たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

意思とは <記者のこだわり 準強姦無罪判決のなぜ>を読みながら

2019-03-31 | ものの見方・考え方

190331 意思とは <記者のこだわり 準強姦無罪判決のなぜ>を読みながら

 

今朝、メールでこのブログサービス会社から契約終了の通知がありました。そういうわけで、今日がラストになりそうです。別の会社に移行するほど元気がないので、今日でこのブログはおしまいです。現在掲載されているブログはすべて消えるようですから、まあ、ネット上なくなるということなんでしょうね。

 

そもそも人の存在自体、そんな存在するようで、しないようなものでしょうから、誰かの認識に入った限りで存在してるかもしれないものかもしれません。生と死の狭間も夢幻のようなものかもしれません。

 

そんなことを思いながら、このブログで自分という独自の存在がありうるのか、試作的な(思索ではなさそうですね)ほんの思いつきを綴ってみましたが、日々ニュースで報道される情報への反応を即時的に書いてみました。それは自分というものがありうるのかを試す一つの試みでしたが、有ると言えばあるかもしれませんが、無いといってもおかしくないかなと思いました。般若心経の世界にわずかでも近づけたかなと思いつつも、まあ、三蔵法師の掌の中で蠢いているだけでしたか。

 

明日から一休みということで、とくに決まりをつけることもなく、いつものように今朝の記事を見ての思いを少し述べて、おしまいとしようかと思います。

 

毎日記事は<記者のこだわり準強姦無罪判決のなぜ その経緯と理由は?>として、<無罪に波紋>と事案の内容と判決理由、それと同種事案の場合の各国の法制度を紹介しています。

 

準強姦罪(改正刑法で準強制性交等罪)というのは、性行為という男女の営み(最近はこういう限定ができなくなってきていますが)という根本的な行為についての社会通念や個々の意識の変化が、社会事象としても、裁判事例としても、反映しやすいかもしれません。

 

この犯罪は、客観的な要件として<「人の心神喪失もしくは抗拒不能(抵抗できない状態)に乗じ、または心神を喪失させ、もしくは抗拒不能にさせて、性交等をした>(刑法178条)ことがまず、ないといけません。この要件自体、認定が容易ではないですね。それに加えて男性が女性がその状態にあることを認識しているという主観的要件、故意が求められます。ですので、通常、<争点は(1)女性が抵抗できない状態にあったかどうか(2)女性が抵抗できない状態にあったことを男性が認識していたか>ということになります。

 

で、事案は、<福岡市内の飲食店で・・20代の女性は友人と一緒に午後11時ごろに来店。・・「罰ゲーム」でショットグラスに入ったテキーラを数回一気飲みさせられたり、カクテルを数杯飲んだりした。その後、中央フロアのカウンター席で眠り込んだまま嘔吐(おうと)し、仕切り扉によって区切られたソファフロアに運ばれた後も眠り込んでいた。>この状態が<抗拒不能>だったかが問題となります。

 

次に<40代の男性は午前0時ごろに来店。女性とは初対面だったが、午前540分過ぎにソファで女性と性交し、少なくとも4人以上が様子を目撃した。>というのです。

 

で、<福岡地裁久留米支部の西崎健児裁判長は、争点(1)について、・・・女性は抵抗できない状態にあった」>と認定しています。他方で、<争点(2)については、「女性は目を開けたり、大きくない声で何度か声を発することができる状態にあり、それほど時間がたたないうちに別の人物から体を触られた時に『やめて』と言って手を振り払ったことから、飲酒による酩酊から覚めつつある状態であったといえ、外部から見て意識があるかのような状態だったと考えられる」と指摘した。>まあ、抵抗できない状態としつつ、歯切れの悪い認定ですね。

 

この女性の意識レベルを前提に、判決は①<「サークルのイベントではわいせつな行為が度々行われていたことが認められる。>、②<男性はこの飲み会で安易に性的な行動に及ぶことができると考えていたとうかがわれ>としたうえ、③<女性から明確な拒絶の意思が示されていなかった」>として、結局<「女性が許容していると男性が誤信してしまうような状況にあったということができる」と判断。>つまり男性には故意がないとしたのです。

 

これに対し、<ネットでは「こんな判決がまかり通るのか」「男性が『レイプだ』と思っていない限り、罪にならないってこと?」などと批判や疑問が相次いでいる。>そして後先になりますが、毎日記者は<どんな理由で今回の判決は下されたのだろうか。【安部志帆子/久留米支局、平川昌範/西部報道部】>と上記のように争点と事実認定を掲載しています。

 

たしかに刑法犯として責任追及する場合、厳しい要件が必要でしょう。ただ、本件では、記事が指摘する事実関係を前提とすると、裁判所の認定に疑問符がつくのではないでしょうか。上記の判決が男性の誤信を根拠づける①②③の事実は、誤信を根拠づけるには薄弱だと思うのです。

 

    のサークルの過去の事例としても、<わいせつな行為>であって性行為そのものではありません。またそれも度々ということで、常態化していたとまでいえません。それに女性がサークルの恒常的メンバーかどうかも、遅れてきた男性がには把握できていないわけです。①を重視するだけの合理性が乏しいと思うのです。

    は男性の意識と言うことですが、<わいせつな行為><性的な行為>と<性行為>が峻別されていません。これは人の意識を判断するときに少し杜撰ではないでしょうか。

    は女性の明確な拒絶意思を求めるものですが、そもそも争点(1)で抗拒不能と認定しているのに、このような女性の意思を求めること自体論理矛盾ではないでしょうか。

 

すでに識者の中には、諸外国の例を参考に、<同意確認>とか、<過失も罪>とか、といった動きがあるようですが、この事案の解決としては、少し飛躍があるかなと思うのです。むろんそういった考え方に異論があるわけではありませんが。

 

さてここまでが序論というか、前置きです。私たちは人の意思というものを理解するために、縄文人から始まって1万年以上の蓄積を重ねてきていますが、AIまでその認識が可能となる時代を迎える一方で、ますます混沌といえるような状況にあるのではと思うのです。

 

ことばが生まれ、意思疎通の手法が格段に広がり、多様ですさまじいスピードで情報・文化・分明が変動していますが、人の意識・意思はそれに順応できるかどうか、また人による格差の拡大とそのブリッジ機能の脆弱化で、危うい状態に陥っていないか気になります。

 

昨日、「ひきこもり」を取り上げたのも、あるいは度々取り上げたいじめや虐待問題も、関係する人たち(被害者だけでなく)の意思と意思疎通の問題を感じてきたからです。

 

性行為をめぐる男女それぞれの意思と意思疎通の問題も、どうように難解な問題です。答えは簡単に見つかるものではないでしょう。それでも問題の所在とその解決の道を探ることは、私たちに求められているように思うのです。

 

本論はこのブログを閉じた後、ゆっくりと考えていこうかと思います。日々少しずつ考えていこうかと思うのです。

 

そしていつか再びブログなのか、何かでそういったことについて表現できればと願っています。ではさようなら。いままで読んでくれた人、今日偶然訪れた人、ありがとうございました。

 

 


ひきこもり考 <ひきこもり 100万人 61万人は中高年>などを読みながら

2019-03-30 | 心のやすらぎ・豊かさ

190330 ひきこもり考 <ひきこもり 100万人 61万人は中高年>などを読みながら

 

世の中に情報として現れる事象はときに理解することに窮することがあります。それぞれの個性や生まれ、経験などが違うのですから当然でしょうか。それがある種の自由社会の結果かも知れません。

 

私が理解に苦しむことは多々ありますが、他方でその状況に立てば私もそうなるかもと思うことも結構あります。ある事象を表す用語自体、ときに一方的に名付けられ定義づけられるので、その概念の適切さに疑問をもちたくなるものもあります。

 

たとえば今朝の毎日記事<ひきこもり100万人 61万人は中高年 内閣府調査>は、<ひきこもり>の問題を従来の若者という視点から中高年の視点で取り上げています。

 

で、<18年12月、全国の40~64歳の本人5000人(有効回答率65%)と家族らを対象に実施>し、その<ひきこもり>の定義について、<6カ月以上自宅から出ないなどの条件に当てはまる>として<47人>を認定したそうです。<40~64歳人口(4235万人)から推計した【阿部亮介】>結果、<61万人は中高年>ということでしょうか。

 

<ひきこもりの人の総数は100万人規模>で、<内閣府によると、年齢の内訳は、40代が38%、50代が36%、60代が26%。ひきこもりになった年齢が39歳以下の人は4割程度で6割は40歳以上。期間は「7年以上」が47%と半数近くを占めた。>とのこと。

 

年齢層については、60代まで振り分けているようですが、70代以上はどうなっているのでしょうかね。他方で、高齢者については孤独死とかを問題にする情報も最近よくみかけますが、当然70代以上も少なくないように思うのですが、それは<ひきこもり>の対象とならないということでしょうか。

 

だいたい<自宅からでない>という条件が基本にあるようですが、それをもって<ひきこもり>の必須条件とするのでしょうかね。先日のNHKの放送では、買い物にたまに出かけるという人も登場していましたが、その程度は枠内に入っていると言うことでしょうか。

 

で、そもそも<ひきこもり>がどのような問題をかかえているか、いやいや問題なのかも、あまり明確でないようにも思うのです。子どもの不登校でひきこもりといった場合、問題にされてきたかと思います。

 

たとえば今朝の毎日社説<社説児童虐待の緊急調査 予想超える深刻さに驚く>では、<厚生労働省と文部科学省が合同で行った緊急調査によると、学校や保育所を長期欠席している子どものうち、教師らが面会して「虐待の恐れがある」と判断したのは2656人に上った。面会できなかった子どものうち「虐待の可能性が否定できない」のは9889人にも上る。>と不登校の子どもについて虐待のリスクの観点から言及しています。

 

これは家庭内での虐待という視点からのアプローチのせいでしょうか、他方で学校内に問題がある場合、不登校と同時に<ひきこもり>になっている可能性が高いかもしれません。

 

ところで、不登校、さらに<ひきこもり>が必ずしも重大な問題ともいえないように思っています。集団生活になじめないというのは、子どものころはもちろん、大人になってもありうることではないかと思います。それはある種の危機回避として人間が持っている安全装置の一つではないかと思うことがあります。

 

それは集団といった大きなものでなくても、家庭内でも、小さなグループでも起こりうるのではと思います。そこにいると自分の精神的な安定が保てないというおそれがあれば、回避行動を取る方が人間としては自然かもしれません。

 

私自身、小学低学年のころ、あまり学校に行かなかったと思います。あまり集団生活になじめなかったのかもしれません。そんな古い昔のことは忘れてしまいましたので、原因はわかりません。一時的には地域の仲間とも遊ばず一人家で閉じこもっていたような記憶もあります。

 

私の友人で(もう後期高齢者の列に入っています)、小学低学年のころ、2年くらい学校を休んで(病弱で孤立していたようです)そうですが、その後強靱な精神と体となり、私と知り合った40年くらい前には、驚くほどの秀才ぶりというかリーダーとしての素養を発揮していました。

 

たしかにこの2つの例は、ここで問題となっている<ひきこもり>に該当するものとは違いますが、<ひきこもり>は多様な形態があるのだとおもっています。それぞれの背景事情に応じた対応を探っていく必要を感じています。

 

実のところ、私が仕事上、対応した中で、そういった<ひきこもり>といってよい方がいました。ある事例は30年以上前ですが、高齢者で妄想が強く、見張られているとか、自分のものを加工されるとか、さまざまな苦情を訴えていました。なぜそうなったか、家庭内の事業があったように思いますが、別居させて、アパートを借りる手配をしましたが、結局、妄想がさらに強くなり、入院することになりました。この方の場合落ち着いた状況で精神科医に相談しながら問題に対処しておればよかったなと反省が残ります。

 

そういった高齢者のひきこもりは他にもありました。他方で、<クローズアップ2019 ひきこもり高齢化、深刻 就活失敗、抜け出せず>によれば、今回の調査でとくに問題となっているような<就職活動の失敗や職場になじめなかったこと>、<長時間労働の常態化やパワハラの横行など>のようなことが引き金となったひきこもりは、私自身、直接対応したことがないので、その気持ちとかがわかるわけではありません。

 

他方で、これらの要因が本当の契機であれば、その要因自体、個々人にとって行きにくい、組織の力というか集団性の事実上の強要といったものを感じます。

 

私自身、組織に属するのが苦手ですので、裁判官や検察官の道を選びませんでした(前者は希望しても断られていたでしょうけど?)。弁護士会というのは割合、自由な組織なので、私のような者でも、結構長く弁護士会活動をすることができました。いまは高齢と病弱を理由にほとんど活動を休止していますが、それを大目にみてもらっているようです。

 

組織のあり方、社会のあり方としても、もう少し個々の自由を認める方向を目指して欲しいと思うのですが、簡単ではないですね。

 

今日もなんだかよくわからない話になりました。そろそろこのブログを休止することを暗に示唆するものとなっています。

 

ともかく明日、もう一回書いてみます。また明日。


医師の過労と病院の混雑 <勤務医残業、年1860時間 国「過労」容認>などを読みながら

2019-03-29 | 医療・医薬・医師のあり方

130329 医師の過労と病院の混雑 <勤務医残業、年1860時間 国「過労」容認>などを読みながら

 

たいていの仕事では、さまざまな関係者が出会う必要があり、双方に需要と供給のミスマッチがあることもあり、日程調整をして予約をして時間と場所を決めて行うことが普通でしょう。むろん緊急にしなければいけない場合もありますが、それは例外的なケースとして取り扱われるでしょう。

 

しかし医療の世界ではそれが通らないようです。病院、とくに大学病院などの大病院では、予約していても1時間待ちどころか2時間待ちが普通でしょうか。あるいは半日待ったという人もいるかもしれません。いやいや3ヶ月以上、あるいは半年咲き出ないと予約がとれない、それで予約しても長時間待ってようやく診察をうけることができたといた経験をした人もいるでしょう。

 

私も関東に居住しているころ、体調が悪くて大学病院や大病院を訪れることが時折ありましたが、似たような経験をしました。だいたい知人や友人に相談すると、そういった名医のいる病院を紹介してくれるものですから、ついつい遠くでも通ってしまうのですね。はたして名医と言われたり、評判の医師に診てもらうひつようがあったかどうか、それもいまではわかりません。ただ、医療過誤裁判とは異なる、医療の実態を一部を垣間見たという経験はそれなりに意味があったと思います。

 

それにしても患者があれだけ待っていると言うことは、患者という需要が過大となっている一方、医師の供給が不足しているということはいえるのでしょうね。大学病院などに通うことで、医師が多忙であることは容易に理解できていましたが、他方で、その異常な過重労働の実態は最近の報道で少しずつ理解するようになった程度です。

 

そのひどさは先日のブログで紹介したNHK番組でも一部わかりますが、今朝の毎日記事<クローズアップ2019 勤務医残業、年1860時間 国「過労」容認のまま>では、わかりやすい図表を掲載していますので、より問題が明解となっています。

 

見出しのごとく、<医師の働き方改革について、厚生労働省の有識者検討会が28日に報告書をまとめ、2024年度からの方向性が固まった。>として、<一般の医師は、・・・年960時間を残業の上限としたが、地域医療を支える勤務医らは、小幅に縮小したものの、年1860時間まで容認することで決着した。>というのです。

 

この年1860時間の残業が容認された医師は、<「地域医療を支える医療機関の勤務医」と「専門性や技能を高めたい若手勤務医」>の2つのグループです。

 

それは病院の割合でいえば、4分の1にあたり、400床以上だと71%、救命級機能があると84%、大学病院だと88%となっています。つまり大病院では過酷勤務が常態化していることがわかります。

 

現場では「殺される」といった批判があがっているのに、過労死や病気を回避するための措置と言えば、<①連続勤務は28時間まで、②勤務時間インターバル9時間以上、③①②を守られなければ休息時間を取得(つまり①②も禁止されていない)>といった内容です。

 

そして<残業が年1860時間の働き方のイメージ>が日程表として掲載されていますが、とても健康状態を保ちながら長期間にわたって過酷な医療業務を実施することができるとは思えません。

 

たしかに私も若いときは結構無理をして徹夜しても翌日普通に勤務するといったことはよくありました。たいていの人がそうだったかもしれません。しかし、若いときは体がもっても、その負担が累積して50代、60代になると体自体が悲鳴を上げるのではないでしょうか。

 

まして医師の業務は人の生死に関わる厳しい内容で、それが連続して個々の患者の症状も病気も異なるわけですから、神経をすり減らす日々を長期間続けると、精神も肉体も参ってしまうことが予想できます。

 

社説働かせ過ぎの勤務医 開業医との格差をただせ>では、<過労やストレスで毎年70~90人の医師が自殺し、病死も含めると毎年100人もの医師が過労で亡くなっている。若い研修医の4割程度が抑うつ状態という調査結果もある。>というのです。

 

こういった過酷な勤務状態に、将来のある若い勤務医が就くことを、経験になるとか、医師として当然の道とか、といって奨励してきたのだとするといかがなものかと思うのです。

 

その前提として、医師の応召義務ということが指摘されたりしていますが、医師法19条の解釈として、合理的な意義が医師、患者側、行政の間で確立していないのではないかと懸念します。

 

たしかに医師法19条は、「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」として、正当な事由がなければ、応召義務があると規定しています。

 

しかし、それはあらゆる診察治療を前提とするものではないと解釈すべきであるとみてよいと考えます。そのような見方こそ、現代医療の現場からいえるのではないでしょうか。

 

ウィキペディア<応召義務>では、戦後初期の時代の厚生省医務局医務課長回答などが取り上げられ、厳格な解釈が取り上げられていますが、現代の状況に適合する新しい解釈指針を提示すべきではないかと思います。

 

<患者側も一定の協力や負担が必要>という指摘があります。患者側も、大学病院や大病院にかかることを当然の権利という考えで、診察や検査を受ける姿勢は見直すことが必要ではないでしょうか。診療してもらう医師がうつ状態や過労死の危機にさらされている状況を深刻に受け止める必要があると思うのです。

 

仮に暴飲暴食、不健康な生活の連続で、自ら招いた病気であるなら、とりわけ節度が必要ではないでしょうか。そういう私も、この年になってようやく健康管理に目覚め、病院・医師に負担をかけないよう、配慮する心構えができてきたところですので、人を批判すると天に唾するようなものと思いながら、反省の気持ちをこめて書いています。

 

この点、<厚労省は昨年、アーティストのデーモン閣下さんらを委員とする「上手な医療のかかり方を広めるための懇談会」を発足させ、国民に医療を守る行動を促す宣言を出した。子どもの病気に小児科医らが対応する「#8000」や、救急車を呼ぶべきかどうかの助言がもらえる「#7119」といった短縮ダイヤルの活用により、安易な夜間・休日の受診の抑制を狙う。>という取り組み自体は結構なことだと思います。

 

しかし、抜本的な見直しには簡単にはつながらないと思います。

 

1860時間の残業を許容するような医療行政は、抜本的に改めるよう、その原因追求を掘り下げ、一般労働者と同じか、それ以下にするよう、見直してもらいたいものです。方向性が固まったというのですから、無理な話かもしれませんが、今後の国会議員選挙で争点として議論してもらいたいものです。

 

患者としては、適切な診療をしてもらうには、医師が過労死やうつ病などの危険にさらされている状態であることは是非とも回避してもらう必要があります。それは適正な診療を受ける権利を害していることにもつながります。いや、そういうことばは適切ではないでしょう。診ていただく医師が健全な状態出会って欲しいと思うのは、患者ならだれしも思うのではないでしょうか。過酷な勤務状態にある医師に、適切な診療を求めることは人としてできないでしょう。

 

そんなことをふと思って冗長な話となりました。今日はこれにておしまい。また明日。

 

このブログも、移行しないと331日で終了というメールが来ていましたが、移行手続する元気もないので、自然更新がなければ、明日、明後日で終わります。

 

もし⑷月1日にブログが消えたら、当分の間、休筆します。またやる気がでたら(いつになるか分かりませんが)、書くかもしれません。後残り2回は書くつもりです。


閲覧と採掘? <マイニング不正 他人PCで仮想通貨「採掘」無罪>を読みながら

2019-03-28 | AI IT IoT

190328 閲覧と採掘? <マイニング不正 他人PCで仮想通貨「採掘」無罪>を読みながら

 

私がPCを使い出して、というか本格的に使い出したのがウインドウズ95発売の少し前、アップルPCですので四半世紀経過しています。ネットサーフィンをよくやるようになったのが96年くらいからですから、20年以上でしょうか。いまもってよく分からないPCオンチのうえ、ネットとなるとよけいわかりません。

 

今朝の毎日記事<マイニング不正 他人PCで仮想通貨「採掘」無罪 無断作動「ウイルス」否定 横浜地裁判決>とあっても、まず「マイニング」がわかりません。ウイルスも怖いものという程度で、セキュリティソフトに頼りきりです。なるべくよらぬ触らぬで、メールも知らないのはもちろん、知っているのでも、友人か既知の人、依頼者以外は開けません。ネット情報も怪しいものには近づかないという程度で、危うい対応をしています。

 

そんな私には、この刑事裁判での事実と争点は難解でした。少しは現代の動きを知るため、勉強がてら、記事を追ってみました。

 

事案は、コインハイブというプログラムが不正指令電磁的記録(ウイルス)保管罪に当たるかどうかが争われています。

 

刑法ではどうなっているのでしょう。

(不正指令電磁的記録作成等)

第百六十八条の二 正当な理由がないのに、人の電子計算機における実行の用に供する目的で、次に掲げる電磁的記録その他の記録を作成し、又は提供した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

一 人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録

二 前号に掲げるもののほか、同号の不正な指令を記述した電磁的記録その他の記録

2 正当な理由がないのに、前項第一号に掲げる電磁的記録を人の電子計算機における実行の用に供した者も、同項と同様とする。

 

この「不正指令電磁的記録」をウイルスと呼んでいるようですね。で、上記の条文では「意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える」という、PC利用者の意図を基準にして判断する立て付けになっています。この意図は個人の意思というのではなく、PC利用者の社会通念、まあ常識的な意思を基準にするということでしょう。

 

ところで、記事では、「保管罪」という犯罪となっていますが、上記の条文では「作成または提供」となっていて、保管というのは明記されていないので、再度読み直してみても違いますね。たしかにPC上というか、ネット上にプログラムを作成したことは間違いないわけで、作成罪ないしは提供罪でもいいように思うのですが、マイニングの名称と符合する?ように保管罪と呼ぶようになったのでしょうか。余談ですが・・・

 

起訴された事実は<東京都のウェブデザイナーの男性(31)は2017年10~11月、自身のサイトにコインハイブを埋め込み、サイト閲覧者のパソコンに無断で仮想通貨の「モネロ」をマイニングさせた>ということです。

 

そのサイトに問題のプログラムを埋め込む、という表現ですが、これは閲覧者がそのサイトを閲覧すると、そのプログラムが作動して、閲覧者に気づかれないで、<仮想通貨を獲得するマイニング(採掘)>という作業?に閲覧者に参加させる仕組みのようです。その参加?によって、コインハイブを設置した彼には、モネロでその分報酬を得られるという構造になっているようです。

 

それは<ウェブサイトを閲覧した人のパソコン(PC)の演算機能を無断で動かす>プログラムであるから、違法なコンピューターウイルスかという問題のようです。

 

<男性は同罪で>略式起訴され、横浜簡裁が<罰金10万円の略式命令を出した>のですが、<横浜簡裁の判断を受け入れず、正式裁判を申し立てていた。>そして昨日、<横浜地裁は27日、ウイルスと認めず無罪とした。>

 

その理由について、まず、<本間敏広裁判長は、コインハイブは「人の意図に反する動作をさせるプログラムに該当する」>とウイルス性の一部を肯定したのです。そうですね、この点は私も同感です。といっても<弁護側は「CPUを使うのは他のプログラムと一緒」と訴えた>というのですから、そんなプログラムが普通にあるのかと驚き半分、そうかなが半分です。でもいまのところ、裁判所の判断を支持したいと思います。

 

しかし、ウイルス性のもう一つの要素、「不正な指令」かどうかについては、<有益性や閲覧者に対する影響などを総合的に考慮し、プログラム内容が社会的に許容しうるかどうかで検討すべきだと指摘。>して、次の事実を基に、本件では否定したのです。

 

まず、社会通念の基礎であるネット利用者の意識・評価について<当時はネット利用者の評価が賛否両論に分かれていたこと>として確立していなかったことを指摘しています。次に<運営者がコインハイブで利益を得てサイトが充実されるなら、閲覧者の利益になるとも述べた。>とこの仕組みが閲覧者の利益にもなるというのです。これはちょっと驚きですね。この推論は少し飛躍がありませんか。最後に閲覧者の負担増については<コインハイブにより閲覧中の消費電力が増加しても、同様の仕組みを持つ広告表示プログラムと大差はなく、影響は少なかったと判断した。>として大きなものではないとしています。そして最後に、最初の評価が確立していないこととあいまって、<事前の注意喚起や警告などがない中で立件し、いきなり刑事罰に問うのは行き過ぎだ>として、無罪としたのです。

 

この判決については、<技術者を中心に反発する声が噴出し、社会通念自体が世代やIT知識によってかけ離れている実情が明らかに>になったようです。

 

識者はというと、<高木浩光・情報法制研究所理事・・・は「ウイルス罪が守ろうとしているのは、プログラムに対する社会の信頼なのだから、誰にとっても不正なものだけが対象となるべきだ。今回のように使う内容を個々に判断することになれば、新しい技術が出る度にウイルスだと言われかねない」と影響を懸念した。【林田七恵】>

 

また、<坂村健・東洋大情報連携学部長の話>では<今回の判決はインターネット社会の常識を支持したまっとうな判断だと言える。ネット社会では、無料のサービスは広告収益やマイニング収益に支えられているものだというのは普通の感覚だ。今回の判決で、何を不正とされるかについて開発者の不安がなくなればいい。それによりイノベーションが進むことを期待する。>と全面支持です。

 

他方で、ネットには掲載されていませんでしたが、毎日大阪版記事では園田寿・甲南大法科大学院教授の話として、「知らないうちにパソコンを無断使用されたら不信感を抱くのは当然で、一般ユーザーの感覚を基準とすべきだ。」と判決に批判的です。私もこの一般ユーザーに当たりますので、この意見に近いでしょうね。

 

でも坂村氏の指摘する開発者の不安が、この犯罪の構成要件では曖昧ということにあるのであれば、こういった摘発の前に事前告知を丁寧にする必要があるでしょう。ここがそうなのかどうか、プログラム作成者にとってグレーなのか、いや分かっているけど、乗り越えないと競争に勝てない、のかどうか、それがわかりにくいのも一般ユーザーの立場でしょうか。

なお、たとえば<不正指令電磁的記録に関する罪>などで、警察はこれまでそれなりに啓発活動をやってきたのかもしれません。たぶんネット社会で活動している人には縁遠い情報だったのかもしれませんが、それでよいのかどうかでしょう。また、このじょうほうだけでは、明確なルビコン川となるのか少し疑問です。

 

そんなあれこれを少し考えてみました。余分な話でしたかね。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


幕府の寺院支配と水利 <江戸初期の高野山による領地支配と幕府の元禄裁許による寺社支配の確立と新たな水利秩序>

2019-03-27 | 大畑才蔵

190327 幕府の寺院支配と水利 <江戸初期の高野山による領地支配と幕府の元禄裁許による寺社支配の確立と新たな水利秩序>

 

以前もこのような感じのテーマで書いたブログを書いた記憶があります。その後もその実態を探る手がかりがない中、悶々としている状況が続いています(まあ勝手な妄想ですが)。今日はとくに書くテーマもなく、多少おさらいと整理の意味で、一里塚みたいに書いてみようかと思います。

 

これまで高野元禄裁許については、何回かこのブログで触れてきました。橋本市発行の『大畑才蔵』中、「第四節 高野山品々頭書」や<村上弘子著『高野山信仰の成立と展開』を解説したブログ記事>などを参考にしてきました。

 

今回は、笠原正夫著『紀州藩の政治と社会』中の「第一節 江戸幕府による寺院支配の完成

~元禄期高野山行人派僉議一件~」を少し参考に加えてみました。

 

上記の「僉議」(せんぎ)は、いまでは使われないことばですね。まあ、現代風に言えば、審議や捜査という以上に、弾劾といった意味合いが強いものかもしれません。行ったのが寺社奉行ですので、審理といった意味合いもあるでしょう。その結果としての判断、裁許といったり、裁断といったり裁定といったりするようですが、現代の判決といった一方的な判断ともいいきれないように思います。その判断(上意)を受けた人が従って初めて有効になる感じでしょうか。

 

高野山の江戸初期から続いた学寮派と行人派との対立は、ことある毎に江戸の寺社奉行に訴えられ、その都度裁許を下しているのですが、一向に両者がそれに従わないのですね(まあこういいいい方は正確ではないですが、実質的にはそういってよいかと思います)。この経緯は、上記のブログが詳しいです。

 

高野山は、江戸時代では唯一の大名格だったのでしょうか。なにせ秀吉が行人派の応其上人に21000石(?)を認めたのですが、秀吉亡き後両者が対立し、家康が学寮派に9500石、行人派に11500石与えて和解させたというのですね。徳川政権は両派を大名格に取扱い、それぞれに江戸住まいを命じています。これって、当時の仏教宗派の中で別格扱いだったのではないでしょうか。

 

他方で、紀州藩といっても、秀吉が征服するまでは、紀ノ川沿いでは西から雑賀一族、根来衆ないし根来寺、粉河寺、そして高野山とそれぞれが大きな領地支配をしていたと思うのです。

 

とくに領地紛争、水利紛争は、中世の荘園史では、この地域が有名で、その中心が高野山であったと思います。その担い手は行人派というある種武力集団の性質をもつ勢力であったと思うのです。

 

たとえば、粉河寺が支配していた粉河荘と東隣の丹生谷村は、名手荘と境を流れる水無川とも言われた名手川の水利をめぐって大変な紛争を世紀をまたいで続けていました。名手荘の背後にはあるころから高野山がついていたと思います。その東側には静川荘がありますが、その静川(現在の穴吹川)の水利をめぐって桛田荘も紛争が絶え間なかったと思います。この桛田荘も高野山の後ろ盾があったと思います。

 

その東側には官省符荘(九度山と対岸)があり、ここは高野山の政所があり、その直轄領値ですが、その東側の相賀荘との紛争があったと記憶です。後者を支配しているのは根来寺です。

 

こういった感じで秀吉が、続いて家康が紀州の地を統一したわけですが、直ちに領地支配を実効的に行えたかといえると疑問です。当初、浅野幸長が藩主となりましたが、1619年広島藩に移ると、家康の子、頼宣が親藩として初めて統治したのですね。

 

この紀州藩、とりわけ紀ノ川沿いはやっかいなところだったのではないでしょうか。高野山が寺社勢力として隠然と、あるいは明瞭に、中世以来の領地支配を推し進め(相対してきた根来寺や粉河寺が没落しているわけですから)、百姓への檀家寺としても強い支配が浸透していたのではないかと思うのです。

 

ここで大畑才蔵が登場するのですが、彼が実施した小田井灌漑用水開発は戦国時代が終わって100年以上経過した後でした。100年余りの間、なぜ紀ノ川沿いの田畑はため池灌漑だけに頼らなければならなかったのでしょうか。紀ノ川沿いは右岸には、おびただし数の河川が紀ノ川に流入しています。また和泉山脈の麓や河岸段丘にももの凄い数のため池があります。それだけでは灌漑用水として足りないことは、百姓が切実に感じていたことでしょう。為政者により多くの水供給を求めたでしょう。でもできませんでした。

 

それはおびただしい数の河川を横断する技術がなかったからでしょうか。いや傾斜の緩い紀ノ川の勾配に対応する傾斜を作りながら流水できる用水路を作るだけの測量技術がなかったからでしょうか。あるいは紀ノ川のような大河川に対応できる井堰を設ける土木技術・材料がなかったからでしょうか。

 

私はいずれも決定的な要因ではなかったのではないかと思っています。戦国期に培われた土木技術は平和時、大河川灌漑を実施できるだけのものになっていたと思うのです。それは江戸初期から各地で実施された大規模な上水路や利根川東遷、大和川付け替えなどが証明しているのではないかと思います。

 

紀州藩にとって紀ノ川沿いの領地支配は、高野山の圧力によってままならなかったのではないかと思うのです。高野山の山内での対立について紀州藩は何もできませんでした。むろん江戸の寺社奉行の管轄だからという名目もあるでしょうが、徳川家霊台があり、行人派をはじめ大量の武器弾薬を保持し戦闘部隊も残存している(刀狩りは行われていない)ことや、百姓に対する中世以来の支配が及んでいたことに、対処に窮していたのではないかと思うのです。

 

前記の「第四節 高野山品々頭書」によれば、才蔵は寛文9年(1669年)、郡奉行(どうやら誤記かあえて虚偽の役職を残したか)の命を受けて、以後20年以上にわたって高野山紛争の内偵を行っています。

 

その調査内容とか報告については、才蔵は記録を残していません。多少記載があるので、これを読み解きたいと思いつつ、そのままになっています。

 

この内偵の結果が元禄5年(1692年)7月の寺社奉行裁許にどう影響したのかはわかりません。ただ、この結果、笠原氏が指摘するように、「幕府の寺院支配が完成」したといえるのではないかと思います。

 

江戸幕府は、寺社奉行以下500名以上の軍隊を高野山の麓、橋本に派遣し、紀州藩のみならず周辺各藩に戦闘態勢に付かせ、いつにても反抗を押さえれるよう、臨戦態勢をとったのですから、凄いことです。それは換言すれば、紀州藩一藩では、親藩といえども、高野山を統治することができなかったことを示しています。

 

その結果、高野山の支配が解け、紀ノ川沿いに事実上、荘園の名残り的な村々が対立し、水利をめぐってお互い対立している状況から、ようやく統合的な水利施策を講じることができるようになったと見ることができるのです。

 

なお、秀吉が認めたのは紀ノ川河南ということですが、実態は中世から戦国期を通じて高野山は河北に支配権を及ぼしていたので、その支配力が続いていたと思うのです。

 

と冗長な根拠のない話を続けましたが、本論に入る前に疲れてしまいました。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。