たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

騒音と障害者に対する理解は 厚木基地騒音訴訟と障害者施設殺傷事件について

2016-12-09 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

161209 騒音と障害者に対する理解は 厚木基地騒音訴訟と障害者施設殺傷事件について

 

今日も和歌山まで往復して少々疲れが残っている中、書くのに一時間もないので、簡単に今日の出来事で気になったいくつかを書いてみたいと思います。

 

タイトルに掲げた2つの事件、いずれも関連がありませんね。たまたま2つの記事が大きく毎日新聞で掲載されていました。まったく異なる事柄ですが、当事者にとって極めて深刻な問題であるのですが、ちょっと離れた立場にある人にとってなかなか理解しにくい問題である点では似ています。無理な取り上げ方かもしれませんが、強いていえば体験しないとわかりにくい問題という言い方が近いかもしれません。

 

厚木基地訴訟は、私が横浜弁護士会(現神奈川弁護士会)に移った98年頃、たしか第三次訴訟を検討していて被害調査のボランティアを募集していたので、参加したことがあります。基本的には被害者の方からの聞き取りが中心でした。基地から少し離れていた場所での聞き取りであったこと、体験談のヒアリングでしたので、私は聞き取りしながら、それだけだとその痛みはそれほど大きく感じなかったかもしれません。

 

ただ、前年97年に、あのエクソンバルディーズ号石油流出事件の調査でアラスカを訪れ、その際、たまたま宿泊先へ行く途中にあったエルメンドルフ空軍基地のそばで、ジョット戦闘機が離着陸するのを間近で体験したことがあります。それは体中を切り裂くような爆音でした。これはとてもではないと身震いするほど、神経がおかしくなるほどのショックを受けました。これが実践的訓練かと驚嘆しました。私の場合は、いやならすぐに離れることができ、実際、遠く離れた静かなコテージで静寂な時を過ごすことができました。

 

ところが、厚木基地周辺に住む人は、その音から逃れることができません。防音工事は爆撃機の離着陸には対応できるものはないと思います。しかも夜中の静寂を破る音は精神を切り刻むのではないでしょうか。という私も実際、夜中に基地周辺の住宅に泊まったわけではないので、実体験したとはいえません。でも少しは分かります。

 

私自身、鎌倉に住んでいたとき、横須賀の米軍基地との間を時折飛び交う、ヘリコプターの音だけで、家が震撼し、体中にしびれるような音が飛び込んでくることがあります。その程度でも大変なわけですから、ジェット戦闘機の離着陸の騒音はその比ではありません。

 

最高裁は、その騒音被害の損害賠償を認めたものの、その夜間飛行の差止も将来にわたる騒音被害賠償も認めませんでした。むろん米軍機は対象外となっています。このような前提で、私たちは本当に日本の安全保障を国民として担っているといえるのか、自問自答しています。それは沖縄基地についても、より問われることです。たしかにBSフジ・プライムニュースで取り上げた、陸・海・空の元トップクラスの専門家の意見も防衛という観点で的確に理解する必要があると思いますが、この騒音被害を放置していていいのか、私には気になります。

 

もう一つの隣接である相模原市の障害施設での大量殺傷事件、厚生労働省の再発防止策検討チームが最終報告書を発表しましたが、措置入院された患者の退院後の支援体制づくりなどを含む精神保健福祉法改正を提言している点は一応評価されてよいと思います。しかしながら、措置入院後の意思決定システムに問題が残っているように感じています。残念ながら、障害者、その施設およびスタッフの実情、とりわけ精神的な症状があり他殺の危険のある人物について、多くの国民の理解が得られない中での報告になっているように感じています。

 

私も神奈川県のある障害者施設で、一定期間、ある知的障害の方の後見人として、障害者とわずかな時間の交流と、スタッフの人たちの努力を垣間見てきました。軽度の人たちは、施設の内外をスタッフの人たちと楽しそうに歩いたりしています。のどかな印象すらあります。

 

ところが重い症状だった私が担当した方は、私と会うときは、割合、平温でしたが、私がだれかはわかりません。そしてこのような方に少なくない症状として便で遊んだり、食べたりもします。部屋の中はその結果、大変な臭気に包まれることにもなります。お風呂に入れるのも3人がかかりでも大変なことがあります。でもそういう症状がいつもあるわけではありません。おとなしく同じ作業を繰り返すことなど職員の努力と忍耐で頑張りをみせることも少なくありません。

 

ご家族はとりわけ愛情深く接しています。そういうご家族の気持ちをくみ取り、私もできるだけ寄り添う配慮をしてきました。その方が会ったとき、変な対応をしてもそのまま任せてみたりします。

 

でも私の努力というか、対応はなんでもないことです。スタッフやご家族の努力と忍耐はとても大変だと思います。そういうスタッフの一人に今回の事件のような人が現れたのは非常に残念です。しかし、現代の社会は、普通に生活すること自体が大変で、いつ精神的に異常な状態になるかもしれない危険が潜んでいると思います。

 

そのとき措置入院された経緯を踏まえた退院措置の決定について、退院後の支援体制づくりは人的・物的に、また地域を越えた連携の点で、実効性が担保できるか、懸念されていると思います。

 

と同時に、その決定のあり方自体について、あまり議論されていないように新聞記事だけからだと感じています。このような重要な決定については、より適切な審査機関・方法を検討すべきではないかと思うのです。医師の単独での判断ではなく、社会的な・と同時に司法的な意見を反映する必要があるように思えます。

 

また、また、ほとんど資料を見ないで書いてしまいました。それぞれ重要な問題が深く複雑にある中、こういった通り一遍の考えを書くことはかえって混乱を招くことになりかねないことを懸念しつつ、いつか批判があればしっかりと考えてみたいと思って、とりあえず思いつき的な意見を書き綴ってみました。

 

いつか徒然草の現代版とまでは到底いきませんが、素人の日々の思いを人に読んでもらえるような内容にできればと思い、練習の気持ちで書いています。一生かかっても練習で終わるかもしれませんが。

 

 

 


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