいと買い物がある程度です)。私が通っていたのはバブル期前後の90年ころでしょうか。日本橋三越や銀座三越、新宿伊勢丹などいくつかの店を時折訪れていましたが、やはり日本橋高島屋はとても落ち着くいい雰囲気をもっていました。正面階段を上がるときが気分よく、そのときの周囲の落ち着き、2階に並んだ店舗の気品みたいなものがすてきでした。むろん店員さんの何気ない対応も心安らぎました。こんな感覚を日本で味わうことができたので、海外に出かけていっても、どんな店に入るときもさほど気後れすることがありませんでした(まあ、どうでもいいことですが)。

 

それは建物がもつ全体の雰囲気、松隈氏が指摘するような意匠デザインなど、豪華を競うこともなく落ち着きをもった品の良さを感じさせ、店内を歩く顧客層も雰囲気に馴染んでいたように感じます。2000年代に入りショッピングセンターといったものが各地で増大し、そういった雰囲気は消し飛んでしまいました。そこには建築家の魂というか、心意気といったものはうかがえません。商品は多様で多種大量、サービスも多様かもしれません。しかし、そこには私の落ち着くような雰囲気や場所もなかなかありません。高齢者のぼやきになりました。

 

ぼやきはほどほどがいいようで、今日はこの辺でおしまい。又明日。


誠実と謙虚と <雪割草の花言葉><作家が作家を語るのを読みながら>

2019-04-06 | 心のやすらぎ・豊かさ

190406 誠実と謙虚と <雪割草の花言葉><作家が作家を語るのを読みながら>

 

雪割草という花を自然界で見た記憶はありません。どんな場所に咲くのでしょう。そんな様子を観察することは花同様に、忍耐が必要でしょうね。まあ、私には無理な相談でしょうね。写真も時間をかけずにさっと撮るタイプですし。写真家の友人がいますが、繊細な神経と根気、センスなかなかいろんな要素が不可欠ですね。

 

まあ、私の場合40年くらい前、趣味でそういう写真仲間と京都のあちこちで撮影会みたいなことをしていましたが、京都を離れるとすぐ止めてしまいました。向いていないようです。

 

花の詩「雪割草」>では、花言葉は<「はにかみや」「高貴」「自信」「内緒」「信頼」「忍耐」「優雅」「期待」「和解」など多く表現されている。>と結構盛りだくさんです。イメージ的には清楚な印象ですが、私が撮影したのも多様な種類の一つのようです。花言葉というのがどういう経緯で生まれるのか知りませんが、それぞれの思いが反映して時代を経て定着するのでしょうか。

 

それにしても「忍耐」というのは凍結したような厳しい環境の中で芽を出し、花を咲かせるのですから、ぴったりですね。それに「自信」というのも厳しさに耐え抜いて花を咲かせたという点ではそうだね(去年の流行語?)です。「高貴」や「優雅」もこの写真の花弁を最初逆光で見たとき、そんなイメージもありましたか。とっても可憐ですし、小さい花ですので、こういうことばが適切かというと、微妙ですが、岩場などに咲いている高山植物の多くはとても可愛いですし、それを優雅と見てもおかしくはないでしょうか。

 

「内緒」とか、「期待」「和解」となると、雪割草に出会ったときのその人の体験がものをいったのかな、なんて勝手な解釈をしてしまいそうです。

 

ところで、今朝の毎日記事(どうやらウェブ上にはアップされていないようです)の文学逍遙では、作家・翻訳家の松田青子さんが(実のところ、初めて知った方です)、イタリアの作家、イタロ・カルヴィーノの小説『パロマー』を紹介するエッセイが掲載されていました。

 

そこで興味をひいたのが最初の一文、「見るという行為にも技術がいる。」当たり前とは言え、作家が書くとどんな風になるのか、気になりました。「対象を理解する、感じる、という能力でもある」としつつ、この能力は「時に重要になる。」としています。

 

小説の主人公パロマー氏の観察について、「パロマー氏を信用できるのは、観察している自分自身の目を信じていないところである。」という点は、私も同感できます。

 

私自身、私の観察や見方をなかなか信用できるとは言いがたいところがあります。それでは仕事ができないではと心配になりますが、そこは少しでも裏付け資料を集めて、自分の認識の危うさを補うよう努力しているのです。他方で、高齢による認知機能の低下への心配も忘れません。そのため、資料の補強は欠かせません。あるいは人の見方も大事です。

 

むろん松田さんが指摘する意味合いはより深いところにありますね。またこんな風にパロマー氏を評価しています。「様々な可能性に思考を巡らし、日常のワンダーを見つめるパロマー氏の態度には、対象への経緯が感じられる。」と。

 

そしてそこからさらに「人は経緯を払う対象には謙虚になる。彼のように世界に対して謙虚であることは、最も高度な見る技術に違いない。」と。

 

松田さんは、対象への敬意と、謙虚さを強調しています。自分自身への奢りを恐れ、他への敬意と謙虚さを大切にする心は、私たち日本人が長い間培ってきた精神かもしれません。私もつい置いてきぼりしてしまうことがあります。心したいものです。昨今のニュースで取り上げられる人たちにも心に刻んで欲しいと思うのです。

 

ところで、先のブログで紹介した作家・津村記久子さんは、アメリカの詩人・作家メイ・サートンによる『独り居の日記』について、「生活を語る人」の誠実さ、と述べてその魅力の一端を語っていました。

 

ここでは一人で生活する中でエピソードを語る内容に誠実さを、そして信頼できるかを明解に述べられています。

 

彼女の言葉を借りてみましょう。

 

「サートンの語りには、気取りも虚勢のない。暮らしの中の孤独と怒りを認めながらも、ひとりの生活の興味深さと満足についての実感を話してくれる。」というのです。

 

また「ちょっと間抜けなエピソード」とか、「普通の苦しみや反省が誠実に書かれることには価値がある。」とも指摘されています。

 

人は生きていく限り悩みや煩悩はなくなりませんね。それを楽しむことはできないとしても、考え方次第でうまくつきあっていけるのかもしれません。謙虚な心持ちで忍耐強くもろもろに対処することで。誠実さとユーモアの心持ちを忘れなければなんとかなるのかなと、ふと思ってしまいました。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


誠実さとは <馬酔木の花言葉>と<津村記久子さんの読書日記>

2019-04-04 | 心のやすらぎ・豊かさ

190404 誠実さとは <馬酔木の花言葉>と<津村記久子さんの読書日記>

 

アセビの花を見ても、特段の感慨がわいてくるほどの感受性をもちあわせていない身にとっては花言葉を知ってもぴんときません。

 

事務所の中にはいろいろな花が飾っていますが、たいていは二週間ないし四週間程度のおつきあいです。結構数が多いといった理由などで、その違いを感じる前にいなくなります。無骨者との批判は甘んじてうけます。それでブログのテーマを考えてもろくなものが浮かばないこのごろですので、短いおつきあいの花を紹介していこうかと思うようになりました。

 

今日はアセビです。花言葉は<アセビ(馬酔木)の花言葉と育て方は?>によれば

 

<アセビの英名は「Japanese Andromeda(ジャパニーズ・アンドロメダ)」です。アンドロメダとは、ギリシャ神話に登場するエチオピアの王女。>とのこと、えっ星空に大きく広がる女神とは知りませんでした。

 

ギリシア神話ではペルセウスが海神から王女を救い結婚するのでしたか。

 

<神々の怒りをかって岩にはりつけられていたところを英雄ペルセウスに救われた人物です。>映画では美しい王女と二枚目の英雄が登場しますか。

 

で、<このペルセウスとアンドロメダのエピソードに由来して、「犠牲」「献身」という花言葉がつけられました>

 

「犠牲」というのはアンドロメダのことでしょうか、ポセイドンの脅威に自ら生贄になって張り付けにされたのでしたか。「献身」というのはペルセウスの王女に対する愛情を自らの死を賭して海神ポセイドンに向かっていくのですから、そういってもいいのかもしれません。まあ、ストーリーは、昔々読んだものをなんとなく記憶している程度ですので曖昧ですけど。

 

アセビというとそれを食べた馬が酔っ払ったといった話を聞いた記憶がある程度で、とてもそういった美しい男女の愛を示すような話とはかけ離れていますね。

 

ところが、<「禁断の恋」を彩る和歌たち 古墳~奈良時代編>では、次のような万洋酒の歌を紹介しています。

 

磯の上に 生ふる馬酔木(あしび)を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに

大伯皇女

 

<大伯皇女の弟大津皇子は謀反の疑いで処刑されてしまいました。

大津皇子は処刑の前に、大伯皇女のいた伊勢に立ち寄るなど、とても仲の良い姉弟でした。

大津皇子死後、大伯皇女がうたった和歌です。馬酔木を折ってみたけれど、見せるべきあなたがいない―

大伯皇女は弟への哀傷を胸に抱いたまま、独身を貫き亡くなりました。>

 

大伯皇女(おおくのこうじょ)と大津皇子は、天武天皇と最初の妻である大田皇女(皇后にはなっていませんね)の間に生まれた姉弟ですね。大田皇女が早くなくなり、その妹が天武の妻・皇后、後の持統天皇となったわけです。天武天皇の跡継ぎにはその子、草壁皇子をとの強い思いが仲のよい姉弟に不幸な結果を招いたのでしょうか。

 

大伯皇女は、伊勢で斎宮となったのも、天武天皇の意思というより皇后の意思であったかもしれません。

 

それにしても同母の姉弟が愛情を抱いていたのだとすると、大伯皇女も叶わぬ恋と思い、斎宮になることを承知したのかもしれません。たしか母の父にあたる天智天皇も同母妹への愛情を隠さなかったとか。当時、恋愛は自由であったらしいですが、同母の場合は禁忌でしたか。でもそれだけ純粋に愛情抱きあっていたのかもしれません。

 

そんな大伯皇女がアセビを手にとって、弟への愛の歌をうたうのは、それだけアセビには誠実さのようなものが感じられたのかもしれません。

 

そういえば透き通ったように見えるアセビを見ていると、純粋さとか、誠実さとかをふと感じてしまいました。

 

ところで、津村記久子氏が昨夕の毎日記事で(ウェブにアップされていないので簡潔に紹介します)、メイ・サートン著『独り居の日記』を紹介して、「生活を語る人」の誠実さを感じて、「本書に救われる人はたくさんいるだろう。」とか、「実は独身者の必携の書だと思う。」とか語っています。その内容のいいところを引用していますが、少し長いのでタイピングが面倒なこともあり、カットします。

 

いつか読んで見たくなりました。今日はこれにておしまい。また明日。(ウェブ情報を見たら、どうやら契約をしているようです、いつ?かは覚えていませんが)


ひきこもり考 <ひきこもり 100万人 61万人は中高年>などを読みながら

2019-03-30 | 心のやすらぎ・豊かさ

190330 ひきこもり考 <ひきこもり 100万人 61万人は中高年>などを読みながら

 

世の中に情報として現れる事象はときに理解することに窮することがあります。それぞれの個性や生まれ、経験などが違うのですから当然でしょうか。それがある種の自由社会の結果かも知れません。

 

私が理解に苦しむことは多々ありますが、他方でその状況に立てば私もそうなるかもと思うことも結構あります。ある事象を表す用語自体、ときに一方的に名付けられ定義づけられるので、その概念の適切さに疑問をもちたくなるものもあります。

 

たとえば今朝の毎日記事<ひきこもり100万人 61万人は中高年 内閣府調査>は、<ひきこもり>の問題を従来の若者という視点から中高年の視点で取り上げています。

 

で、<18年12月、全国の40~64歳の本人5000人(有効回答率65%)と家族らを対象に実施>し、その<ひきこもり>の定義について、<6カ月以上自宅から出ないなどの条件に当てはまる>として<47人>を認定したそうです。<40~64歳人口(4235万人)から推計した【阿部亮介】>結果、<61万人は中高年>ということでしょうか。

 

<ひきこもりの人の総数は100万人規模>で、<内閣府によると、年齢の内訳は、40代が38%、50代が36%、60代が26%。ひきこもりになった年齢が39歳以下の人は4割程度で6割は40歳以上。期間は「7年以上」が47%と半数近くを占めた。>とのこと。

 

年齢層については、60代まで振り分けているようですが、70代以上はどうなっているのでしょうかね。他方で、高齢者については孤独死とかを問題にする情報も最近よくみかけますが、当然70代以上も少なくないように思うのですが、それは<ひきこもり>の対象とならないということでしょうか。

 

だいたい<自宅からでない>という条件が基本にあるようですが、それをもって<ひきこもり>の必須条件とするのでしょうかね。先日のNHKの放送では、買い物にたまに出かけるという人も登場していましたが、その程度は枠内に入っていると言うことでしょうか。

 

で、そもそも<ひきこもり>がどのような問題をかかえているか、いやいや問題なのかも、あまり明確でないようにも思うのです。子どもの不登校でひきこもりといった場合、問題にされてきたかと思います。

 

たとえば今朝の毎日社説<社説児童虐待の緊急調査 予想超える深刻さに驚く>では、<厚生労働省と文部科学省が合同で行った緊急調査によると、学校や保育所を長期欠席している子どものうち、教師らが面会して「虐待の恐れがある」と判断したのは2656人に上った。面会できなかった子どものうち「虐待の可能性が否定できない」のは9889人にも上る。>と不登校の子どもについて虐待のリスクの観点から言及しています。

 

これは家庭内での虐待という視点からのアプローチのせいでしょうか、他方で学校内に問題がある場合、不登校と同時に<ひきこもり>になっている可能性が高いかもしれません。

 

ところで、不登校、さらに<ひきこもり>が必ずしも重大な問題ともいえないように思っています。集団生活になじめないというのは、子どものころはもちろん、大人になってもありうることではないかと思います。それはある種の危機回避として人間が持っている安全装置の一つではないかと思うことがあります。

 

それは集団といった大きなものでなくても、家庭内でも、小さなグループでも起こりうるのではと思います。そこにいると自分の精神的な安定が保てないというおそれがあれば、回避行動を取る方が人間としては自然かもしれません。

 

私自身、小学低学年のころ、あまり学校に行かなかったと思います。あまり集団生活になじめなかったのかもしれません。そんな古い昔のことは忘れてしまいましたので、原因はわかりません。一時的には地域の仲間とも遊ばず一人家で閉じこもっていたような記憶もあります。

 

私の友人で(もう後期高齢者の列に入っています)、小学低学年のころ、2年くらい学校を休んで(病弱で孤立していたようです)そうですが、その後強靱な精神と体となり、私と知り合った40年くらい前には、驚くほどの秀才ぶりというかリーダーとしての素養を発揮していました。

 

たしかにこの2つの例は、ここで問題となっている<ひきこもり>に該当するものとは違いますが、<ひきこもり>は多様な形態があるのだとおもっています。それぞれの背景事情に応じた対応を探っていく必要を感じています。

 

実のところ、私が仕事上、対応した中で、そういった<ひきこもり>といってよい方がいました。ある事例は30年以上前ですが、高齢者で妄想が強く、見張られているとか、自分のものを加工されるとか、さまざまな苦情を訴えていました。なぜそうなったか、家庭内の事業があったように思いますが、別居させて、アパートを借りる手配をしましたが、結局、妄想がさらに強くなり、入院することになりました。この方の場合落ち着いた状況で精神科医に相談しながら問題に対処しておればよかったなと反省が残ります。

 

そういった高齢者のひきこもりは他にもありました。他方で、<クローズアップ2019 ひきこもり高齢化、深刻 就活失敗、抜け出せず>によれば、今回の調査でとくに問題となっているような<就職活動の失敗や職場になじめなかったこと>、<長時間労働の常態化やパワハラの横行など>のようなことが引き金となったひきこもりは、私自身、直接対応したことがないので、その気持ちとかがわかるわけではありません。

 

他方で、これらの要因が本当の契機であれば、その要因自体、個々人にとって行きにくい、組織の力というか集団性の事実上の強要といったものを感じます。

 

私自身、組織に属するのが苦手ですので、裁判官や検察官の道を選びませんでした(前者は希望しても断られていたでしょうけど?)。弁護士会というのは割合、自由な組織なので、私のような者でも、結構長く弁護士会活動をすることができました。いまは高齢と病弱を理由にほとんど活動を休止していますが、それを大目にみてもらっているようです。

 

組織のあり方、社会のあり方としても、もう少し個々の自由を認める方向を目指して欲しいと思うのですが、簡単ではないですね。

 

今日もなんだかよくわからない話になりました。そろそろこのブログを休止することを暗に示唆するものとなっています。

 

ともかく明日、もう一回書いてみます。また明日。


オーロラに包まれて <「大追跡!究極のオーロラ 〜カナダ 8000kmを行く〜」>を見て

2019-03-17 | 心のやすらぎ・豊かさ

190317 オーロラに包まれて <「大追跡!究極のオーロラ 〜カナダ 8000kmを行く〜」>を見て

 

昨夜、ふと懐かしい風景画目に入り、ついつい見てしまいました。番組はNHK 体感グレートネイチャーの<「大追跡!究極のオーロラ 〜カナダ 8000kmを行く〜」>です。ただ私が見始めたのは820分ころでしょうか、番組は730分からでしたので半分過ぎからでした。

 

その懐かしい風景はカナディアン・ロッキーのバンフ周辺、それからカルガリーのダウンタウンでした。ロッキーを源流とする大河、ロー川がダウンタウンを横切り、河畔には大きな公園があり、その先に摩天楼群(といっても高さ制限があったかでそれほど高層ではありません)がそびえ立っています。ロー川のそばにたしか無料で駐車できるところがあって、そこからダウンタウンで行われていた公聴会に毎日通っていたことをつい思い出しました。これは新しいガスパイプライン事業の是非についてエネルギー委員会が行っていたパブリックヒアリング(北米式対審構造)で、たしか2ヶ月くらい毎日終日続きました。

 

番組は<究極のオーロラ>を4K映像で捉えようとカナダ北極圏を探索していたようです。最近、オーロラの美しい映像を放映する番組が増えているような印象です。私が四半世紀前カナダを訪れたときは、あまりオーロラについて関心もなく、日本でもその映像を放映するような番組がほとんどなかったのではと思います(といっても当時ほとんどTVを見ていませんでしたので何の裏付けもありませんが)。

 

むろん一部の愛好家がオーロラツアーに参加してその素晴らしさを体験していたと思いますが、一般に周知されていたかというとどうでしょう。北極圏というと、故星野道夫氏がアラスカを中心に探検し、天体やヒグマなどの写真を多く残されたと思いますが、オーロラも写真だけだとするとそれほどその素晴らしさが理解できないように思えます。

 

ともかく私自身とオーロラの接点は、40年以上前、まだ北極圏を通ってヨーロッパに行く航路しかなかったころ、夜中寝ているときオーロラが見えるとの声で起こされ?、見たような記憶がぼんやり残っているくらいでした。そんなわけで、カナダ滞在中、北極圏に出かける用ができたときも、オーロラのことはまったく頭に浮かんできませんでした。

 

今回の番組(たしか再放送?)は、ただオーロラではなくオーロラ爆発を捉えるというのですが、射程の対象は、イエローナイフとホワイトホースを中心とするその北方だったかと思います。その両方とも別々の機会に出かけたことがあります。後者の方は、たしかダイヤモンド発掘事業について環境アセスメントが行われていて、事業者による現地見学会(名称不確か)が行われると言うことでした。北極圏の伝統文化や環境保全の活動をしている委員会メンバーがその発掘予定地にヘリコプター?で現地案内されることになっていて、委員長の計らいで私もオブザーバーで参加してよいことになり、うきうき気分でホワイトホースまで飛んだのです。ところが気象条件が悪く延期となり、私はがっかりでした。

 

ところがホテルまでに帰途の際、遠くになにか変わった空模様が広があり、あれはなんだと思ったのですが、そのときは一人でしたので誰にも聞くことができないものの、あっこれがオーロラかと思ったのです。少し弱々しい色も淡い一色くらいにみえたでしょうか、遠かったせいもあり、そうかなと思った程度でした。

 

その後私一人、北極海沿岸まで先住民の集落を訪ねる旅をしました。たしかイヌビックという飛行機の乗換のための中継地点で一泊したときのことです。夜中ぐっすり寝入っていたとき、大声で数人が喧嘩をしているような騒ぎに目が覚めました。外を見ると先住民たちが酒に酔って大声で騒いでいるだけでしたが、私の方は目がさえてしまいました。

 

ただなにか外の様子がおかしいのです。空が動いているように見えるのです。あ、これこそオーロラではと思い、外に出ました。ちょっと歩くと、広いところに出て、オーロラの動きのど真ん中に入ったような感覚になりました。それは母の胎内にいるような、不思議な感覚です。それはいくら4K映像で薄くし画像が流れても体験できない全身感覚でした。寒いと思いつつも、その体の平衡感覚を危うくするような、それでいてなにか気分のいい状態は一度も味わったことのないものでした。誰もいない宇宙と人の不思議な体験でした。

 

そんなことがあって帰国してから、オーロラに関心に少し関心を持つようになり、映像のDVDを買ったりしましたが、そのダイナミックな動態は迫力があったり、色彩も美しいですが、全身感覚で味わうのでないため、物足りなさも感じしてしまい、いつの間にか興味が薄れていました。

 

さて今回の番組では、ホワイトホースの北方にあるドーソン・シティでようやくオーロラ爆発に出会うことができました。ドーソン・シティは20世紀末ゴールドラッシュで北米中から荒くれ?者が狂気のごとくやってきた町ですね。いまはそんな騒動もなく静かなところになっているようです。そしてオーロラ爆発に会える数少ないところのようです。ということは金採掘の人たちも見たのでしょうか。金よりも美しいとは思わなかったのでしょうかね。

 

たしかにオーロラ爆発は、これまで見たさまざまなオーロラとは格段に違う、驚異的なものでした。映像の力もなかなかのものです。極寒の中で撮影したスタッフの皆さん、ほんとにご苦労様です。私もマイナス20度、30度の世界をなんども味わいました。肺まで突き刺さるような鋭い寒気ですね。凍った道路をなんども走ったことがあります。スリル満点で私はなんどか死を覚悟した(大げさでしょうけど)くらい、ちょっとハンドルを間違うとアウトでした。怖すぎて、神経が麻痺するほどでした。彼らはそれ以上の経験を重ねながら、すばらしい映像を送ってくれたわけですから、感謝です。

 

今日はこれにておしまい。また明日。