たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

医療・介護について 医療・介護データ、一元管理の記事から

2017-01-11 | 医療・介護・後見

170111 医療・介護について 医療・介護データ、一元管理の記事から

 

今日はなかなか時間がとれず、夕方からようやく時間が空きました。昨日の続きを書こうかと思いながら、毎日の記事で、<医療・介護データ、一元管理 サービス向上狙い、20年度稼働へ>が目にとまり、この見出しのテーマとはずれますが、関連する「かかりつけ医」の問題に言及してみようかと思います。

 

上記の記事では、、厚労省は、現在別々に管理されている健康診断、医療、介護のそれぞれの情報を集約して「保健医療データプラットフォーム」を創設し、これらのビッグデータを分析して過剰な医療の見直しや効果的な介護予防に生かすことで社会保障費の抑制を見込むとのことです。

 

ただ、解説を読むと、個人情報保護の必要を指摘し、「個人情報の詰まった記録を安全に匿名化し、共有する技術の確保が不可欠だ。」とあります。匿名だとすると、ある特定の人の健康良好な状態からさまざまな疾病・治療対応、そして要支援や要介護の推移なども、果たして的確に把握できる情報となるのかと懸念します。審査支払期間に集まる現在の情報だけで的確に医療情報だけでも集約・分析できるのかも疑問です。

 

だいたい、厚労省の資料を見る限り、電子カルテすらあまり普及しておらず、まだまだ手書きカルテで、個々の医師の力量に応じて大差があるように思うのです。こういった診療録の記載基準を確立してすべての医師が遵守することが先決ではないかと思ったりします。できれば電子カルテで。おそらく上記で集約する情報の中にはカルテは想定していないのでしょうね。

 

介護記録も個々の介護実態を記録したものは対象とはならないのでしょう。むろんそれでもこれらの情報が集約されれば、それはそれ相当の効果があると思います。しかしながら、患者一人ひとりのために的確な情報分析がされるものとは考えにくいように思うのは、素人の考えといなされてしまうのでしょうか。

 

この記事の基になっている厚労省の資料を入手していないので、どのようなデータを前提にしているのか知らないでいろいろ批判的言辞を繰り出すのはできるだけ避けたいところです。ただ、この記事では、仮にAさんと匿名にして、その健康状態や疾病、介護状態等の情報を集約して、Aさん個人の一連の症状経緯や治療・介護の経緯を解析したとしても、Aさんが多く疾病を抱えたり、たくさんの医療機関の診療を受けていた場合、はたして的確な分析が可能かどうか疑念します。

 

というのはある交通事故の事例で、頸椎症にかかわる複数の診断結果があり、MRICT検査データにも一定の変異等が見られましたが、従前、頸椎症で手術を受けておりましたので、医師の間で異なる判断となり、結局、東京の審査機関で判断した結果、後遺症と認められませんでした。このケースはさほど複雑な事案ではないですが、それでも医師の判断としても簡単ではなかったようです。むろんこのような後遺症の有無・程度を判断することと、上記で厚労省が目的とするデータ分析は異なります。しかし、人間の体の複雑さや多様な症歴をもった患者の場合、MRIなどのデータを分析することも簡単でなく、そのような検査データまでは対象とならないと思われますので、はたしてその人にとって有効なデータ分析ができるのか懸念するのです。それ以外にもいくつかありますが、今日書くテーマではないので、省略します。

 

患者にとっては、自分の体をしっかり把握して適切かつ迅速な治療対応をしてもらうことを望み、また、疾病予防や介護予防の措置や対応を望むのが普通ではないでしょうか。その意味では、患者の顔を見ないとか、体を見ないとか、他方で検査データだけを見て判断する医師は望ましいとは思いません。そしてさまざまな病歴をしっかり把握し、場合によって現在の医療水準では適切な治療方法がないという場合でも、そのことを告知しつつ、他の代替手段について説明できるそういう医師を期待するのは無理でしょうか。

 

それが必ずしも厚労省が普及しようとしている「かかりつけ医」によって解決できるとは思いません。しかし、厚労省の定義する「かかりつけ医」は「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」ということですから、相当頼りになる医師ではないでしょうか。その機能の一つとってみても、「かかりつけ医は、日常行う診療においては、患者の生活背景を把握し、適切な診療及び保健指導を行い、自己の専門性を超えて診療や指導を行えない場合には、地域の医師、医療機関等と協力して解決策を提供する。」ということですから、患者のことを本人以上にわかっている医師ではないかと思います。

 

このように患者のことを分かっている医師は、当然、その健康状態やさまざまな疾病歴や介護程度も十分承知していることになると思います。英国や北米などにあるホームドクター制の医師に近いのではないかと思います。そのような医師は、当然、過剰な治療や投薬をすることがためらわれるでしょう。自然に医療費・介護費用も全体として低減していく効果があるように思うのは甘い見方でしょうか。

 

他方で、高度医療や専門医は、程度の差については考え方に違いがあるとしても、大規模な病院でということになるかと思います。厚労省では、かかりつけ医の普及のため、外来時の定額負担を試行するようですが、その是非については異論もありますが、普及という観点からは一手法として一歩前進と一応言いうるかと思い、注視して見たいと思います。

 

わが国は医師が不足しているのかどうか、私には分かりません。ただ、病院、とりわけ大学病院を含む大規模病院では、予約していても待ち時間が長いですね。2時間、3時間は当たり前、それ以上が恒常化しています。で、多くは診療時間が数分、場合によっては一分もかからない人もいるのではないかと思います。

 

かかりつけ医からの紹介状がないと、定額負担ということで、経済的な面で問題処理しようとするのはどうかと疑問を感じています。と同時に、医師にゆっくり落ち着いて患者を診る時間を提供してもらいたいと思うのです。もし数分で済むような患者であれば、多くはそういった大規模病院の医師(専門医)にかかる必要がないかもしれません。安心感、信頼感という感覚で医師を選択する制度はできるだけ避ける必要があると思うのです。むろん、専門医だからこそ即座に診断でき適切・迅速にできるから、数分で済むということもあるでしょうから、時間だけで物事を判断できないことは確かです。ただ、あまりに待ち時間が長すぎる状態は早急に解決してもらいたいと思うのです。

 

卑近な例で言うと、私はいま信頼できる医師に診療を受けていると感じています。残念ながら少し待ち時間が長いですが、診療時間は結構長くとってくれます。しかもいろいろ話を聞いてくれるのです。患者の生活習慣も疾病の背景にあることは少なくないと思います。体に触れ、動かして体全体を見てくれる、そういう姿勢も信頼感を自然に醸成してきます。予防的な生活指導も行ってくれます。ある意味、ホームドクターのような対応です。専門医ですが、そのような人と人との触れあいを大事にしている医師ですので、それまで見てもらった多くの医師はすぐにいろいろな検査を指示しますが、その医師からこの検査の必要性はないと言われると逆に安心します。この専門医も最寄りの医師の紹介状で見ていただいています。

 

かかりつけ医が普及しない原因は、いくつかあると思います。専門医がまちの診療所・クリニックで仕事をしているということもあるでしょう。信頼できるかかりつけ医を見いだすことも容易ではないかもしれません。ただ、鶏が先か卵が先かのような気もします。信頼できる医師に多くの患者が集まることは仕方がないかもしれません。ただ、多くの疾患については、なんでも一応は対応できる医師、むろん専門領域をもってもいいでしょう、そういう医師がかかりつけ医として、一人、そしてできれば家族単位で、対応するシステムがいいのではないかと思うのです。その人の顔を見れば、すぐに過去の症歴がわかる、家族の病歴もわかる、そうなると疾病予防や介護予防も熱心に対応してくれるのではないでしょうか。時間もゆっくりとってもらえる、そういう診療報酬体系にならないといけませんが。

 

それには定額負担というより、むしろ紹介状による予約制を原則とするといった、受入制限こそ効果的ではないかと思うのです。ただ、そんなことを言うと、ショッキングな大規模病院の診療体制の変革(改悪?)との批判にさらされそうですね。また、かかりつけ医が普及していない段階で、このような制限は現実的ではないでしょう。しかし、そのような方向性を目指すことはどうでしょうか。これは国民的な議論をする必要があると思います。私は、現在のように、病院に待ち人あふれる状態は望ましいとは思いません。大規模業院の場合、通常、長時間をかけて、遠距離からやってくる患者も少なくないでしょう。こういう方は紹介状をもっているのが普通ではないかと思うのです。そうでなく有名だからとかといった評判で、割合気軽に診療を受ける人も相当数いるのではないかと思うのは皮相な見方でしょうか。

 

ここまで思いつきと、日頃感じていることを、つれづれに書いてみました。約1時間ちょっとかかりましたが、これもまたいつか整理できたら、焼き直ししてみたい重要な事柄です。