たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

養育費支援と自治体の役割 <明石 養育費の受け取り保証>を読んで

2018-09-30 | 家族・親子

180930 養育費支援と自治体の役割 <明石 養育費の受け取り保証>を読んで

 

台風24号の猛威が当地にも及んできたかのように、雨風も強まってきました。ま、まだそれほど強いものではないですが、ニュースでは四国が暴風に襲われています。紀伊半島も間もなくでしょうか。

 

すでに今日のブログは終わったのですが、少し気になっていた毎日記事があり、ウェブ上で見つかったので、紹介しておこうかと思います。

 

昨夕の記事で<兵庫・明石 養育費の受け取り保証 11月からモデル事業>というものです。これまで養育費について日弁連の新算定基準を紹介したりしてきましたが、問題はいくら算定基準額が上がってきても、それが履行されないと絵に描いた餅になるという点でした。

 

そこに明石市がメスを入れたのです。これは素晴らしいことなので、紹介したいと思います。

 

<兵庫県明石市は11月から、ひとり親世帯の子育てを支援するため、養育費の受け取りを保証するモデル事業を始める。離婚の相手方とあらかじめ決めた養育費が未払いになっても、年間で60万円を上限に受け取れる。>

 

自治体が受け取りの保証をするとは驚きですが、全国初だそうです。外国ではさまざまな履行確保制度が充実していて、わが国のその点の遅れは、子育てと仕事を両立しようとするシングルマザーにとっては厳しい現実となっていました。

 

ただ、<1年間の実施後、本格的な導入の可否を検討する。>ということで試験運行ということのようですが、ぜひ持続的な事業化を実現して、全国的な運用の先駆けになってほしいものです。

 

養育費受け取り保証制度の内容は次のように説明されています。

<制度の対象となるのは、離婚した際に、家庭裁判所の調停調書や公証役場の公正証書などで子供の養育費を決めている明石市民。1カ月分の養育費と同額の保証料(上限5万円)を、市が業務委託先の総合保証サービス会社に支払う。養育費が支払われない場合、会社が月額5万円を限度に、ひとり親世帯に立て替えた上で、支払い義務のある相手方から同額を債権として回収する。>

 

総合保証サービス会社が養育費を支払われない場合に、代わって立て替え支払い、その債権に基づき相手方に直接請求して回収するという制度ですね。これは画期的な内容で、これにより離婚で一人で子育てする母親(ま、父親の場合もゼロではないでしょうが・・・)にとっては恵みの雨ですね。これで若い人たちが明石市を住居として選ぶことも考えられますし、また、他の自治体に移ろうかと思っていた人も住み続けることになるかもしれません。

 

ただ<市の今年度予算は90万円>ということですから、いくら会社が債権回収を行っても、結構予算的には厳しいという印象です。とはいえ最初は厳しくてもその成果が上がれば、より持続性のある事業となるでしょうと期待したいです。

 

<厚生労働省の調査(2016年度)によると、母子世帯の場合、離婚した父親からの養育費は、受けたことがない56%▽受けたことがある15.5%▽現在も受けている24.3%--となっている。市は「養育費の必要性は高い。官民の連携で子どもの健全育成を進めたい」としている。【浜本年弘】>

 

この養育費支払いの実態、それを放置している司法・行政・立法、それぞれが責任を感じないといけないことでしょう。

 

明石市はこれまでも<養育費確保に向けた支援策の実施について>など、さまざまな支援措置をとってきたようですね、市長が女性弁護士ですが、これからも注目したいです。

 

今後は他の自治体、国が本格的に養育費支払い確保の問題に向き合うことを望みたいです。

 

今日はこれでおしまい。また明日。


シニアの生き方 <映画「マイ・インターン」を見て>

2018-09-30 | 健康に生きるとは

180930 シニアの生き方 <映画「マイ・インターン」を見て>

 

台風24号の猛威をニュースで見て、今日は事務所に出かけるとどんな事態に巻き込まれるかもしれないと懸念が先に立ち、自宅にとどまりました。午前中は雨は一滴も降らず風もなく、予報が外れて肩透かしをくった感じです。それでも庭の小道?に積み重ねていて葉っぱが暴風で散乱してはいけないと思い、土を掘って埋めました。それだけでひと汗かくことができました。

 

NHK囲碁トーナメントで清成九段と姜二段との対戦は、老練な清成氏が大石を序盤でとった時点で、これは勝敗が決まったかなと思いきや、初参加の若い姜氏が大逆転?。初めて聞く名前ですし、まだ二段ですが、すごい実力を発揮してくれました。これから注目する棋士の一人かもしれません。韓国籍だったと思いますが、ほんとに囲碁は韓国、中国の棋士が若くて強いですね。日本人棋士は相当差をつけられているようで、頑張ってほしいですね。

 

その後再びTVを見たらNHKで「いとの森の家」という映画を放映していました。先日放映された番組「『樹木希林』を生きる」では、彼女の一年を木寺ディレクターが一人、密着でビデオを回しながら、自分の家族のことを告白しながら、樹木希林さんの生の姿を赤裸々に映し出していました。その内容自体、樹木希林さんの最期まで生きる姿を紡ぎだしていて、いつか取り上げたいと思っています。

 

その木寺氏が最初に樹木希林さんと出会ったのが「いとの森の家」を彼がディレクター?を担当したことからだったそうで、それが放映されていたので、途中から見ました。

福岡の糸島市が舞台でした。それだけで古代ファンみたいな私には伊都国を思い出させてくれます。それはともかく樹木希林さんの演ずる老女(はなさんという名前でしたか)が命の大切さを樹々やさまざまな森の生き物を通して子供たちに伝えるのですね。森の中の一軒家に一人で住み、子供たちにそこを開放して、子供たちにはとても心やすらかに過ごせる場になっていました。そのとても穏やかで優しいはなさんは、なぜか死刑囚のいる刑務所を訪れ、彼らと交流し、彼らが作ったハンカチや木工作品を大事にしていて、子供にもあげるのです。

 

子供たちのおばあさんの一人がそのことを告げて、子供たちに怖い人としてはなさんに近づけないようにするのですね。子供たちにとって死刑囚と聞けばそんな酷い人と交流していること自体で怖い存在になったでしょう。さらにはなさんが死刑囚の遺骨を持ち帰ってきたのに出くわすと、余計近寄りがたくなっていきつつ、その優しさに引き寄せられる複雑な気持ちにさせられたのかもしれません。老女と子供たちの話はその後時を経て再び始まりますが、そこではなさんの過去と真相が明らかにされます。それはここでは触れないことにします。

 

さて本題のシニアの生き方ですが、樹木希林さんの生き方そのものがそうかな、とか、いとの森の家で演じたはなさんもそうかなと思ったりします。そう思いながらも、今日はつい先日見た録画の「マイ・インターン」を紹介したいと思います。

 

名優ロバート・デ・ニーロがベンというとても素敵なシニアを演じるのです。こんなシニアになれるといのですが・・・と思いながら見てしまいました。ベンは、40年あまり電話帳会社に勤め、長年連れ添った愛妻を亡くした後、家に閉じ困らずに、あれこれと趣味や旅行などに挑戦しますが、何か物足りないのです。そう社会に貢献するというか働くことが必要を思い立つのです。

 

ちょうどそのときシニア・インターン(見習い)を募集するチラシを発見、それに早速応募して、まったく未経験な仕事場で採用されるのです。そこはアン・ハサウェー演じるジュールズが若くて美しい起業家として、ネットを通じた女性服の販売を展開して、200人を超える企業にわずか9か月?で成し遂げた若さと意欲あふれる活気ある会社でした。

 

ベンのいでたちは、スーツとタイにアタッシュケースと昔風のビジネスマン姿(ま、私も一昔前まではそうでしたが)。ところが仕事場は20代の若い男女が自由な服装、まったく場違いな状況ですが、ベンは気にしません。マイペースを通します。

 

PCもまだまともに使えないのに(PCやスマホを仕事の中核としている会社であるにもかかわらず)、ベンは平気なのです。そこにはどのような見方、言い方をされても、自分というものに自負を抱き、それを貫こうとする内心の強い意志が感じられます。そしてその自負から来るのでしょうか、ベンはどんなときも笑顔を絶やさないのです。

 

そして選ばれた仕事は、シニアといえば苦手で、若い従業員の中で多様な仕事を瞬時に判断して決めていくのがモットーと思っている代表者のジュールズ個人のインターンでした。ジュールズは好き嫌いが激しく、それでも、ベンが秘書から受けたアドバイス、必ず瞬きすることというのをちゃんとやりこなしたせいか、ジュールズの気持ちが害しませんでした。でも、ジュールズからは仕事はメールで伝えるといわれたものの、まったくメールがなく、仕事もないまま、一日ぼっと座っているしかない状態になりました。

 

でもベンはへこたれることはありません。スタッフで困っていたら、なんでも助け舟をだします。それも笑顔で。自然とジュールズ以外のスタッフがベンのことを好きになっていくのでした。そこには長い年月艱難辛苦を乗り越えてきたシニアとしての経験と自分の選択に裏打ちされたものが次々と披露されてきます。

 

そんなベンがいつの間にか、ジュールズにとってとても大切な、唯一無二の会社運営、いや人生のお友達になるのです。その展開は映画を見て楽しんでいただければと思います。

 

高齢者や老人というよりは、シニアという言い方は幾分かいいですね。ベンはシニアのこれからの在り方の一つを提示してくれているようにも思えます。むろん映画の中だけかもしれませんが。楽しくさせてくれます。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


雅と人の性 <澤田瞳子 王朝の雅 安穏とはいかない人間模様>などを読みながら

2018-09-29 | 心のやすらぎ・豊かさ

180929 雅と人の性 <澤田瞳子 王朝の雅 安穏とはいかない人間模様>などを読みながら

 

明日は猛烈な台風が日本列島を縦断するということで、スーパーには人の波です。以前は気象予測もそれほど正確ではなかったかもしれませんが、最近は進路も速度変化やその脅威も極めて正確になってきたように思います。そのうえ台風の脅威が気候変動の影響を受けてかその威力が増しているようです。たいていの人は、その脅威を事前に告知されているので、備えを万全にしようとしているのでしょう。

 

そういった気象予報のない時代、自然災害は天災として、天罰といったとらえ方を長い間していたのではないかと思います。神社仏閣に天罰を受けないように依拠していたのではないでしょうか。たとえば平安時代なんかは、一部を除き戦争もなく、死刑もなく(東北で最期まで抵抗した阿弖流為を除き)、平和を満喫していたようにも考えられていますね。

 

でも澤田ふじ子氏は異なる視点で、平安時代をはじめ天平から近世まで、たとえば『天平大仏記』『陸奥甲冑記』『流離の海 私本平家物語』などで、その社会に生きる底辺の人々から高貴な人々までの実相に迫る小説を私たちに提供してくれています。私はファンの一人となっています。

 

今朝の毎日記事<澤田瞳子の日本史寄り道隠れ道王朝の雅 安穏とはいかない人間模様>を読みながら、その語り口と澤田という名前から、しばらく読んでいない澤田ふじ子氏のことをふと思い出しました。澤田瞳子(とうこ)さんのことをウェブで調べたら、お母さんはふじ子氏だったのですね。

 

いやはや驚きつつも、母親の視線と似つつも、新聞紙面とエッセイ的な内容のせいかもしれませんが、フラットな筆運びに思えました。

 

瞳子氏の小説はすでに相当あるようです。どれか一読してみたくなりました。

 

さて記事では<王朝の雅>の実相について、「葵祭」で目にしたり、源氏物語などで描かれている貴族の生活をイメージする現代人に、高貴な身分の人も、現代の人とさほど大きく違わないかのような事例を取り上げています。

 

<毎年5月15日に京都で開催される「葵(あおい)祭」は、王朝の雅(みやび)を伝える祭礼として、人気が高い。きらびやかな十二単(ひとえ)をまとった斎王代が腰輿(およよ)と呼ばれる輿(こし)に乗り、平安装束に身を固めた男女の官人、騎乗の武官、美しい牛車などとともに都大路を練り歩く。>

 

40年くらい前、私も一度だけ見ましたが、どうも雅なものにはあまり関心がなかったようで、垣間見た程度でその次にみたいという気持ちにはならなかったようです。たしか鎌倉でも似たような行事があったかと思いますが、鎌倉居住時代も一度もみたことがなかったですね。

 

とはいえ多くの人にいまでも人気があるようですね。牛車(ぎっしゃ)をゆったりと練り歩く姿には雅さの典型かもしれません。

 

しかし瞳子氏は<「枕草子」の筆者である清少納言は、当時、もっとも一般的だった牛車の一種・網代車(あじろぐるま)を指して、「網代車は速い方がいい。人の門前をさっと走り過ぎて、お供の者がその後をついて駆けているのを眺め、はて今のは誰の車だったかなと考えるのが面白い。遅い車はつまらない」と評している。>として、自転車並みのスピードがでて、乗り手の人や牛によってはスピード狂のようにも、また暴れ牛になることもあったことを指摘しています。

 

瞳子氏は、さらに<「源氏物語」や「落窪物語」などの平安文学には、祭り見物などの折、従者たちが車の停車場所を巡って争う「車争(くるまあらそい)」の様が描かれる。それもただ、他の車を押しやるだけではなく、場合によっては石を投げつけ、相手の牛車をほとんど堀に落としてしまう粗暴ぶり。>として、<現代社会にいろいろな性格の人間がいるごとく、一見、優雅と映る平安時代にも気の荒い人物はいたのだ。>と指摘されています。

 

この牛車の暴走や従者などの粗暴さに関しては、五木寛之氏が『親鸞』でリアルに描いていますね。これは臨場感あふれるもので、五木氏らしい親鸞像の一端を示していますが・・

 

母親のふじ子氏の場合、現代社会がもつ格差や不公正さ、差別的取扱いの原点であるかのごとく、奈良・平安から鎌倉・室町と、それぞれの時代の奴隷制の実態や身分制における人間の実相に迫る描写をしているように思えます。

 

瞳子氏は、<清少納言の主・藤原定子の弟である藤原隆家は、当代一の「さがな者(荒くれ者)」。>と紹介し、<時の上皇に矢を射かけたり・・・、従者を武装させて往来でけんかを起こしかけたり・・・赴任した大宰府では、折しも海を渡って攻めてきた女真族3000人に抵抗すべく兵を募り、中央の指示を仰がぬままそれを撃退したのだから、まさに「戦う貴族」というべき人物と言える。>と貴族が荒武者のごとき性格の者もいたというのです。

 

ま、これは不思議に値しませんね。天皇・上皇でもそうなのですから。いやいや、僧侶・神人はそれ以上でしょうか。私の?連載が中途になったままの伊藤正敏著『寺社勢力の中世』では、中世の始まりは祇園社の河東占地で、鴨川右岸より東側を祇園社が占拠した1070220日だそうです。無縁所の始まりと言うことです。

 

そこでは朝廷はもちろんその後に成立した幕府権力も及ばない不入地(寺社勢力による独立した警察権・支配権)となったそうです。それだけ僧侶も神官も軍事、経済・政治力を握ってしまっていたのですね。悪僧という言葉も頻繁に使われていたようです。そのことはいずれ書きたいと思っています。

 

最期に、荒々しいのは男性の専売特許でないことは当時も今も同じでしょうか。瞳子氏は、女性も散見するとして、<村上天皇の中宮・藤原安子は、関白太政大臣の孫として生まれ、14歳で入内した、まさに絵に描いたようなお姫さま。それにもかかわらず、他の妃(きさき)の美しさに嫉妬した末、壁の割れ目から土器のかけらを投げつけるという、およそ深窓の姫君とは思い難いまねをしている。しかもそれに怒った天皇が彼女の兄弟を謹慎させると、それに詰め寄って処分を撤回させたというから、気の強いことこの上ない。>

 

なかなか文字として残されているのが少ないだけで、実際は、結構そういう女性はいたと思うのです。「平家物語」に登場する巴御前は強力と強弓に加え美貌の女武者として描かれ、木曽義仲に仕えて(連れ合い?)最期まで闘ったというのですね。豪傑ですね。

 

私たち人間は、社会が作ったさまざまな身分、階級、職業、夫、妻などある枠組みのある種の仮面をつけることを社会的に求められ、自らもそうなることにつとめるのかもしれません。平安時代で言えば、公家、その官職、摂政や関白など、道長の日記『御堂関白記』はほんの一部をさらっと見た(読んだとまでいえません)とき、彼も普通の人かなと思ってしまいます。

 

それは現代で言えばさまざまな職業もそうでしょう。国会議員や閣僚、官僚といった人から、法曹三者の人、経営者、労働者、などなど、その仕事の時はある種仮面をつけてそれぞれの仕事を通じて演じているのかもしれません。でも人間の本性はいつも変わらないものがもしかしたら縄文以来連綿と続いているのかもしれません。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


入場拒否と身分証 <安室さんコンサート 療育手帳で入場断られ>などを読みながら

2018-09-28 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180928 入場拒否と身分証 <安室さんコンサート 療育手帳で入場断られ>などを読みながら

 

安室奈美恵さんという歌手の人気はすごいですね。私の年代ではというか、私のような時代遅れの人間には、縁遠い存在です。

 

とはいえ今日の毎日記事<平成という時代第2部 この場所/4 渋谷・スクランブル交差点 多様性あふれる文化の発信地 育児・仕事、私が決める>では、安室さんの生き方に憧れ、自分の仕事、結婚、子育てにあたってもお手本みたいにしている若い子育てしながら働く女性が活き活きとこれまで歩んできた生活スタイルを語っています。ただ、この女性の場合夫はどうやら家事を一緒にするタイプではなさそうな感じなのが残念ですが・・・

 

そんな憧れの安室さんのコンサート、そういった仕事と家庭を両立させてバイタリティあふれるような女性だけが魅了されるわけではないようです。知的障害、身体障害、精神障害など障害をもつ人たちや家族にとっても、とても興奮したり楽しむことのできる内容のようですね。

 

障害のある人やその家族は、わが国の現状では、コンサートやさまざまなエンターテインメントの会場などに出かけて臨場感を楽しむことが容易とは言えないでしょう。いや、かなり厳しい環境下にあるのでしょう。バリアフリーという言葉がいつ頃から使われ出したのでしょうか。ハード的な措置については相当程度進展したかもしれません。しかし、それはあくまで身体障害者対応であって、それ以外の障害については十分ではないと言えるでしょう。

 

なによりもソフトの面では、障害者の種類に関係なく、進んでいないのが現状ではないでしょうか。先日のNHKテレビで、パラリンピックの選手が前回大会の英国を訪問したときの感想を聞かれ、ハード面は石畳が多く、それほどバリアフリーが進んでいなかったけれど、心のバリアフリーがなく、とても快適に過ごせたと言った印象を述べていました。

 

石畳を車いすで進もうとしたら、近くの人がすぐに支援の言葉をかけてくれ、快く手助けしてくれたとのこと。それがどこでもそういう人たちが周りにいて、心が解放されたような印象だったそうです。わが国は逆に、ハード面の改善を行政が進めるものの、周りの人は知らん顔が普通かもしれません。内心は違うかもしれませんが、気軽に手助けする意識はなかなか育っていないように思います。

 

さて本題の入場拒否の話に戻ります。今朝の紙面に載っていましたが、ウェブ記事では26日付けで<安室さんコンサート療育手帳で入場断られ…「取り返しがつかない」憤りの声>と問題を取り上げています。

 

なにが問題となっているかですが、<引退した歌手の安室奈美恵さんが2~6月に開催した最後のコンサートツアーで、知的障害者に発行される「療育手帳」を身分証として提示した客が入場を断られた問題で、当事者から「取り返しがつかない」と憤りの声が上がっている。>これは大変な事態ですね。入場拒否理由が療育手帳を身分証明にならないというのですから。これは合理性のない差別的取扱いと言われても仕方がないと思うのですが、なんらかの合理性があるのか、毎日記者は追求しています。

 

<本人確認の業務を請け負った電子チケットサービス大手の「ボードウォーク」(東京都千代田区、飯田尚一社長)は、入場を断られた客にチケット代を返金する方針だが、国会議員が厚生労働省に対応をただすなど、問題は広がりを見せている。【大村健一/統合デジタル取材センター】>

 

入場拒否の経緯は次のようだったようです。

<2番目の妹愛子さん(34)はダウン症。音楽が好きで、安室さんや浜崎あゆみさんのコンサートに姉妹でよく行った。「愛子はコンサートの後、うちわやペンライトを片手にいつも楽しそうに踊っています」と、雅代さんは話す。雅代さんは安室さんのファンクラブ会員で、会員向けの先行抽選でチケットを手に入れた。福岡にライブを見に行くことは、家族にとって数年に1度のぜいたくでもあった。>

 

そのライブ会場受付で、<愛子さんは係の男性に「療育手帳は国から発行されたものではないので入場できない」と言われたが、意味がのみ込めず、係員に何度も手帳を見せた。見かねた雅代さんが駆けつけて説明したが、係員は「入場できない」の一点張り。やむなく愛子さんの入場を諦め、母親が付き添って会場の外に残り、雅代さんと一番下の妹だけで入場した。>

 

本人確認業務を行っていたボードウォーク社は、身分証によってこれを行っていたようですが、<昨冬のチケット販売開始当初、障害者手帳も身分証として有効と公式サイトで説明していた。>

 

<障害者手帳とは一般的に療育手帳、身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳の3種類を指す。>のですから、療育手帳も含まれますね。それを同社が今年3月上旬に療育手帳を除外して残り2種類に限定したのです。

 

その理由は、療育手帳について<「複数の呼称や様式があり、多数を短時間に入場させる必要のある大規模コンサートにおける本人確認作業になじまない」>ということです。

 

愛子さんが入場拒否されたのはこの公表の前でした。

 

さて、療育手帳を身分証として認めない、身分証がないとの理由で入場拒否することが合理的な差別的取扱といえるのでしょうか。

 

国が発行したものかどうかといった理由は問題外でしょう。都道府県や政令指定都市など行政が発行したものを身分証明として認めないなんてことは不当な理由ですね。また療育手帳には<「複数の呼称や様式があ>ることは確かですが、<多数を短時間に入場させる必要>を理由に身分証と認めないのも、合理的な根拠とはなりえないでしょう。

 

これが発行者が民間企業や団体ならともかく、都道府県などれっきとした自治体が発行したものですから、その真実性になんの問題もないでしょう。手帳の名称や様式が異なるといっても、確認すべきことはそれが「療育手帳」で、その中に表示されている本人の住所氏名と写真により本人確認は容易にできますし、それ以外の記載は見る必要もないのですから、それぞれの手帳内容の違いは問題にすること自体、疑問です。

 

仮に同社が身分証の種類を指定して、それ以外は認めないとして公表した上で、入場拒否したとしても、それが合理的な取扱とはいえない以上、違法な差別的取扱として損害賠償の対象となると考えます。同社はチケット代の返金を行っているようですが、コンサートで安室さんの歌を楽しむことができなかったことの損害はそれではカバーできないとても重大なものですね。

 

チケットの転売やダフ屋など、これをめぐる悪質行為がはびこっているため、同社の対応も厳しくなるのかもしれませんが、それとこれとは違いますね。障害者対応の意識の低さを示しています。安室さんにはもちろん問題はないですが、コンサートの運営主体は彼女の最期の舞台をこういった面でもしっかり支えてもらいたかったと思います。知的障害のある方や家族に差別的取扱があったなんてことは、安室さんの気持ちに大いに反することだったと思います。彼女のことは知りませんが、沖縄問題に触れた姿を見て、きっとそういう方だと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


株式における選択と責任 <大手信託・生保の議決権行使 議案への反対率増加>などを読みながら

2018-09-27 | 企業運営のあり方

180927 株式における選択と責任 <大手信託・生保の議決権行使 議案への反対率増加>などを読みながら

 

今日もとくに忙しくなかったのですが、いつの間にか時間が経過してしまいました。ちょっと興味深いケースがあり、その事実関係を調べたり、別の紛争案件に関わる裁判例を調べたりしていると、あっという間にこの時間になってしまいました。

 

今日の話題は・・・・とくに見つからず、ちょっと目についたので、見出しのタイトルにしたのですが、簡潔に終わらせたいと思います。

 

今朝の毎日記事<株主総会大手信託・生保の議決権行使 議案への反対率増加 投資先に厳しい姿勢>は、ようやくわが国においても大手企業の一部で、その議決権行使のあり方に光が当たるようになってきたようです。

 

<昨年金融庁が改定した機関投資家が守るべき「スチュワードシップ・コード(受託者原則)」に基づく2年目の開示で、全体として議案への反対率が昨年比で増加した。利益の株主還元や企業統治を巡り、投資先企業に厳しく接する姿勢が強まっている。【深津誠、竹下理子、古屋敷尚子】>

 

このスチュワードシップ・コード(受託者原則)について、同じ記事で次のように解説しています。

<顧客などから託された資金を運用する銀行や保険、証券会社などの機関投資家に定められた行動原則。>で、<投資先企業の経営監視や顧客への説明責任などで構成されており、金融庁が2014年に制定した。>ということでまだ4年目ですね。

開示することがルールで、その議決権行使の是非はとくに問われていないようです。その開示方法はというと、<株主総会の議決権行使の内容については、当初は議案の種類ごとにまとめて開示すればよかったが、17年5月の改定で個別議案ごとの公表が必要になった。賛否の理由についても開示が奨励され、機関投資家は判断の妥当性が問われる。>

 

さてその判断の妥当性を問うのは、一体誰でしょう。委託者である個々の投資家・企業なんでしょうけど、こんどはそこの選択が問われるのかもしれません。でもその前提の現在実施されている開示程度で選択が適切かどうか、検討できるのか少し不安です。

 

開示内容について、<信託、生保大手7社中、個別の議決権行使状況を開示したのは、昨年同様、日本生命を除く6社(明治安田は開示対象を全投資先に拡大)。三井住友信託、三菱UFJ信託は賛否の理由も公表した。議案への反対率は三菱UFJ信託以外で増加し信託は15~20%台、保険は1~3%台。昨年以降、ガイドラインを厳格化した三井住友信託とみずほ信託は反対率がそれぞれ8・2ポイントと3・9ポイント上昇した。>とその程度がよくなっている趣旨の記事となっています。

 

具体的な事例としては<注目案件では、シェアハウスに絡む大規模な不正融資問題が発覚したスルガ銀行の創業家の岡野光喜会長(9月に退任)ら9人の取締役選任案に対する対応が分かれた。三井住友信託、三菱UFJ信託、明治安田の3社は、「(6月の株主総会時点で)第三者委員会の報告がされておらず、反対する材料が十分ではなかった」(三菱UFJ信託)などの理由で選任案に賛成した。>とありますね。第三者委員会の報告を待つまでもないように思うのですが、どうも積極的な議決権行使が行われていない大手もまだまだ多そうです。

 

その点<みずほ信託は「不祥事に責任があると認められる取締役の選任に原則反対する」という自社のガイドラインに沿って、9人の選任案に反対した。>と積極的に議決権行使ガイドラインを策定しているという点は評価できますね。同様の理由でしょうか、同社は<長期間務めた取締役に退職金とは別に支払われる退職慰労金について、「年功的性格が強い」として原則反対する方針に変更した。その結果、退職慰労金支給議案への反対比率が昨年より60・7ポイント高い96・2%に跳ね上がった。>と個別企業毎の選択と言うより、自社独自の選択基準で、行使しているという、望ましいあり方を示しているかと思います。

 

通常、上場企業大手は、たいてい横のつながりもあって、この種の対応もどこかがガイドラインを作れば、自社もまね?してつくる傾向にあるのですが、みずほ信託だけとは思えないのですね。他社はどうなっているのでしょう。

 

この開示によって、短期利益の追求に終わるような結果になることは避けてもらいたいものですが、どうでしょう。

<株主への利益還元について意見する姿勢の高まりは各社で目立った。利益をどれだけ配当するかを決める「剰余金処分案」に対し、3信託で反対率が上昇。三菱UFJ信託は、TBSホールディングスの1株当たりの配当についての議案を「不適切」として反対した。>

 

アメリカの投資環境のようになって、トランプ旋風に風船が破れるまでどこまでも高く上がっていきそうにならなければいいのですが・・・

 

ところで85日付け毎日記事<けいざい・因数分解2500兆円 世界のESG投資額 「持続可能」でリターン>では、<気候変動や社会貢献、企業統治への取り組みを重視して投資先を選ぶ「ESG投資」>が取り上げられています。

 

アメリカや西欧は多様ですので、先端的なことも早くから始めますね。その投資選択の基準としてはかなり前から行われてきたと思いますが、わが国はようやく重い腰をあげたような印象です。

 

<国際組織の世界持続可能投資連合(GSIA)の2016年の調査で、全世界のESG投資額は前回14年から約25%増えて22兆8900億ドル(約2500兆円)になった。これは世界の投資額の4分の1に当たり、ESG投資は近年、世界的な潮流となっている。>

 

ESGといっても耳慣れないかもしれません。記事ではちゃんと解説があります。

<ESGは「環境(Environment)」「社会(Social)」「統治(Governance)」の頭文字。投資を判断する際、従来の財務情報や収益性だけでなく、非財務情報であるESG要因も考慮しながら収益を追求する投資手法の総称がESG投資とされる。投資対象は株式や債券、不動産など多岐にわたる。>

 

で、日本のESGにおける現状はというと、<総投資額の2500兆円を地域別に分類すると、欧州(53%)と米国(38%)が大半を占める一方、日本は2%。全資産運用額に占めるESG投資の割合は、上位から▽欧州53%▽豪州・ニュージーランド51%▽カナダ38%▽米国22%--と続き、日本は3%。金額、割合とも日本は世界の先進国に水をあけられているのが現状だ。>出遅れ感は否めないですね。

 

その内実を次のように記事にしています。

<日本では、15年に年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が国連のPRI(責任投資原則)に署名し、ESG投資への関心が次第に高まっている。GPIFは約160兆円のうち1兆円をESG投資に充て、今後も増やす方針だ。GPIFは世界最大の機関投資家だけに、今後はESG投資の普及が期待される。

 ただ、現時点ではGPIFや生命保険会社、信託銀行などが相次いでPRIに署名する中、企業年金基金で署名したのはキッコーマンやセコムなどの数機関にとどまる。PRIは日本の機関投資家に対し、「ESGに配慮しない投資は受託者責任に反する」と指摘している。大和証券の大沢秀一シニアアナリストは「短期ではESGに配慮しない企業が利益を出すかもしれないが、長期でリターンを得たいなら持続可能なモデルがある企業に投資した方が良い」と指摘している。【深津誠】>

 

と記事の引用で終わらせてもらいます。また明日。